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2022年7月11日月曜日

「サテュロス」


サテュロス(複数形「サテュロイ」)

ギリシア神話やローマ神話に登場する半人半獣の自然の精霊である。サテュロスは、ローマの森の精霊「ファウヌス」やギリシアの牧羊神「パーン」としばしば同一視された。またサテュロスは、「自然の豊穣の化身、欲情の塊」として表現される。サテュロスは、森や山に出没し、パーンや「ディオニュソス」がサテュロス達の仲間である。ホメーロスによる言及はないものの、ヘーシオドスの著作の断片では、サテュロスは、山のニュンペーや「クーレース(大地の女神レアーを崇拝する9人の男性の精霊の踊り手)」の兄と呼ばれており、サテュロスは怠惰で無用の種族とされている。サテュロス達はディオニュソス信仰と強く結び付いている。男性のディオニュソス信者がサテュロスで、女性のディオニュソス信者が「マイナス、マイナデス」である。サテュロス達は悪戯好きだったが、同時に小心者でもあった。また破壊的で危険であり、また恥ずかしがり屋で臆病だった。サテュロス達はワインと女性と男性(美少年)を愛した。アウロスという笛、シンバル、カスタネット、バグパイプといった楽器の奏でる音楽に乗って、ニュンペー達と踊ったり、彼女達を口説いたりした。サテュロスは、人間にとっては激しい恐怖だった。サテュロス達はディオニュソスのドンチャン騒ぎに絡めて語られる事が多く、ギリシアの神話や伝説の中ではマイナーな存在である。サテュロス達はスキニスという特徴ある踊りを踊った。またサテュロスは、本能的にあらゆる肉体的快楽をむさぼろうとした。サテュロス達は、葡萄と蔦で作った花輪を頭に載せ、ディオニュソスに倣って豹や山羊、子鹿の皮を纏っていたが、それ以外は裸で、ファルスを聳え立たせていた。またサテュロス達はワイングラスを手に持って描かれる事がしばしばであって、ワイングラスの装飾としても用いられる事がある。サテュロス達は、しばしば松毬を先に付けたディオニュソスの杖、テュルソスを持ち歩いている。サテュロス達は不死の神ではなく、歳を取れば死んだ。彩色花器等ギリシアの工芸品に、人間の人生の三段階に合わせたサテュロスの絵がある。成人したサテュロスは顎髭があり、禿げている。禿げている事はギリシア文化においては屈辱的で体裁の悪い事だった。高齢のサテュロスは通常「シーレーノス」と呼ばれた。半人半馬の飲んだくれであるシーレーノスは、パーンの息子といわれ、ディオニュソスの養父、先生にして酒のみ仲間である。またサテュロスは、暴力によっても死んだ。サテュロス達は、神話上のディオニュソスのインド行軍で戦死している。またノンノスによると、サテュロスの一人「マルシュアース」は、太陽神「アポローン」と音楽の腕を競って敗れ、罰として生きながら全身の皮を剥がされて死んだ。成熟したサテュロスは、前頭部に山羊の角を持つが、若いサテュロスはそこに骨ばった突起を生やしている。アッティカの彩色花器に描かれたサテュロスは平らな鼻、尖った大きな耳、長く巻いた髪、立派な顎髭、馬か山羊の尾部を持っている。乳首の様な突起を頚部に持つ事もある。サテュロス達は様々なスタイルで描かれる。上半身が人間で下半身が山羊というのが最も多い。時には頭に角を生やしている。また、それほど多くはないが、下半身が馬である事もある。いずれにせよ、長くて太い尾と、常時勃起しっぱなしの陰茎を持っている。時代が下るにつれ、人間風に描かれる様になり、獣としての性格を失っていく。最後は尻尾だけがサテュロスであることを伺わせるところまで至った。初期のギリシアでは、サテュロスは年老いた怪物的な姿で描かれ、下半身も人間の姿であった。ギリシアの彫刻や絵画に描かれているサテュロスも、紀元前4世紀以前のものは人の姿をしている事が多いが、それを境に半人半獣の姿で描かれる事が多くなっていった。後年の作品では、特にアッティカにおいて、獰猛な性格は和らげられ、もっと若く優美な特徴を示すようになった。プラクシテレースの複製と言われている有名な像では、サテュロスは笛を手にし、優美に木にもたれている。年寄りのサテュロスはシーレーノス、若いサテュロスは「サテュリスキ」と呼ばれた。ローマでは、サテュロスは森の精ファウヌスにまつわる広く知られた詩的な想像と混淆した。また、粗野な精であるパーンとも関連づけられ、サテュロスはパーンの眷属と見なされた。ギリシアでは優美なサテュロスが描かれるようになったが、ローマでは再び臀部から蹄までが山羊に似た姿にイメージされた。ローマのサテュロスは、しばしば大きな角を持って描かれる。小羊の角の場合もある。

出典:
Wikipedia

作者ひとこと:
サテュロスのデザインは、巨大なペニスを持った半人半山羊の姿の精霊に描きました。

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