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2022年4月30日土曜日

「ウェルミヌス」


ウェルミヌス

ローマ神話に登場する神。ウェルミヌスは、牛につく虫を司る神である。

出典:
神様コレクション
共和政ローマ(「古代ローマ神名事典」のページ)

作者ひとこと:
ウェルミヌスのデザインは、牛の蹄を持った足がある虫の姿の神に描きました。

2022年4月29日金曜日

明日からギリシア・ローマ編スタート【お知らせ】

2022年1月18日火曜日
「天赤」

2022年4月28日木曜日
「ドンジャサム」


「幻獣編」「シベリア周辺の地域編」「日本編」「中国編」「オセアニア編」「北米編」「中国編(2)」「悪魔・堕天使編」「日本編(2)」「インド・中国編」「オセアニア偏(2)」「日本編(3)」「仏教編」「中国編(3)」「東南アジア編」「日本編(4)」「仏教編(2)」「東南アジア編(2)」「朝鮮・中国少数民族・台湾編」の19シリーズが終了し、明日からは20シリーズ目の「ギリシア・ローマ編」が始まります。約100日(約3ヶ月)かけて、全100体を紹介していきます。


お楽しみに。 by ワンタ

2022年4月28日木曜日

「ドンジャサム」


ドンジャサム

出典元に情報がありません。誰かご存知の方がいましたらコメントください。

作者ひとこと:
ドンジャサムのデザインは、高麗人参の様な姿をした精霊に描きました。

2022年4月27日水曜日

「田螺花嫁」


田螺花嫁(ウロンガクシ、オロンカクシ)

韓国に伝承されている精霊、または妖怪。田螺花嫁は、農夫の元へ嫁いできたタニシの化身である。

出典:
ピクシブ百科事典(「韓国の妖怪」のページ)

作者ひとこと:
田螺花嫁のデザインは、タニシの様な触角が頭にある女性の姿に描きました。

2022年4月26日火曜日

「トッケビ」


トッケビ

朝鮮半島に伝わる精霊、または妖怪。朝鮮時代以前には具体的な姿形は表象されず、鬼火などの神霊的な存在として伝承された。古くは中国の鬼神との習合、近代以降は日本の鬼との混同が起きたとされ、地域によっても変化または独自に伝承された為、性格や能力などの特徴に相違点も多く、特定の種族を指す概念ではなかったと考えられている。古来のトッケビに関する風習や祭祀はほとんどの地域で途絶えており、21世紀では全羅道の一部(淳昌、珍島など)と済州島に残る程度である。北朝鮮においては慣用句に用いられる程度で目立った文化的表現はないが、民主化後の韓国においては大衆文化の象徴として重要視され、行政レベルで日本や中国の影響を除した新たなキャラクター作りが模索されている。トッケビの起源、発祥した時期や地域は不明。トッケビ説話の起源を新羅時代の郷歌「処容歌」の疫神や、「三国遺事」の「桃花女 鼻荊郎」に求める意見も存在する。トッケビの名称については、文献によるとハングル創成直後の1447年に記された釈迦の一代記「釈譜詳節」に「トスガビ(中期朝鮮語発音)」とあるのが初出。漢文による記録には、鬼、鬼神、夜叉、独甲、独脚鬼、魑魅、魍魎、虚主、虚体、狐魅などの類義語が記されているのみであり、それらをトッケビと同一のものとみるか、ルーツとみるか、あるいは当て字に過ぎず無関係とみるかは諸説ある。また、済州島の神話に登場するトッケビはソウルの「ホ・ジョンスン」という架空の人物の息子がモデルであり、トッケビを「参奉」「令監」などの官名で呼ぶ風習が残る。トッケビの語源については、中国から伝播した一本足の鬼神の名称「独脚鬼(ドッキャクキ)」が変化したとする説があるが、多くの言語学者は固有語の「アビ(父)」を語源の一部とする説を採る。その場合、語頭の「トス」の意味については諸説ある。徐廷範(1926年生まれ)は、古語の「トソプ(幻影、妖術)」だと主張、現代語の「トソプ」の「がさつで気まぐれ」などの意味にも繋がる可能性を示唆した。朴恩用(1927年生まれ)は、木製道具がトッケビに化ける言い伝えから「杵(チョルグコンイ)」を語源と仮定し、「臼(チョルグ)」の綴りの変遷を推定して「トスグ」が原型だと主張した。さらに遡って、それらのルーツを三国時代の木の精霊「豆豆里(トゥドゥリ)」にあるとした。この説については、農機具や祭祀の伝来についての考古学的な検証が足りないとの指摘がある。李基文(1930年生まれ)は、「斧(トッキ)」の古語「トスグィ」だとした。ハングル学会の權在善(1934年生まれ)は、徐廷範の説に対し、同様の名詞化接尾辞の事例がなく音韻学上の観点から不可能だと否定した。また、自説として語源を「道術(トスル)」と「遁甲(トゥンガプ)」が合わさったものだと主張した。朴相圭(1948年生まれ)は、語源をアルタイ諸語の語根「tot」に求め、「火」もしくは「種子」が語源とした。他にも漢語の「都」が語源の可能性も示した。民俗学者の金宗大(1958年生まれ)は、アルタイ諸語説を支持し、火の神と豊饒神の性質を持つ事に着目して「火を起こし、豊作をもたらす成人男性の意味が内包された」と補足した。また、徐廷範の説の一部について、後世の妖怪としてのイメージによるものであり、信仰の対象であった時代にあてはまらないと否定した。国立国語院は、「アビ」を語源とするならば成り立ちを「トスク+アビ」とすべきだが、その場合「トスク」の意味の説明ができないと指摘した。一説には、トッケビは悪戯好きで相撲が好きであるとも言い伝えられている。また、富や福をもたらす神としての側面も持ち、海辺では人々に漁場を教えてくれる豊漁神として信仰される事もある。しかし内陸地では火災を起こす悪鬼として伝えられている事もある。また悪戯好きで不思議な力を持つが、愚かなところもある、と伝えられている事もある。トッケビは一本足であり、古い箒や火かき棒の精霊であると伝えられている事もある。しかし一方で、トッケビは自分の姿を変幻自在に変える事が出来、人間や巨大な鬼に変身する事も自由自在である、とも言う。また、トッケビは相撲が好きだが、一本足のトッケビの場合は、足を引っ掛ければあっさり転んでしまい、人間に勝つ事は滅多にない、とも伝えられている。トッケビの漢字表記の「独脚鬼、独甲鬼」は音訳であり、全てが一本足であるわけではない。またトッケビの外見は人間と区別がつかないものが多い、とも言い伝えられいる事もある。

