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2022年4月2日土曜日

「慈充姫」


慈充姫(チャチュンビ)

済州島(ちぇじゅとう、さいしゅうとう)の神話に登場する地母神。「慈充」とは、歴史書「三国史記(さんごくしき)」新羅本紀によれば、シャーマンの事をいう。神話では、慈充姫は、舅の所に行ったきりの「文道令(ムンドリョン)」を追いかけて、下男の「丁雄男(チョンスナム)」と旅に出た。しかし旅で、慈充姫は丁雄男にいいようにあしらわれたので、慈充姫は怒って丁雄男を殺してしまい、その事で慈充姫は、実の母親から家を追い出されてしまう。家を追い出された慈充姫は「魔鬼婆(マキババア)」の養女となる。だが慈充姫は、訪ねて来た文道令を針で刺してしまい、その事で慈充姫は、魔鬼婆からも追い出された。けれど慈充姫は、文道令が実は慈充姫に恋い焦がれている事を知ると、機知を使って天に赴く。天にやって来た慈充姫は、天にいる文道令の父親と母親(舅、姑)の試しを突破し、正式に文道令の妻となった。更に慈充姫は、悪漢に殺された文道令を蘇らせた。後に「文宣王(ムンソンワン。文道令の父親)」は、文道令を上つ農神(セキョン。農耕神)、慈充姫を中つ農神、丁雄男を下つ農神とし、この三神に五穀豊穣を司らせた。慈充姫は五穀の種を持って地上に降りたが、蕎麦と菜の種を忘れて、後で取りに戻った。だから二穀は栽培時期が違うのだという。慈充姫は、美しい女神であるが、また非常に勇ましく、別の神話では武装し、戦いに赴く場面もある。戦で慈充姫は、五善の鎧を身に着け、高麗穴熊の兜をかぶり、千里馬に跨がっていた。この時、慈充姫は「匕首剣(ヒシュケン)」という武器を持っていた。匕首剣は、特に良く切れる鍔の無い短刀である(この匕首剣という名称は、特別なものではなく一般的な名前のようだ)。この匕首剣は、慈充姫が戦に出る前に14日かけて作ったという。戦場では、空高く飛び上がった慈充姫が、匕首剣を左に振れば三千の軍勢が一度に倒れ、右に振れば五千の兵達が倒れたという。

出典:
幻想世界神話辞典
東洋神名事典(新紀元社)

作者ひとこと:
慈充姫のデザインは、手に剣を持った女神の姿に描きました。

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