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2020年2月6日木曜日
「手置帆負神」
手置帆負神(タオキホオイノカミ、タキホイノカミ)<手置帆負命(タオキホオイノミコト、タキホイノミコト)>
日本神話に登場する神。「日本書紀(ニホンショキ)」によれば、国譲りの際、高天原の長である高御産巣日神(タカミムスビノカミ)が国津神のオオクニヌシノカミ(オオクニヌシノカミ)を祀る為に派遣された神事に関連する神の一柱で、手置帆負神は「作笠者(カサヌイ※笠を作る職人)」として遣わされた。また「古語拾遺(コゴシュウイ)」では、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸(アマノイワト)に隠れてしまい、世界が常闇となってしまい困り果てた神々は、その打開策を知恵の神である「思兼命(オモイカネノミコト)」に考えさせる。思兼命は「太玉命(フトダマノミコト)を中心に、太玉命の配下の神々を率いて、天照大御神の心を和ませる為に大御神に捧げる和弊を作らせよう」と提案する。その提案に従って神々はそれぞれ分担して和弊を製作した。手置帆負神は彦狭知神と共に「天御量(アマツミハカリ※天上の物差し)を持って、大小の木材を切り出し、その木材で「瑞殿(ミズノミアラカ※立派な宮殿)を造宮し、祭具として使う笠や矛、盾を作った。また同じく「古語拾遺」の他の段では太玉命の孫とされる「天富命(アメノトミノミコト)」が手置帆負神の子孫と、彦狭知神の子孫達を率いて、神武天皇即位の時に、「斎斧(イミオノ)」と「斎鉏(イミスキ)」を用いて木材を切り出し、「邇邇藝命(ニニギノミコト)」を奉る為の「美豆乃御殿(ミズノミアラカ)」を造宮した。手置帆負神という神名の「タオキ」は「手伎(タキ=手で行う事)」、「ホオイ」は「秀胤(ホヒ=秀でた血筋)」と解して、この神が手工に熟達している事を表すと解される。また手置帆負神が神社に祀られる時は、彦狭知神と共に祀られている。
出典:
神魔精妖名辞典
週刊 日本の神社(デアゴスティーニ・ジャパン)
⇒第20号「熱田神宮」、第116号「雄山神社」(「神話を読む」のページ)
作者ひとこと:
手置帆負神のデザインは両手に盾を持ち、顔に盾の様な仮面を付けた神の姿に描きました。
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