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2022年10月27日木曜日

「クマルビ」


クマルビ

北メソポタミア、及びその東西の地域に居住していたフリ人の神話に登場する神の内の一柱。クマルビは主要な神で、「神々の父」とも呼ばれた。ヒッタイトではシュメール・アッカドの最高神「エンリル」や穀物神「ハルキ」などとしばしば同一視され、シリアでは、ウガリットの最高神「エル」や「ダガン」に対応すると見なされた。またクマルビは、天上の神々の世界を追われた「古の神」として冥界とも関わりを持っていた。天上界の王権をめぐる、天候神「テシュブ」との争いを主題とするフリ人系の神話群がある。神話群の冒頭の「クマルビの歌」では「アラル」「アヌ」、そしてクマルビへと続く神々の王統の交代が語られる。アヌは、天空神アラルから玉座を奪い取り、一度は反撃を受けたものの、後に復讐を遂げて、アヌは王権を簒奪した。王権を簒奪して神々の王となったアヌには、クマルビが臣下として仕えていた。しかしクマルビは野心家であり、とうとう、ある時クマルビはアヌを討ち破り、アヌから王権を簒奪した(遠い昔、天上ではアラルという神が統治していた。十年目に、アラルに仕えていた大臣アヌは反乱を起こして王位についた。王位に就いたアヌにはクマルビが大臣になって仕えた。九年目に、今度はクマルビが反乱を起こした、とも言われている)。アヌから王権を簒奪したクマルビは、アヌが子を残さぬようアヌの男根を食いちぎり飲み込んでしまう。勝ち誇るクマルビに、アヌは「お前は3つの子種を宿した」と告げる。これを聞いたクマルビは、慌てて吐き出したが、どうしても1つだけ吐き出す事が出来なかった。その子種がテシュブだ。クマルビは図らずも最大のライバルである天候神テシュブを自らの体内に宿してしまったのである(アヌは逃げ出したが、クマルビは追い掛けてアヌの男根に噛みついた。アヌの精子がクマルビの体内に入ると、アヌはクマルビに「お前は体内に三柱の恐るべき神々の精子を吞みこんだのだ。お前はそれによって破滅するだろう」と言った。クマルビはすぐそれを吐き出そうとし、二柱の神が吐き出されて神々の住まいであるガンズラ山へ落ちていった、しかし残った一柱・テシュブはクマルビの体内で育った、とも言われている)。文章の保存状態が悪く、その後の展開については不明な点が多いが、クマルビは、自らの体内から生まれた天候神テシュブと熾烈な戦いを演じた末、敗れ、神々の王の座を奪われたと考えられている(クマルビから知恵を吸収し完璧な形で生まれる事を望んだテシュブは、知恵の神「エンキ」の帝王切開により、クマルビから成人の姿で誕生した。その後、アヌからクマルビの非道を聞いたテシュブは、父であるクマルビに戦いを挑んで勝利し、テシュブはアヌの後継者となった、という説もある)。アラル→アヌ→クマルビ→テシュブという神々の王の交代は、ヘシオドス「神統記」のウラノス→クロノス→ゼウスというギリシアの系譜と顕著な類似を示しており、早くからギリシア神話との影響関係が注目された。クマルビは、神々の王の座をテシュブに奪われたが、しかしクマルビは、その後も執念深く王座を狙い続け、クマルビのテシュブに対する王座奪還の戦いは、クマルビの意をうけた、クマルビの子供達に引き継がれる。クマルビの子供達とテシュブとの戦いを扱ったものには「ランマ神の歌」「銀の歌」「ヘダンム(竜神)の歌」「ウリクンミの歌」が知られている。ボアズキョイ近郊のヤズルカヤ(ヒッタイト時代の岩の聖所)の男神の浮彫り像の先頭(天候神テシュブ)から三番目の植物(麦穂?)を手にしている男神像はクマルビを表わしたものと考えられている。

出典:
神の文化史事典(白水社)
世界の神話伝説・総解説(自由国民社)
ゼロからわかるメソポタミア神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
クマルビのデザインは、四本腕を持った神の姿に描きました。手には短剣や食い千切った男根などを持っています。

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