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2021年6月16日水曜日

「一言主神」


一言主神(ヒトコトヌシノカミ)

日本神話(「日本書紀」「古事記」の記紀神話)に登場する神。一言主神は、「古事記(712年)」の下つ巻に登場するのが初出である。それによると460年(雄略天皇4年)、雄略天皇(ユウリャクテンノウ)が葛城山へ鹿狩りをしに行った時、紅紐の付いた青摺の衣を着た、雄略天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見付けた。雄略天皇が、その相手に名を問うと、相手は「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えた。雄略天皇は恐れ入り、弓や矢の他、官吏達の着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げた。一言主神はそれを受け取り、雄略天皇の一行を見送った、とある。少し後の720年に書かれた「日本書紀」では、雄略天皇が一事主神(一言主神)に出会う所までは同じだが、その後共に狩りをして楽しんだ、と書かれていて、一言主神と雄略天皇が対等の立場になっている。時代が下がって797年に書かれた「続日本紀」の巻25では、高鴨神(一言主神)が雄略天皇と獲物を争ったため、雄略天皇の怒りに触れて土佐国(現在の高知県)に流された、と書かれている。これは、一言主神を祀っていた氏族・賀茂氏の地位がこの間に低下したためではないかと言われている(ただし、「高鴨神」は、現在高鴨神社に祀られている「迦毛大御神(カモノオオミカミ)」こと「味耜高彦根神(アヂスキタカヒコネノカミ)」の事であるとする説もある)。更に、822年の「日本霊異記」では、一語主(一言主神)は役行者(エンノギョウジャ)に使役される神にまで地位が低下しており、役行者が伊豆国(現在の静岡県伊豆半島、東京都伊豆諸島)に流されたのは、役行者に不満を持った一言主神が朝廷に讒言したためである、と書かれている。役行者は一言主神を呪法で縛り、「日本霊異記」執筆の時点でもまだそれが解けていないとある。また、能の演目「葛城」では、一言主神は女神とされている。葛城山麓の奈良県御所市にある「葛城一言主神社」は全国の一言主神社の総本社となっている。地元では「いちごんさん」と呼ばれており、一言の願いであれば何でも聞き届ける神とされ、「無言まいり」の神として信仰されている。この他、「続日本紀」で一言主神が流されたと書かれている土佐国には、一言主神を祀る「土佐神社」があり、土佐国一宮になっている。ただし、この土佐神社に祀られているのは味耜高彦根神であるとする説もあり、現在、土佐神社では一言主神・味耜高彦根神の両神ともが主祭神とされている。また、一言主神は名前の類似から、「大国主神(オオクニヌシノカミ)」の子の「事代主神(コトシロヌシノカミ)」と同一視される事もある。

出典:
Wikipedia

作者ひとこと:
一言主神のデザインは、山の精霊や山の神をイメージした姿に描きました。これが本当の姿で、この姿から人間など様々な姿に変化出来るイメージです。

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