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2021年6月15日火曜日

「アリエ」


アリエ

日本に伝わる妖怪の一種。アリエは、明治9年(1876年)6月17日の「甲府日々新聞(山梨日々新聞)」や、その記事を転載した「長野新聞」で報じられた妖怪である。ある時から肥後国(現在の熊本県)青鳥郡の海に4本脚の奇怪な怪物が現れ、夜になれば往来へ出て鱗を光らせながら歩く様になった。この怪物は通る者を呼び止めるが、誰一人として寄りつこうとはせず、やがてその道を通る人は絶えてしまった。この噂を聞いた旧熊本藩の士族の柴田某という者が、この怪物の正体を見届けようと出かけ、遭遇したこの怪物を咎めると、怪物は「我こそは海中鱗獣の首魁にて名はアリエ」と名乗った。更にアリエは、自分には吉凶を見抜く術を持っている、と語った上で「今年から6年間は豊年が続くが、6月からはコロリに似た病気が流行して、世の人々は六分どおり死に失せてしまう。しかし身共を図にして、それを朝な夕なに信心すれば、その難を避ける事が出来る」と告げると、海中に姿を消したという。この話を受けてアリエの絵を稼業もなげうって信心する人が出たという話を、出雲国(現在の島根県東部)の船頭が新潟県で語ったと、山梨日々新聞は報じた上で「アリエと称する図を家々で信心する者が出た地方があるらしいが、この様な行動は迷信である」とも書いている。肥後国にアリエが出現したとされるこの話は、登場する単語などの類似性から「アマビコ」、「アマビエ」に類するものであると、湯本豪一(ゆもと こういち)が指摘しており、似た内容は「海出人(ウミデビト)」などにも見られる。明治時代前期にも同様な瓦版の類が周期的に出回っていた例の一つであると見られている。また出雲国の船頭達が、このアリエの図についての話を新潟の地で語った、という箇所については、当時の物流を担っていた北前船の航路における往来を踏まえたものと見られ、当時の人々が自然にイメージ可能な伝播経路であると言えるが、新聞記事にあるように、この箇所自体も「アリエの話」として一括に語られていたと見れば、「アリエの絵を稼業もなげうって信心する人」が出たという話も、事実では無く噂の中でのものと考えられよう明治9年9月30日の長野新聞にもこのアリエについての記事が引用されているが、長野新聞は先立つ同年6月21日の紙面に、肥後国青沼郡に出た「尼彦入道(アマビコニュウドウ)」という妖怪の図を既に報じており、アリエについて掲載した6月30日の紙面では「青鳥郡」も「青沼郡」も共に肥後国・熊本県に実在しない郡である点を強調して、内容そのものが妄説であるとして、アリエ・尼彦入道のどちらについても否定している。江戸時代の同様な記事を取り扱った瓦版とは異なり、文明開化の時代・新聞の読者層には合わないものであると締めくくるかたちの文章は、明治時代の新聞記事での特徴でもある。

出典:
Wikipedia
[妖怪図鑑]新版TYZ

作者ひとこと:
アリエのデザインは、頭に長い頭髪を生やした半獣半魚の様な姿の妖怪に描きました。

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