出典:
Wikipedia
ピクシブ百科事典
幻想世界事典
世界の「神獣・モンスター」がよくわかる本(PHP文庫)

作者ひとこと:
トッケビのデザインは、トッケビは様々な姿が伝承されているらしいのですが、イラストのトッケビは一本足の精霊または妖怪の姿に描きました。

2022年4月25日月曜日

「檀君王倹」


檀君王倹(タングンワンゴム、タンクンワンコム、だんくんおうけん)

古朝鮮の建国神話に登場する神で、檀君王倹は古朝鮮を建国したとされる神である。天帝「桓因(ファンイン、ファニン、ファンニン、カンイン)」の子だった「桓雄(ファヌン、かんゆう)」がある時、天界から朝鮮半島に天下り、この世を治め、桓雄は「熊女(ウンニョ、ゆうじょ)」と結婚した。このとき熊女が生んだ一人の男児が檀君で、「檀君王倹」と名付けられた。父・桓雄が治めた国はまだ朝鮮とは言わなかったが、後に檀君が平壌城(西京)を都とし、朝鮮と称え始め、ここに古朝鮮が始まったのだという。神話では、この時期は中国神話の「堯帝(ギョウテイ)」が中国の帝王となって50年目の事だと言う。しかし、この後も檀君は何度か遷都している。まず初めに、都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移し、ここで1500年間世を治めた。更に、中国で周の武王が即位し、「箕子(キシ)」を朝鮮に封じるという事があり、檀君は蔵唐京(ザンタンキョン。黄海道九月山(ファンヘドクウオルサン))に移った。そして、最後は阿斯達に隠れて山神となり、1908歳まで生きたという。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)

作者ひとこと:
檀君王倹のデザインは、檀君王倹が山神になったという事で、山神のイメージで、木々の間に座っている神の姿に描きました。

2022年4月24日日曜日

「地下女将軍」


地下女将軍(チカニョショウグン)

