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2023年2月19日日曜日

「伊奢沙別命」


伊奢沙別命(イザサワケノミコト)

日本神話に登場する神の内の一柱。伊奢沙別命は、福井県敦賀市の気比神宮の祭神で、「気比大神(ケヒノオオカミ)」あるいは「御食津神(ミケツノカミ)」とも呼ばれ、古くから航海の神、漁業の神、農業の神として北陸・敦賀地方の人々に信仰されてきた有力神である。気比大神の「ケヒ」は「食飯(けい)」の意味で、御食神という呼び名は食物神としての性格を示している。とくに、具体的な機能的特徴としてあげられるのが、農業を守護する風の神としての働きである。その霊威のほどは、大和(奈良県)の龍田神社や広瀬神社の風神と並び称されたほどである。古代には朝廷から厚く崇敬され、日本の神々の中でも重要な位置を占めた気比神宮には、新羅遠征の後、「神功皇后(ジングウコウゴウ)」が参拝したという伝承があり、歴史的には遣唐使の盛んな時代に、遣唐使の乗った船の航海の無事を祈願して、しばしば朝廷が幣帛を奉じた記録も残っている。伊奢沙別命の別名の御食津神に関して、「古事記」の「仲哀天皇(チュウアイテンノウ)」の条の「名替え」の話がよく知られている。仲哀天皇の皇太子となった「品陀和気命(ホムダワケノミコト)」(後の応神天皇(オウジンテンノウ))は、「武内宿禰(タケノウチノスクネ)」を随行して敦賀国(福井県)の気比大神に参拝し、禊をするために仮宮を立てて滞在した。その時、伊奢沙別命が夢の中に現れて、「私の名を太子の名と交換しよう」と告げた。その言葉に従うと答えると、神は「明日の朝、浜辺に出ると名前を交換した印の贈物があるだろう」と告げた。翌朝海辺に行ってみると、そこにはイルカが打ち上げられていた。それで品陀和気命は「神が御食(みけ)の魚(な)をくださった」と言って、神の名を御食津神と呼んだという。なお、この時名前を交換して、気比大神が伊奢沙別命に、皇太子が品陀和気命となったという説もあると、応神天皇即位の条には記されている。

出典:
「日本の神様」がよくわかる本(PHP文庫)

作者ひとこと:
伊奢沙別命のデザインは、後ろにイルカを引き連れている、半人半魚の姿の神に描きました。

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