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2021年6月20日日曜日

「オシラサマ」


オシラサマ<おしら様、お白様、オシラ様、オシラガミ、オシラホトケ、桑の木人形(カノキジンジョウ)「オシンメ様、オシンメイ様」(福島県)、オコナイ様(山形県)

日本の東北地方で信仰されている家の神。また一般には、このオシラサマは、蚕の神、農業の神、馬の神でもあるとされる。このオシラサマは、茨城県などでも伝承されているが、特に青森県・岩手県で濃厚にのこり、宮城県北部にも密に分布する。このオシラサマの御神体は、多くは桑の木で作った1尺(30cm)程度の棒の先に、男女の顔や馬の顔を書いたり彫ったりしたものに、布きれで作った衣を多数重ねて着せたものである。この衣には、貫頭衣のかたちをしたものと、布を頭部から被せた包頭型とがある。このオシラサマの御神体は、普段は住宅の神棚や床の間に祀られている事が多い。記年銘のある最古のオシラサマは、岩手県九戸郡種市町(現在の洋野町)に所在する大永5年(1525年)のもので、ついで岩手県下閉伊郡新里村および同郡川井村(いずれも現在の宮古市)の天正2年(1574年)のものが古い。このオシラサマの御神体は、男と女、馬と娘、馬と男など2体1対で祀られることが多い。オシラサマの祭日を「命日(めいにち)」と言い、旧暦1月・3月・9月の16日に行われる。この命日には、オシラサマを神棚などから出して神饌を供え、新しい衣をオシラサマに重ね着させる(これを「オセンダク」という)。この日は、本家の老婆が養蚕の由来を伝える祭文(おしら祭文)を唱えたり、少女がオシラサマの御神体を背負って遊ばせたりするので、かつてオシラサマは、同族的な系譜を背景とする女性集団によって祀られていた神とも考えられる。またここに、盲目の巫女であるイタコが参加する事も多く、その場合、イタコがオシラサマに向かって神寄せの経文を唱え、オシラサマを手に持って祭文を唱えながら踊らせる。オシラサマに限っては祭る事を「遊ばせる」といい、この様な行事を「オシラアソバセ」「オシラ遊び」「オシラホロキ」と呼ばれる。また、青森県弘前市坂元の久渡寺では「大白羅講」が5月15日に行われる。このオシラサマの2体の人形をつかって遊ばせる際の「おしら祭文」としては、「きまん(金満)長者物語」「満能長者物語」「せんだん栗毛」「岩木山一代記」などがあり、坂上田村麻呂伝承の猿賀神社の由来を同時に語るとも伝えられる。イタコが参与する場合は、この様な祭文を語りながら、オシラサマ一対を両手にとって打ち振り、憑依したような状態になって託宣をおこなう事が多い。このオシラサマの信仰には多数の禁忌がある。例えば、オシラサマは二足四足の動物の肉や卵を嫌うとされ、これをオシラサマに供えてしまうと、供えてしまった者は大病を患うとか、オシラサマの祟りで顔が曲がるという。また、オシラサマを祀っている家の家人の食肉により、祟りで顔が曲がるとも言われる。また、オシラサマは一度拝むとずっと拝まなければならない神であるといわれ、オシラサマを拝むのをやめたり、祀り方が粗末だと家族に祟りがあるとも言われている。このオシラサマは子供好きな神様だと言われ、各地に、子供達と遊んでいるところを注意した大人が逆にオシラサマに祟られたり、オシラサマが火事から家を守った、などの話が伝わる。オシラサマは、女性の病の治療を祈る神、目の神、子の神としての他、農耕神として田植え、草取り、穀物の刈り入れなどに助力するともいう。また「遠野物語拾遺」には、かつて狩人が狩猟の際、どちらの山に行けばいいかを知るため、オシラサマの御神体を両手に持ち廻し、そのオシラサマの馬面の向いた方角へ行く風習があったため、オシラサマは「お知らせ様」であろう、とある。またオシラサマは、地震、火事などの予知力もあり、「遠野物語拾遺」では、オシラサマを「鉤仏(カギボトケ)」と称して、正月16日の「おしら遊び」の日に子供達が1年間の吉凶善悪の神意を問うたという。オシラサマ信仰誕生の背景に山神信仰や、養蚕作業、生活の糧の馬に対する信仰その他が混ざり、原初的な多様な性格を有する神として成立したものとする見方もある。東北地方には、オシラサマの成立にまつわる悲恋譚が伝わっている。それによれば昔、ある農家に娘がおり、この娘は家の飼い馬と仲が良く、遂には馬と夫婦になってしまった。これに娘の父親は怒り、馬を殺して木に吊り下げた。娘は馬の死を知り、死んだ馬にすがりついて泣いた。すると父親は更に怒り、馬の首を刎ねた。すかさず娘が馬の首に飛び乗ると、そのまま空へ昇り、オシラサマとなったのだという。「聴耳草紙」にはこの後日譚があり、天に飛んだ娘は両親の夢枕に立ち、臼の中の蚕虫を桑の葉で飼う事を教え、その蚕虫に絹糸を産ませ、それが養蚕の由来になったとある。以上の説話から、馬と娘は馬頭・姫頭2体の養蚕の神となったとも考えられている。オシラサマの由来譚について、津軽の口承によると、かつて盲人が峠の空家に泊まり、寂しさを紛らわすために歌を歌っていると、歌を所望する女の声が聞こえたので、何曲か歌ってやった。夜明け頃、その女の声は自分を「たこ」と名乗り、自分の事を他の者に話せば、お前の命はない、と戒めた。里に降りた盲人が、つい村人に昨晩の事を話すと、そのまま盲人は死んでしまった。そこに「たこ」が現れ、村人達に対しても、自分の事を他言した者は死ぬ、更に、この村は沼に沈むと言った。そこで村人達は峠の周囲を鉄柵で覆うと「たこ」は峠に帰れなくなり、そのまま死んでしまい、死んだ「たこ」の正体は蛇であった。村人達は「たこ」と盲人を神として祀り、これが後のオシラサマだという。

出典:
Wikipedia

作者ひとこと:
オシラサマのデザインは、両手に黒と白の蚕を持った精霊の様な神の様な姿に描きました。

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