北朝鮮・韓国の村落に見られる魔除けの為の境界標、「将軍標(しょうぐんひょう、チャングンピョ)」の一種。第二次世界大戦前までは「除魔将軍標」と称され、略称の将軍標も用いられていた。かつての朝鮮半島では、疫病や災難をもたらす鬼神信仰があり、その魔除けのための木製標を村落の入り口に設置していた。これらの木製標は、異形相の人面の下に漢字が刻まれた木柱がバラバラに設置されていた。近年の韓国語で「チャングンピョ(将軍標)」というが、別の表現では「チャンスン」とも言う。竿頭に鳥が止まった神竿を「ソッテ」、人面を彫った神木を「チャンスン」という。鳥は天地を往来して神の使いをすると信じられ神格化され、神木には人面を彫って人格神化したものであるという。チャンスンは、朝鮮半島の村里や寺院の入り口に立っている木製、あるいは石製の神像である。漢字では「長(木+生)」「長生」「長承」「将丞」などと表記される。「長生標」ともいう。チャンスンは各地によって名称が色々で、「コルマギ」「スサルマギ(中部)」「ポクス(南部)」「ミルク(北西部)」などと呼ばれ、風水説や仏教との関係がうかがえる。チャンスンや将軍標には、男女一対のものと単独のものがあり、一般に恐ろしい将軍の面相が彫刻してあり、男チャンスンには冠があるが女チャンスンにはなく、胴体に「天下大将軍」「地下女将軍(地下大将軍)」と彫刻または墨書されている。

出典:
コトバンク(「チャンスン」のページ)
Wikipedia(「将軍標」のページ)

作者ひとこと:
地下女将軍のデザインは、魔除けの為に魔を睨みつけている女神の姿に描きました。

2022年4月23日土曜日

「天下大将軍」


天下大将軍(テンカダイショウグン)

北朝鮮・韓国の村落に見られる魔除けの為の境界標、「将軍標(しょうぐんひょう、チャングンピョ)」の一種。第二次世界大戦前までは「除魔将軍標」と称され、略称の将軍標も用いられていた。かつての朝鮮半島では、疫病や災難をもたらす鬼神信仰があり、その魔除けのための木製標を村落の入り口に設置していた。これらの木製標は、異形相の人面の下に漢字が刻まれた木柱がバラバラに設置されていた。近年の韓国語で「チャングンピョ(将軍標)」というが、別の表現では「チャンスン」とも言う。竿頭に鳥が止まった神竿を「ソッテ」、人面を彫った神木を「チャンスン」という。鳥は天地を往来して神の使いをすると信じられ神格化され、神木には人面を彫って人格神化したものであるという。チャンスンは、朝鮮半島の村里や寺院の入り口に立っている木製、あるいは石製の神像である。漢字では「長(木+生)」「長生」「長承」「将丞」などと表記される。「長生標」ともいう。チャンスンは各地によって名称が色々で、「コルマギ」「スサルマギ(中部)」「ポクス(南部)」「ミルク(北西部)」などと呼ばれ、風水説や仏教との関係がうかがえる。チャンスンや将軍標には、男女一対のものと単独のものがあり、一般に恐ろしい将軍の面相が彫刻してあり、男チャンスンには冠があるが女チャンスンにはなく、胴体に「天下大将軍」「地下女将軍(地下大将軍)」と彫刻または墨書されている。

出典:
コトバンク(「チャンスン」のページ)
Wikipedia(「将軍標」のページ)

作者ひとこと:
天下大将軍のデザインは、頭に冠を被り、魔除けの為に魔を睨みつけている神の姿に描きました。

2022年4月22日金曜日

「桓因」


桓因(ファンイン、ファニン、ファンニン、カンイン)

古朝鮮の建国神話に登場する神で、天上界の最高神(天帝)である。「三国遺事(さんごくいじ)」は「古記」(現存せず)を引用する形で、桓因と、その子である「桓雄(ファヌン、かんゆう)」という神について書いている。桓因と、桓因の庶子である桓雄は天界に住んでいた。ある時、桓雄は下界に興味を持ち、どうしても下界である地上に降りたくなった。これを知った桓因は、それが地上の人間達のためになると考え、桓雄を地上に送り出す事にした。桓因は桓雄に下界を治めるように命じ、「天符印(てんぷいん。鏡と剣と鈴)」を桓雄に与え、桓雄は太伯山(三国遺事の注釈では妙香山の事であると明記されているが、白頭山とする説も散見される)の「神檀樹」という樹木の下に、部下3000人と共に天下った。天下った桓雄は、「風伯(フウハク。風神)」「雨師(ウシ。雨の神)」「雲師(ウンシ。雲の神)」らを率いて、穀物の成長の他、生命、病気、刑罰など人間にとって重要な事柄を全て担当して、世を治め、「神市」という国を築いた。また桓雄は、ある熊の願いを叶えて、その熊を人間の女にしてあげ、この「熊女(ウンニョ、ゆうじょ)」との間に子供をもうけた。この子供が「檀君王倹」であり、この檀君王倹が、朝鮮最初の国家である「檀君朝鮮(だんくんちょうせん)」を築いた人物であるとされる。桓因は、仏教に登場する「帝釈天(タイシャクテン)」の事であるとも言われており、「桓因」とは帝釈天の別名であるとも言われている。三国遺事では、桓因に対して注釈で、「帝釋」とも言う、と書かれている。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
Wikipedia

