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2020年4月25日土曜日

「海坊主」



海坊主(ウミボウズ)<海法師(ウミホウシ)、海入道(ウミニュウドウ)>

日本に伝わる海に住んでいる妖怪。その伝承は主に、日本各地の沿岸部に伝わっている。海坊主は夜間に海に出没する全身が真っ黒い坊主頭の巨人の姿をした妖怪で、それまで穏やかだった海面が突然盛り上がり、この妖怪が海中より現れる。そして現れた海坊主は船を破壊すると言われている。海坊主の大きさは、多くは数メートルから数十メートルで、かなり巨大であるとされるが、比較的小さな海坊主もいると伝えられている所もある。また、海坊主の顔などの特徴も様々に伝えられており、目があったり無かったり、頭に髪の毛が生えているとか、口を開けて笑った、など様々伝わっている。特に変わった姿の海坊主も伝わっており、明治21(1888)年12月26日の「都新聞」によると、和歌山県三井寺に、大猿の様な姿の体長7~8尺(約2.1~2.4m)、体重60~70貫(約225~263kg)の海坊主が上がったという。頭には茶色い髪が生え、橙色の目を持ち、口にワニ、腹は魚、尾はエビに似ており、その鳴き声は牛の様であったという。また、海坊主は巨人の様な巨大なものでは無く、裸体の坊主風なものが群れを成して船を襲うと伝えられている事も多く、それらの海坊主は船体や櫓(やぐら)に抱きついたり、船の篝火(かがりび)を消すといった行動をとるという。時に「ヤアヤア」と声を上げながら泳ぎ、櫓で殴ると「アイタタ」などと悲鳴を上げるという。この海坊主の弱点は煙草の煙であり、運悪く海坊主に出会ってしまった際には煙草を用意しておけば助かるという。海坊主は船を破壊する他にも、人を海中に引き込むともされている。そもそも海坊主を海上で見る事自体が不吉であるとされている事も多く、大抵海坊主を見てから天候が荒れ始めるのだと言われている。また、月末や盆、大晦日などに海へ出ると海坊主に出会うと言われている所も多い。随筆「雨窓閑話」に載っている話によると、桑名(現・三重県)では、月末には海上に海坊主が出るといわれ、船出を禁じられていた。徳蔵という船乗りが禁忌を破って、月末に一人で船に乗って海上に船出をした。すると海中から背の高さが一丈(約3m)程の海坊主が現れた。海坊主は徳蔵に「俺の姿は恐ろしいか」と訊いてきた。徳蔵は「世を渡る事以外に恐ろしいものはない」と答えると、海坊主は姿を消してしまったという。海坊主の姿を見る事は不吉とされている一方、愛媛県温泉郡中島町では反対に、海坊主の姿を見ると長寿になると伝わっている。姿を変化させる事が出来る海坊主も伝わっており、宮城県の気仙沼大島では、海坊主が美女の姿に変化し、人間と泳ぎを競ったという話がある。岩手県でも同様に言われるが、誘いに乗って泳ぐと海坊主はすぐに本性の巨大な姿に戻って、その人間を飲み込んでしまうという。愛媛県宇和島市では海坊主が按摩の座頭の姿に変化して、漁師の妻を殺したという話が伝わっている。東北地方では漁で最初に採れた魚を海の神に捧げるという風習があり、これを破ると海坊主が現れて船を壊し、船主を攫っていくと言われている。江戸時代の古典「奇異雑談集」では「黒坊主」という海坊主の記述がある。明応年間(1492年~1501年)に伊勢(三重県)から伊良湖(愛知県)に渡る船での話。この船の船頭は「独り女房」(乗員の中に女性が一人しかいない事。航海上の禁忌とされていた)を断ったのに、その女房の夫である善珍という人は女房を強引に船に乗せて出発させた。すると船は途中で暴風雨に遭い、船頭は、これは禁忌を破った事に対する龍神の怒りだと思って、乗員の荷から龍神の欲しがりそうな品物を次々に出しては海に投げ込ませた。しかし、暴風雨は収まらず、そのうちに海中から巨大な真っ黒な大入道の頭が波間に現れた。その頭の大きさは人間の頭の5~6人分程もあり、その目は天目(浅いすり鉢型の抹茶茶碗)の口の様に光り、この真っ黒い大入道の口は長く、まるで馬の様で、その大きさは2尺(約60cm)程であった。善珍の女房は意を決して、念仏を唱えながら海に身を投じると、この大入道の頭(黒入道)はその女房を咥えて、そして差し上げて見せた。その後、しばらくしてからやっと波風が弱まったという。この「奇異雑談集」の文中からでは、龍神と黒入道との関係が良く分からないが、おそらくは同じものと見なしているのだろう。この話の様に海坊主は龍神の零落した姿であるとされ、生贄を求めるものであるとも言われている。

出典:
Wikipedia
日本妖怪大事典(角川書店)

作者ひとこと:
海坊主のデザインは、龍神を表す「龍」と書かれた冠を被った坊主頭の怪物に描きました。

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