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2023年1月30日月曜日

「アテン」


アテン

エジプト神話に登場する神の内の一柱。このアテンは太陽神であり、太陽が最も強く輝いている時を神格化した神である。アテンは、隼の頭をもった男性の姿や、太陽を表す円盤を頭部にいただく隼の姿で描かれていた。しかし後に、エジプト十字とも言われる「アンク」がぶら下がった円盤の様な姿で描かれるようになった。このアンクがぶら下がった円盤の様な姿は、アテンが唯一神とされた後のものであると考えられる。アテンはまた、同じ太陽神である「ラー」と同一視される事もあった。エジプト第18王朝では、太陽神「アメン」を主神としていた。この頃のファラオにもアメンを含む名が見られる。アメンホテプ4世も第18王朝のファラオだが、彼はアメンではなくアテンを熱心に信仰していた。ファラオになった彼は、全ての人が崇拝する神が必要であると考えた。アメンの神官の力が強くなりすぎていた事を危惧していたとも言われている。そこでアメンホテプ4世は、アメンと同じくラーと結びつけられている太陽神アテンを唯一神とし、他の神々への信仰を禁じたのである。唯一神となったアテンは、全ての生命の親であり、全能の神であるとされるようになった。その神性は慈悲深く、法と正義である女神「マアト」を遵守する神聖な存在であると広められた。太陽そのものがアテンであるとし、像に祈りを捧げる事もなくなった。ファラオとその妻はアテンから送られる生命のエネルギーを仲介する、アテンそのものに等しい存在であるとした。この様な宗教改革は古代エジプトにおいてははじめての事ながら、実は他の一神教と非常に近い内容であった。しかし、古代エジプトの人々は一神教になじみがなく、長く複数の神々を崇めることに親しんでいた為、唯一神のアテン信仰を受け入れるのが難しかった。また、アメンホテプ4世は、この宗教改革に力を入れすぎるあまり、内政をおろそかにしてしまったともいう。改名してアクエンアテンと名乗っていた王(アメンホテプ4世)がこの世を去ると、その息子トゥトアンクアメン(ツタンカーメン)によってアテン信仰は撤廃された。アテンが唯一神とされていた期間は、ファラオにして一代のみの短いものであった。アテンという名前は「太陽の円盤」を意味する。唯一神のアテンは、巨大な赤い日輪と、そこから伸びる先端が手の形をした光線とで表されるようになった。この光線はアテンの美しさをファラオにまで及ぼすものと考えられた。また、アテンはラーと同一視されたが、アテンはラーを起源とする神であるとも考えられている。

出典:
神魔精妖名辞典
ゼロからわかるエジプト神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
アテンのデザインは、大きな一つ目をもった日輪の姿の太陽神に描きました。日輪から放たれる手の形をした光線がアンクを持っています。

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