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2020年1月30日木曜日
「淡島神」
淡島神(アワシマノカミ)<淡島様(アワシマサマ)、淡島大明神(アワシマダイミョウジン>
日本神話に登場する神。「古事記(コジキ)」によると、「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」は「別天津神(コトアマツカミ)」たちに天沼矛(アメノヌボコ)を手渡され、「この漂(ただよ)へる國(くに)を修(おさ)め理(つく)り固め成せ」と、漂っていた大地を完成させるよう命じられる。そこで伊邪那岐命と伊邪那美命は天沼矛を持って、空に浮かんでいる、天の神が下界に降りる時に使う橋、天浮橋(アメノウキハシ)に立って、ここから二柱は天沼矛を降ろして、下界の海を「こをろこをろ」と音を鳴らしてかき回した。そして天沼矛を持ち上げると、天沼矛から滴り落ちた塩が海上に積み重なって淤能碁呂嶋(オノゴロジマ)という島になった。伊邪那岐命と伊邪那美命は淤能碁呂嶋に降り立ち、淤能碁呂嶋に「天の御柱(アメノミハシラ※天を支える柱)」と「八尋殿(ヤヒロドノ※広大な殿舎。縦横14.5mくらいの建物とされる)」を建てた。その後、ここで伊邪那岐命が女神である伊邪那美命に「汝が身は如何(いか)に成れる(あなたの身体はどのように出来ているか)」と尋ねると、伊邪那美命は「吾が身は、成り成りて成り合はざる處(ところ)一處(ひとところ)あり(私の身体にはどんどん出来上がって(それでも)足りない処が一箇所ある)」(※成長し切っていながら隙間が合わさって塞がることのない処。女陰の事)と答えた。そこで伊邪那岐命は「我が身は、成り成りて成り餘(あま)れる處一處あり。故(かれ)、この吾が身の成り餘れる處をもちて、汝が身の成り合はざる處にさし塞ぎて、國(くに)土を生み成さむと以爲(おも)ふ。生むこと奈何(いかに)(私の身体にはどんどん出来上がって余っている処が一箇所ある。そこで、この私の成長して余った処であなたの成長して足りない処を刺して塞いで国土を生みたいと思う。生むのはどうか)」(※成長し切って余分に出来ている処。男根の事)というと、伊邪那美命は「然善(しかよ)けむ(それは善いことでしょう)」と答えた。こうして伊邪那岐命と伊邪那美命は結婚する事になった。そこで、伊邪那岐命は「それならば、私とあなたとで、この天の御柱の周りを巡って出逢い、「御陰の目合(ミトノメグワイ※陰部の交わり)」をしよう)」と言った。こうして二柱は結婚の儀式を始めた。淤能碁呂嶋に立った天の御柱を伊邪那岐命は左回りに、伊邪那美命は右回りに天の御柱の周囲を回った後で、出逢うと互いに声を掛けた。先ずは伊邪那美命が先に伊邪那岐命に対して「阿那迩夜志愛袁登古袁(あなにやし、えをとこを)」(※ああなんと、素晴らしい男性)と伊邪那岐命を褒め、次に伊邪那岐命が伊邪那美命に対して「阿那邇夜志愛袁登売袁(あなにやし、えをとめを)」(※ああなんと、素晴らしい乙女)と伊邪那美命を褒めてから二柱は寝所で目合って(性交して)子供を作った。しかし女神である伊邪那美命の方から誘った為、正しい交わりでなかったという事で、まともな子供が生まれなかった。最初に生まれたのは不具の子である「水蛭子(ヒルコ)」であった。水蛭子は体が蛭の様で、体に骨が無い姿をしていたと言われており、伊邪那岐命と伊邪那美命はこの水蛭子を葦船(アシブネ)に乗せて海へと流してしまった(「日本書紀(ニホンショキ)」の場合は水蛭子を堅固な樟(くす)で作った船「天磐櫲樟船(アマノイワクスブネ)に乗せたと記されている)。水蛭子の次に生まれたのが淡島であった。淡島も明記こそされていないものの、不具の子であったので、水蛭子と同じく淡島も伊邪那岐命と伊邪那美命によって葦船に乗せられて海へと流されてしまった。この水蛭子も淡島も伊邪那岐命と伊邪那美命の子供の内に数えられていない。また民間信仰として「淡島神(アワシマノカミ)」という神が祀られている。この神は和歌山県和歌山市加太(カダ)の淡島神社の祭神であり、淡島神は婦人病治療や安産、子授け、裁縫などの家事の上達、更に人形供養など女性に関するあらゆる事に霊験のある神であるとされる。この淡島神の本体(正体)とされる神の一柱として、淡島こそが淡島神の本体であるという説がある。
出典:
Wikipedia(「国産み」、「淡島神」のページ)
図解日本神話(新紀元社)
作者ひとこと:
淡島神のデザインは、水泡の様な頭を持った童子の姿の神に描きました。
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