作者ひとこと:
桓因のデザインは、天空に浮遊している巨大な人型の神、というイメージで、桓因の姿を描きました。

2022年4月21日木曜日

「大禪師蛇」


大禪師蛇(テソンササ)

韓国の伝説、伝承に登場する妖怪、または幻獣。大禪師蛇は、未亡人の悪夢に現れるという蛇である。

出典:
ピクシブ百科事典(「韓国の妖怪」のページ)

作者ひとこと:
大禪師蛇のデザインは、僧侶の頭を持った蛇の姿の妖怪に描きました。

2022年4月20日水曜日

「金寧蛇」


金寧蛇(キムニョンサ、キムニョングルグロンイ)

朝鮮半島の南西、日本海、東シナ海、黄海の間にある火山島である済州島(ちぇじゅとう、さいしゅうとう)に伝わる怪物、または幻獣。金寧蛇は、済州島にある溶岩洞窟の「金寧窟」の伝説に登場する大蛇である。済州市舊左邑金寧里の東側にある大きな洞窟は、大蛇が棲み着いている為「蛇窟」と呼ばれていた。近隣の人々は毎年、娘を一人、この蛇窟の大蛇に生贄として捧げ、祈りの儀式を行っていた。そうしなければ、この大蛇は田畑を荒らし、人々を大いに困らせた。しかし「両班(貴族階級)」の家から生贄となる娘を出す事はなく、毎回、平民の娘達が生贄になっていた。その為、平民の娘達は嫁に行く事が出来なかった。その頃、済州に赴任して来た「徐燐」という役人が、人々を苦しめる大蛇の話を聞き、すぐに酒・餅・娘を供えて祈りの儀式をするように、と人々に命じた。そして徐燐は、自ら軍を従えて大蛇の棲む蛇窟に向かった。儀式が始まって暫くすると、蛇窟の中から驚くほど巨大な大蛇が姿を現した。大蛇は供えられた酒を飲み、餅を食べた。続いて生贄の娘を食べようとした。その時、徐燐は軍とともに槍と剣を手に大蛇に飛びかかり、大蛇を退治した。大蛇を退治した徐燐を見て、「ムダン(巫女、またはシャーマン)」が現れ、ムダンは徐燐に「早急に馬を出して城内へとお入りください。その時、どんな事があっても振り返ってはいけません」と言った。徐燐はムダンに言われた通りに馬を走らせ、無事に城内の東門前まで辿り着いた。この時、軍の一人の兵士が「後方から血の雨が!」と叫んだ。これに徐燐が「血の雨など降るわけがなかろう」と言いながら振り返ってしまった。その瞬間、徐燐はその場に倒れて亡くなってしまった。死んだ大蛇の血が空高くに噴き上がり、血の雨となって徐燐の後を追って来ていたのだった。また別の話では、大蛇が棲み、この大蛇に処女を生贄として捧げないと飢饉が起こる「金寧蛇窟(キンニョンサグル)」という洞窟があった。判官によって大蛇は退治されたが、呪術師が振り返らず逃げるように言ったのを判官は守れずに、判官は血の雨を浴びて呪い殺された、という話もある。また別の話では、金寧の蛇窟には大蛇がいて、この大蛇の祭りをしないと大嵐が来て穀物が全く作れなくなった。それで人々は、毎年処女を供物として大蛇の祭りをしていた。ところが、永川の牧使がこの祭りを知り、大蛇を討ってしまった。牧使は大蛇を討ってから済州市の三門に入ると、背筋がぞくぞくした。それで背中を見ると、討った大蛇の血が背中にべったりと付いていた。この牧使が済州島から帰ろうとすると、台風が来て、行けなくなってしまった。牧使は済州島に来て、五百の寺と五百の神堂を壊したが、また古塚などを修理もしたので、牧使の夢に古塚の鬼神数万が現れて、古塚を修理してくれたお礼に、閻魔大王に風を吹かせてもらうので、日が明けてから船で帰るように、と牧使に助言してくれた。こうして牧使は無事に故郷に帰る事が出来たが、やがて牧使が死んで、彼のお墓が造られると、そこに蛇が現れたという話もある。大蛇がお墓で敵討ちをしようと現れたのだというという話もある。また別の話では、亡くなった人を金寧の蛇窟の前に置いておくと、蛇が食べて骨だけが残る。なくなれば、それは「ジャンキナン」だと。亡くなった人の為の儀式が「ジャンキナン」だと、そういったみたいだ。しかし、牧使が済州島に来て、それはいけない事だと言い、こっそり蛇に「ソガン」を抱えさせた。「ソガン」はひどい腫れ物によく効く薬だが、爆発するものでもある。それで、蛇は爆発して死んでしまった、という話もある。

