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2022年4月8日金曜日

「高乙那」


高乙那(コウルラ)

耽羅(タンラ、チンラ。済州島に古代から中世にかけて存在した王国)の神話に登場する神。耽羅の建国神話によると、年の順に「良乙那(ヤンウルラ)」「高乙那」「夫乙那(プウルラ)」の三人の神が、漢拏山(ハルラサン)北山麓にある「三姓穴」という三つの穴から生まれて吹き出て来た。この頃済州島には、まだ人間は存在しておらず、良乙那、高乙那、夫乙那の三人の神は当初、狩猟採集生活を送っていた。ある日、漢拏山に登った三人の神は、漢拏山から遠くの海を眺めていたところ、東方から流れてくる木の箱を発見した(北方から流れて来た、という説もある)。三人の神が木の箱を開けてみると、箱の中には東国の「碧浪国(へきろうこく)」から来た紅帯紫衣の使者と美しい三人の姫と、馬などの家畜と、五穀の種が入っていた。(あるとき、島の東の海岸に木の船が流れ着いたが、その船の中に石の箱があり、紫色の衣を着た使者が番をしていた。三人の神が石の箱を開けると、中に三人の美しい娘と、仔馬、仔牛、穀物の種が入っていた、とも言われている)。この時、紅帯紫衣の使者が三人の神に「この三人の姫は碧浪国王の娘であり、西海の島で国を開こうとしている三人の神の伴侶となる為に、碧浪国王の命令ではるばる送られて来たのだ」と告げた。そして、使命を遂げた使者は雲に乗って何処かへ行ってしまった。そこで、三人の神は生まれた順に三人の姫の中から妻を選び、それぞれの夫婦ごとに島の土地を分け合って、三人の神は別々に暮らし始めた。それぞれ三つの夫婦は、三人の姫と共にやって来た家畜や五穀の種を使って、産業と五穀の栽培を始めた。やがてそれぞれの夫婦の子孫達も増えていき、集落をつくるようになった。その結果、最初の三組の夫婦がそれぞれ住む事になった土地が、耽羅の第一の都、第二の都、第三の都になったという。三人の神とその妻の三人の姫は、耽羅の人々の先祖であると言われている。最初の三組の夫婦とその子孫達は、産業と五穀の栽培を始めて集落をつくるようになり、それから約900年後に人々の人望を集めた高乙那(高氏)を王として、初めて「耽羅」という王国が成立したと言われている。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
Wikipedia(「耽羅」のページ、「済州島」のページ、「三姓神話」のページ)

作者ひとこと:
高乙那のデザインは、頭に冠を被った神の姿に描きました。

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