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2021年6月18日金曜日

「木花之佐久夜毘売命」


木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤヒメノミコト)<木花咲弥姫命、神阿多都比売、豊吾田津媛命、神吾田鹿草津姫命、許乃波奈佐久夜比売命、木花咲夜姫、木華開耶姫、木花之開耶姫、木花開耶媛命、神阿多都比売、神吾田津姫、神吾田鹿葦津姫、鹿葦津姫、桜大刀自神、身島姫神、酒解子神 等>

日本神話(「日本書紀」「古事記」の記紀神話)に登場する女神。神話によると木花之佐久夜毘売命は、日向に降臨した、「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の孫「邇邇芸命(ニニギノミコト)」と、笠沙の岬で出逢い、邇邇芸命から求婚される。木花之佐久夜毘売命の父である「大山津見神(オオヤマツミノカミ)」はそれを喜んで、木花之佐久夜毘売命と、その姉である「石長比売命(イワナガヒメノミコト)」を共に、邇邇芸命に差し出したが、邇邇芸命は醜い石長比売命を送り返し、美しい妹の木花之佐久夜毘売命とだけ結婚した。大山津見神はこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのは石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇芸命)の命は岩の様に永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。木花之佐久夜毘売だけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花の様に儚くなるだろう」と告げた。それで、その子孫の天皇の寿命も神々ほどは長くないのである。その後、木花之佐久夜毘売命は一夜で子を身籠るが、邇邇芸命は国津神の子ではないかと疑った。その疑いを晴らすために、木花之佐久夜毘売命は誓約をして産屋に入り、「天津神である邇邇芸命の本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放って、その産屋の中で無事に三柱の子を産んだ。火が盛んに燃えた時に産んだ子を「火照命(ホデリノミコト)」、火が弱くなった時の子を「火須勢理命(ホスセリノミコト)」、火が消えた時の子を「火遠理命(ホオリノミコト)」という。この中の火遠理命の孫が初代天皇の「神武天皇(ジンムテンノウ)」である。木花之佐久夜毘売命の本名である「神阿多都比売(カムアタツヒメ)」の「阿多」は鹿児島県加世田市から野間半島にわたる地域、また薩摩国阿多郡(鹿児島県西部)にちなむ名で、木花之佐久夜毘売命の別名である「神吾田鹿葦津姫(カムアタカアシツヒメ)」の「鹿葦」も薩摩の地名であるという「神阿多都比売」の名義は「神聖な、阿多の女性(巫女)」とされ、「木花之佐久夜毘売」の「木花」は「桜の花」、「之」は格助詞、「佐久」は「咲く」、「夜」は間投助詞、「毘売」は「女性」と解し、名義は「桜の花の咲くように咲き栄える女性」と考えられる。なお桜は神木であり、その花の咲き散る生態によって年穀を占う木と信じられた。神名は咲くことを主にすれば「木花之佐久夜毘売」となり、散ることを主にすれば「木花知流比売(コノハナチルヒメ)」となるとされる。木花之佐久夜毘売命は、富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られている浅間神社の他、安産や子育ての神として子安神社(皇大神宮所管社、東京都八王子市、千葉県旭市など)に、「酒解子神(サカトケコノカミ)」として梅宮大社(京都府京都市右京区)に、また、伊都国(いとこく)の中心とされる福岡県糸島市三雲の細石神社(さざれいしじんじゃ)にも姉の石長比売命と共に祀られている。

出典:
Wikipedia

作者ひとこと:
木花之佐久夜毘売命のデザインは、名前にちなんだ桜の花が、頭に付けている笠、身に着けている衣、手にしている扇までについている姿の女神に描きました。

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