出典:
龍鱗
ピクシブ百科事典(「韓国の妖怪」のページ)
済州観光公社旅行ブログ

作者ひとこと:
金寧蛇のデザインは、体から樹木が生えている程、とても巨大な大蛇の姿に描きました。

2022年4月19日火曜日

「細烏女」


細烏女(セオニョ)

朝鮮半島の新羅(シルラ。古代の朝鮮半島南東部にあった国家)の神話に登場する月の女神。細烏女の夫は太陽神「延烏郎(ヨンオラン)」。神話によると、延烏郎と細烏女は夫婦で、新羅の東海に面した海辺で暮らしていた。新羅の阿達羅王八年(四年とも言われている)のある日、夫の延烏郎が海で海藻を採っていると、突然、延烏郎が乗った岩が動き出し、岩は上に延烏郎を乗せたまま、彼を日本に連れ去った(突然、大魚が現れて延烏郎を日本へと連れ去ったと言う説もある)。日本へと着いた延烏郎を見て、日本の人々は非常に驚き、延烏郎を凡人に非ずと思って、彼を王として迎えた。一方、細烏女は夫の帰りが遅いので、海辺を捜し歩いた。すると、ある岩の前で夫の鞋を見つけたので、その岩に登ると、その岩もにわかに動き出して、上に乗っている細烏女を日本へと連れて行った。細烏女が日本に着くと、不思議な女人が現れたという事で、人々は彼女を王である延烏郎の御前に連れて行った。そこで延烏郎と細烏女の夫婦は巡り会い、細烏女は王妃に迎えられた。その頃、新羅では太陽と月の光が失われ、突然真っ暗になったので大騒ぎになっていた。預言者は「新羅に天降っていた日月の精が、日本に渡ったのでこの様な異変が起こった」と新羅の王に上奏した。新羅の王は早速、日本に使者を派遣した。二人を呼び戻す為である。日本にやって来た使者に延烏郎は「私がここに来たのは天の思し召しであり、帰るわけには行かないが、私の妃である細烏女が織った細絹(うすぎぬ。絹織物)を持ち帰って天を祀れば、その異変に効果があるであろう」と言い、使者に細烏女が織った細絹を与えた。使者が新羅に帰って来ると、新羅では、延烏郎の言葉通りに、使者が持ち帰って来た細烏女が織った細絹を供えて天を祀ると、日月は光を取り戻し、再び明るくなった。

出典:
Wikipedia(「迎日湾」のページ)
東洋神名事典(新紀元社)
世界の神話伝説・総解説(自由国民社)

作者ひとこと:
細烏女のデザインは、頭に月をかたどった冠を被り、背中に星々が煌めく光背のある女神の姿に描きました。

2022年4月18日月曜日

「延烏郎」


延烏郎(ヨンオラン)

