自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。

2018年5月20日日曜日

「ぬらりひょん」と「檎」



ぬらりひょん

ぬらりひょんは、日本の妖怪。滑瓢とも書く。一般に、瓢箪鯰(ひょうたんなまず)のように掴まえ所が無い化物であるとされる。江戸時代に描かれた妖怪絵巻などに、その姿が多く確認できるが詳細は不明である。現代では大多数の人に「妖怪の総大将」として広く認知されているが、このような特徴が民間で伝承されていたという実例や資料は確認されていない。鳥山石燕のぬらりひょんの図版の下につけられた「まだ宵の口の燈影にぬらりひよんと訪問する怪物の親玉」という解説から、後代における誤伝・俗説が共通認識として定着化したとされている。鳥山石燕の絵から推測された創作であり、藤沢衛彦の『妖怪画談全集 日本篇 上』によって「ぬらりひよんと訪問する怪物の親玉」という箇所から拡大解釈されていったに過ぎない、と村上健司や多田克己により指摘されている。昭和後期、藤沢のキャプションからの解釈を元とした「家に入って来る」あるいは「妖怪の総大将」であるという解説が水木しげるや佐藤有文の妖怪図鑑などを通じて一人歩きしたこと、テレビアニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』の第3作(1985年放送開始)に主人公・鬼太郎を宿敵とみなす敵役として登場し「総大将」と作中で自称したことなどが総合的に「総大将」としてのイメージを有名なものとしたことが要因になったと見られている。以上のような特徴について国文学者・志村有弘は、伝承が本来の意味から隔たり人為的に歪曲されつつあると述べている。一方、京極夏彦は、現在その形で妖怪として機能しているので問題はなく、妖怪を生きた文化として捉えれば時代に合わせて変化することは構わないといった意見を述べている。京極夏彦は『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメ版第4作の101話にゲスト参加して脚本を書いているが、この中でぬらりひょんを本来の姿はタコの妖怪としている。

出典:
Wikipedia

作者ひとこと:
ぬらりひょんのデザインは、漫画『鬼灯の冷徹』を参考にしました。「裸の大将」姿のぬらりひょんが登場するのでTシャツに短パン、実際のシーンにはありませんでしたが、おにぎりやペンを手に持たせ、前にはキャンバスも描いてみました。



檎(ゴン)

『鬼灯の冷徹』に登場するキャラクター。狐の妖怪である「野干(ヤカン)」の落ちこぼれで、まともに働くことを嫌う典型的なダメ雄。自称「平和主義・自由主義」であり、乳飲み子時代に乳の取り合いから離脱したのから始まり、寺子屋時代には成績争いから離脱、就活時代に就職戦線から離脱。その後も、結婚、資格、貯蓄、マイホーム全てから離脱した。本人はさして危機感を持っておらず、いざとなったらミキちゃんのヒモになるという将来設計を考えている(ミキ当人は拒否をしている)。特技の変化すら面倒臭がるため、腐れ縁の仲である小判からは「狐じゃなくて狸」と評されている。ギャンブル好きの怠け者、且つ飄々とした呑気者だが、要領は非常に良い。かつて借金が理由で、八寒地獄の湖に沈められそうになったところを妲己に肩代わりされ、その返済契約(ただし金利はトイチ)により妲己の部下(召使い)として、妲己の店「花割烹狐御前(ハナカッポウキツネゴゼン)」で客引きをする。姉妹店のホストクラブ『狐の婿入り』(後の狐カフェ『ヤカンカン』)の店長も任されている。「好きこそものの上手なれ」で銭勘定はできるが自分の財布の管理はだらしなく、博打であぶく銭を稼ぐと身内相手に散財しては妲己や小判、隠神刑部からも借金するの繰り返し。ただし「細かな部分をフォローする」「ゴシップネタを提供する」など要領の良さを駆使して返済を延期してもらっている。作中一番の愛煙家で、檎のキセルから出る煙は、発言や状況などに関連した形になる。前述の通り、あまり変化は得意ではないが、たばこの煙を利用した「煙に巻く幻術」は得意で、賭博ではそれを使って勝利をしているという噂がある。

出典:
Wikipedia「鬼灯の冷徹」
ピクシブ百科事典「檎(ごん)」

作者ひとこと:
檎のデザインは、普段の人間の姿ではなく、ラバーストラップを参考にし、狐の姿で描きました。名前の由来から、リンゴを頭に載せてみました。

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