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2019年9月15日日曜日
「伏羲」
伏羲(フッキ、フクギ)<宓羲、庖犧、包犧、伏戯、伏義、伏儀、太皞(タイコウ)>
古代中国神話に登場する神で、三皇五帝(サンコウゴテイ)の内の三皇の一柱である。同じ三皇の一柱である女神、女媧(ジョカ)とは兄妹であり夫婦でもある。伏羲は女媧と共に蛇身人首、または竜身人首の姿をしており、人間の上半身に蛇または竜の下半身を持った姿をしている。「史記(シキ)」三皇本紀では伏羲の母は「華胥(カショ)」という女性である。中国の北数千里の地に「華胥氏の国」という国があり、この国にただ「華胥氏」とだけ呼ばれている名無しの娘がいた。ある時この娘が「雷沢」という景観の美しい沼に遊びに行くと、沼の畔に巨大な足跡がある。興味を抱いた娘はこの足跡を自分の足で踏んでみた。すると不思議な事に彼女は身ごもったのである。そうして産まれたのが伏羲であった。この足跡は風雨や水を司る雷神のもので、華胥氏が雷神の足跡を踏んで身ごもって産まれた伏羲は、華胥氏と雷神の間の子供であるとも言われる。三皇としての伏羲は「淮南子(エナンジ、ワイナンシ)」によれば、彼は東方の天帝であり、白い服を着た人面鳥身の姿で二頭の竜に乗った木神「句芒」が補佐として伏羲に従っている。東方の天帝である伏羲は四季の内の春を管理している。また伏羲は八卦を作ったり、人間達に明文化した法を定め、男女の間に婚姻の制度をたて、更に火を起こして動物の肉を料理する術を発明し、網を発明し、網を使った漁を人々に教えた。更に書契(文字)や瑟(シツ)と呼ばれる楽器と音曲を発明したのも伏羲である。また中国全土を悩ませていた洪水を解決したいと悩む禹(ウ)が竜門山という山を開削していると、洞窟が現れ、禹がこの洞窟を奥に進むと洞窟の奥には、とても明るい殿堂の様な場所があった。そこには伏羲がおり、伏羲は禹に長さ一尺二寸の玉簡を授けた。この玉簡は天地の測量に役立ち、この後、禹が行った治水を大いに助けた。なぜ伏羲が洪水を治める術を知っていたかというと、それは伏羲が水を治める雷神の子であるからだという。伏羲と女媧が結合し、尾もしくは下半身を絡ませ、それぞれの手には、しばしばコンパスと曲尺を持っている姿が描かれている、画像石・画像磚(ガゾウセキ・ガゾウセン)には伏羲、女媧と共に日月星辰(ジツゲツセイシン)が描かれており、この二柱の神々は、宇宙の創造にも関与した始祖神であった事を表している。
出典:
神の文化史事典(白水社)
ドラゴン(新紀元社)
作者ひとこと:
伏羲のデザインは、冠を被り笏と釣り竿を持った男性の上半身と、とぐろを巻いた蛇の下半身を持った姿に描きました。
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