白溶裔(シロウネリ)<白容裔>
日本に伝わる妖怪で、江戸時代中期の画家、浮世絵師の「鳥山石燕(とりやま せきえん)」の妖怪画集「画図百器徒然袋(がずひゃっきつれづれぶくろ)」に描かれている。画図百器徒然袋には、ぼろい布で出来た竜の様な姿の妖怪が描かれており、解説には「白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ」と記されている。「白うるり」とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家「吉田兼好(よしだ けんこう)」が書いたとされる随筆「徒然草(つれづれぐさ)」第六十段に登場する、芋頭が異常に好きな坊主のあだ名である。白溶裔は、この白うるりという名前をもじって名付けられたものであり、石燕の創作による妖怪であると考えられている。石燕による解説文には「ふるき布巾のばけたるもの」とあり、この白溶裔という妖怪は、古い布巾や布雑巾が化けたものとされる。なお、石燕の「シロウネリ」の表記は絵では「白容裔」の文字が用いられているが、目次部分では「白溶裔」が使われている。この「白容裔」の容裔の部分、「容裔(ようえい)」という熟語は「風でものがなびく様子」を示す。昭和・平成以降の妖怪関連の書籍では、「白うねり」あるいは「白溶裔」と表記され、古い雑巾や布巾がこの妖怪に変化し、この白溶裔は人間を襲い、白溶裔の体を覆う不快な粘液と全身から放つ悪臭で人間を気絶させる、という解説がしばしば見られるが、これは小説家の「山田野理夫(やまだ のりお)」の著作「東北怪談の旅」に収録されている「古ぞうきんの仇討ち」における古雑巾の行動などが引用されていると見られている。同書では岩手県の藩士を下女が殺して逃げようとしたところ、家の古雑巾が下女の顔に飛びつき、そのまま下女を窒息死させたとある。
出典:
Wikipedia
日本妖怪大事典(角川書店)
作者ひとこと:
白溶裔のデザインは、「画図百器徒然袋」の絵を参考にして、竜の様な姿の雑巾か布巾の妖怪の姿に描きました。
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