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2020年2月23日日曜日
「そそう神」
そそう神(ソソウガミ)
日本に伝わる神の一柱。そそう神は長野県茅野市宮川にある神社、諏訪大社前宮(スワタイシャマエミヤ)で行われる神事「御室神事(ミムロシンジ)」の祝詞(申し立て)に登場する神である。御室神事とは、旧暦12月22日になると、諏訪郡の郷民が奉仕して神原(前宮)の一部に建築した御室(ミムロ)と呼ばれる広大な竪穴建物に大祝(オオホウリ)、神長(ジンチョウ)以下神職が参籠して「穴巣始(アナスハジメ)」と呼ばれる儀式を始める。その穴巣始の儀式の中で、御室の中に「第一の御体」と「御体三所」と呼ばれるものが入れられて神職達に奉られるが、この内「第一の御体」とは、ミシャグジ(長野県の諏訪地域を中心に関東・近畿地方の一部に広がる民間信仰の神)の事、「御体三所」とは、そそう神の事であるとされる。室町時代成立の、神長による祭事の覚え書き「年代神事次第旧記」には、御体三所は「例式小へひ入」とあり、御体三所とは三つの蛇体であるとされ、小蛇に麻と紙をからめて立てられたものであるとされる。これは注連縄に紙を付け、大幣に麻を垂らすのと同じで、麻と紙をからめた小蛇を立たせたものに、そそう神の神霊を付着する為であるとされる。また旧暦12月25日の「大夜明祭」には、ハンノキの枝で出来た長さ5丈5尺(約16m)、太さ1尺5寸(約70cm)の蛇体3体と「又折(マタオリ)」(何を指すかは不明)が御室に入れられる。この蛇体は「御身体」または「ムサテ」と呼ばれており、このハンノキの枝で出来た蛇体も、そそう神であるとされる。また大小の蛇体が各々3体ずつ2日間を隔てて入れられている事について、「田中基」はこれについて、小蛇が大蛇に急成長する事で神霊である事を示した儀式的表現であると述べている。なお、蛇体が御室の中に安置されるのは、3月の卯の日までである。また御室神事関連の申し立て(祝詞)にも、そそう神が登場し、12月22日の神事と、23日の神事、25日の神事と二十番の舞、更に3月末日の神事の際に何度も繰り返される申し立てには、そそう神の出現の様が語られている。「かけまくもかしこ、常の跡に仍つて仕へまつる冬の御祭に、道の口・真志野神主(現在の諏訪市大字湖南の南真志野地区にある「のやきの原」(習焼神社周辺)を指す)のもとに、そそう神のあまわり給たれば、嬉しみ悦び給ひて、仕へまつりぬと、ぬかづか申す。道の中に、しんへいみ(不明)の本に、そそう神あまわり給ひたれば、嬉しみ悦び給ひて、仕へまつりぬと、ぬかづか申す。道の尻に有賀(アルガ)神主(現在の諏訪市大字豊田の有賀地区にある「こしき原(甑原・小敷原とも)」を指す)のもとに、そそう神あまわり給ひたれば、嬉しみ悦び給ひて、仕へまつりぬと、ぬかづか申す」。この祝詞は「道」の「口・中・尻」に、そそう神が現れ給うたので喜んで仕えるという内容である。諏訪大社上社神域の北限である有賀の「こしき原」、その次に真志野、そして大祝(最高位の神官にして現人神)が住む館「神殿(ゴウドノ)」の入口付近にある所政社(所末戸社)が、そそう神の出現の場所として特定されており、そそう神は諏訪湖の方角から神原(前宮)まで水平に現れる性質を持った神であると考えられる。またそそう神の正体については様々な説があり、女性器は「そそ」とも呼ばれている事から、そそう神は諏訪湖の方から水平的に訪れる女性的精霊と解釈される説があり、女性的精霊のそそう神と、上空から降りてくるミシャグジ(この説では、ミシャグジは男性的精霊とされる)とは対照的な存在であるとされている。この説では、御室の中に笹の付いたミシャグジ(ミシャグジの神霊を依り憑けた「御笹」)と、そそう神を象徴する蛇体が入れられるのは、ミシャグジとそそう神の2つの精霊の「聖婚」を表し、それとともに参籠する大祝は蛇との婚姻で生まれる聖なる子供である解釈する説である。またこの説では12月25日に演じられた神楽歌「総領申す」がかなり淫猥な表現になっている事から、御室神事が性的な意味を持っていたとする説である。また違う説においては、そそう神を「祖宗(ソソウ)神」、即ち、大祝の祖霊=建御名方神(タケミナカタノカミ)=諏訪明神を指すという。この説では御室神事を他界(根の国)からやって来る龍蛇の姿をしたそそう神=諏訪明神が御室に籠もる事によって、衰えた生命力(この説では諏訪明神の生命力をミシャグジとしている)を増殖させているという意味であると解釈する。またこの説によれば冬の御神渡り(冬期に諏訪湖の湖面上の氷に亀裂が走りせり上がる事)は本来、龍蛇神の祖霊神の出現の証として見られたとしている。
出典:
Wikipedia(「ミシャグジ」のページ)
作者ひとこと:
そそう神のデザインは、女性の人頭と蛇の体を持った神の姿に描きました。
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