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2022年10月28日金曜日

「普賢菩薩」


普賢菩薩(フゲンボサツ)

仏教の信仰対象である菩薩の内の一尊。普賢菩薩という名前の「普賢」は、「三曼多跋陀羅(サンマンタバダラ)(サンスクリット語での名前「サマンタバドラ」)」の訳で、仏の慈悲の究極を意味する。普賢菩薩は、大乗仏教の菩薩の中でも特に仏の理性を示す菩薩であり、諸菩薩の上位とされる。普賢菩薩は、「文殊菩薩(モンジュボサツ)」とともに「釈迦如来(シャカニョライ)」の脇侍としても表される。この普賢菩薩は、慈悲を司り、堅固な菩提心を持ち、また女人往生をも説いて広く信仰されている。仏教の顕教の経典には、諸経にその功徳が説かれるが、なかでも「法華経(ほけきょう)」や「華厳経(けごんきょう)」において顕著であり、重要な役割を演じる。「華厳経」「普賢行願品(ふげんぎょうがんぼん)」では、礼敬諸仏(らいきょうしょぶつ。諸仏を敬う)、称讃如来(しょうさんにょらい。如来を礼讃する)、広修供養(こうしゅくよう。広く供養を修する)、懺悔業障(さんげごつしょう。悟りを得るための障りとなる悪い行為を悔いる)、随喜功徳(ずいきくどく。功徳を随喜する)、請転法輪(しょうてんぼうりん。転法輪を請う)、請仏住世(しょうぶつじゅうせ。仏の住世を請う)、常随仏学(じょうずいぶつがく。常に仏に従って学ぶ)、恒順衆生(ごうじゅんしゅじょう。常に衆生に従う)、普皆廻向(ふかいえこう。あまねく皆が回向する)という10の広大な誓願「十大願」を発し、しかも「全てが尽きても、この願は尽きない」という大きな誓いを立てた普賢菩薩の態度を讃嘆しており、このため諸経が滅罪や成仏の功徳を説く また同経では、「善財童子(ゼンザイドウジ)」が文殊菩薩の教えに従って53人の善知識(指導者)を歴参し、最後に普賢菩薩の十大願を聞き、西方極楽浄土への往生を願った物語を記すが、これは「華厳五十五所絵巻(けごんごじゅうごしょえまき)」など絵巻の題材ともなって、よく知られている。一方、「法華経」の「普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんほつぼん)」では、「法華経」を常に読誦する行者の前に、普賢菩薩が六牙の象に乗って現れ、これを守るとある。「法華経」の「提婆達多品(だいばだったぼん)」では、8歳の竜女の成仏を記し、これによって女人往生が説かれたが、とりわけ平安時代、天台宗から派生した浄土思想の普及とともに、「法華経」の教えを勧め、持経者を守護する普賢菩薩は、そうした極楽往生を願う女人達の篤い信仰を得て、多くの像が造られた。なお、普賢菩薩の眷属には、やはり「法華経」の持経者を守護するとされる天女形の「十羅刹女(ジュウラセツニョ)(尼藍婆(ニランバ)・毘藍婆(ビランバ)・曲歯(コクシ)・華歯(ケシ)・黒歯(コクシ)・多髪(タホツ)・無厭足(ムエンソク)・持瓔珞(ジヨウラク)・皐諦(コウタイ)・奪一切衆生精気(ダツイッサイシュジョウショウケ))」が従う場合もある。密教では、普賢菩薩は、菩提心を司る尊格として「金剛薩埵(コンゴウサッタ)」と同体とされ、四菩薩の1尊として「胎蔵界曼荼羅(タイゾウカイマンダラ)」中台八葉院中に表され、また文殊院にもおかれる。「金剛界曼荼羅(コンゴウカイマンダラ)」では理趣会(りしゅえ)の十六大菩薩中におかれ、重要な役割を果たしている。なお、中国では四川省にある名山の峨眉山(がびさん)が、普賢菩薩の霊場として、仏教の聖地とされる。その中心の万年寺には、宋代に鋳造された高さ7mあまりの、白象に乗った普賢菩薩像が安置されている。普賢菩薩の像は、合掌し白象の背上の蓮華座に結跏趺坐するものが多く、まれに蓮華や如意、経典などを持つ場合も見られる。とくに「法華経」の信仰が高まった平安時代以降の制作になる作例が多い。遺例では、東京・大倉文化財団像が、平安後期にさかのぼる繊細・優雅な作風を伝える名作で、岐阜・願興寺には、鎌倉時代に釈迦如来・文殊菩薩とともに造られた三尊像がある。滋賀・宝厳寺には普賢十羅刹女の画像がある。また密教系の普賢菩薩の造像では、左手に剣を立てた蓮茎をとるか、あるいは左手に五鈷鈴、右手に金剛杵を持つ例が見られる。さらに、普賢菩薩の持つ延命の徳を密教的展開ののなかで発展させ、息災延命を修める普賢延命法の本尊として迎えるのが、「普賢延命菩薩(フゲンエンメイボサツ)」である。その像の形は、2臂像では右手に五鈷杵、左手に金剛鈴を持ち、鼻に独鈷杵を巻く1身3頭6牙の白象に乗る。また20臂像もあり、4頭の象の上の蓮台に坐す。

出典:
エソテリカ事典シリーズ(1)仏尊の事典(学研)

作者ひとこと:
普賢菩薩のデザインは、合掌した菩薩の姿に描きました。

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