朝鮮半島の新羅(シルラ。古代の朝鮮半島南東部にあった国家)の神話に登場する太陽神。延烏郎の妻は月の女神「細烏女(セオニョ)」。神話によると、延烏郎と細烏女は夫婦で、新羅の東海に面した海辺で暮らしていた。新羅の阿達羅王八年(四年とも言われている)のある日、夫の延烏郎が海で海藻を採っていると、突然、延烏郎が乗った岩が動き出し、岩は上に延烏郎を乗せたまま、彼を日本に連れ去った(突然、大魚が現れて延烏郎を日本へと連れ去ったと言う説もある)。日本へと着いた延烏郎を見て、日本の人々は非常に驚き、延烏郎を凡人に非ずと思って、彼を王として迎えた。一方、細烏女は夫の帰りが遅いので、海辺を捜し歩いた。すると、ある岩の前で夫の鞋を見つけたので、その岩に登ると、その岩もにわかに動き出して、上に乗っている細烏女を日本へと連れて行った。細烏女が日本に着くと、不思議な女人が現れたという事で、人々は彼女を王である延烏郎の御前に連れて行った。そこで延烏郎と細烏女の夫婦は巡り会い、細烏女は王妃に迎えられた。その頃、新羅では太陽と月の光が失われ、突然真っ暗になったので大騒ぎになっていた。預言者は「新羅に天降っていた日月の精が、日本に渡ったのでこの様な異変が起こった」と新羅の王に上奏した。新羅の王は早速、日本に使者を派遣した。二人を呼び戻す為である。日本にやって来た使者に延烏郎は「私がここに来たのは天の思し召しであり、帰るわけには行かないが、私の妃である細烏女が織った細絹(うすぎぬ。絹織物)を持ち帰って天を祀れば、その異変に効果があるであろう」と言い、使者に細烏女が織った細絹を与えた。使者が新羅に帰って来ると、新羅では、延烏郎の言葉通りに、使者が持ち帰って来た細烏女が織った細絹を供えて天を祀ると、日月は光を取り戻し、再び明るくなった。

出典:
Wikipedia(「迎日湾」のページ)
東洋神名事典(新紀元社)
世界の神話伝説・総解説(自由国民社)

作者ひとこと:
延烏郎のデザインは、頭に冠を被り、背中に光背のある神の姿に描きました。

2022年4月17日日曜日

「大盈車」


大盈車(テヨンチャ)

韓国に伝わる妖怪、または幻獣。大盈車は怪魚の一種である。この大盈車は、角がある魚で、大きな荷車一杯になるほど巨大な魚である。

出典:
ピクシブ百科事典(「韓国の妖怪」のページ)

作者ひとこと:
大盈車のデザインは、クルクルと巻いた二本角が頭に生えている魚の姿に描きました。

2022年4月16日土曜日

「客鬼」


客鬼(キャクキ)

韓国に伝わる幽霊の一種。客鬼は、貪食の彷徨う鬼(幽霊)である。酉の日の病気は、決まった時に路で客鬼が侵入して来た事が原因であると言う。そういう時は、この客鬼を請じて西方に退けるなどすれば、病は卯の日に癒えると言う。また亥の日の病気は、頭と腹が痛むものだが、これは巳亥の方角から財物を入れた罪であり、途中で客鬼が侵入するのが原因である。大人は牛馬の夢を見る。客鬼などを請じて退ければ病は癒えると言う。

出典:
幻想動物の事典

作者ひとこと:
客鬼のデザインは、浮遊する顔だけの姿の霊に描きました。普通の人間の目には見えないが、空中をあちらこちらと漂っているイメージです。

2022年4月15日金曜日

「祇沱」


祇沱(ジタ)

朝鮮半島の神話に登場する、新羅(シルラ。古代の朝鮮半島南東部にあった国家)建国を推進したとされる「謁平(アルピョン)」「蘇伐都利(ソボルドリ)」「倶礼馬(グレマ)」「智伯虎(チペクホ)」「祇沱」「虎珍(ホジン)」の6人の内の一人。6人は元々は天上界の神で、彼等はある時、朝鮮半島南部の辰韓地方に降りると、それぞれが一つずつ村を作り、村長となった。その村の名はそれぞれ「楊山(ヤンサン)村」「高墟(コホ)村」「大樹(テス)村」「珍支(ジンジ)村」「加利(ガリ)村」「高耶(コヤ)村」といった。ある時、6人は閼川(アルチョン)の堤に集まって話し合い、優れた一人の有徳の王を立てて新しい国を開く事で意見が一致した。ちょうどその時、楊山の麓に天から白馬が舞い降りて来た。6人はそれを見に出かけてみると、白馬が跪いている様が伺えたが、白馬は6人の姿を見ると嘶いて天へと昇って行ってしまった。白馬が天へと昇って行く前に跪いていた所を見ると、そこには紫色の卵があった。6人がその卵を割ってみると、卵の中から容姿端麗な男の子が現れ出た。6人は男の子を沐浴させると、男の子の体から光が出て来た。すると鳥や獣達は舞い踊り、大地は震え、日月の光は清らかであった。6人はこれこそ天が送ってくれた王だと考え、男の子に「赫居世(ヒョコセ、「明るい世」)」と名付け、姓を「朴(パク)」とした。そして赫居世が13歳になった時に新しい国を作り、6人の村長は赫居世を国王として推戴したのである。この国が、後に新羅と名を改めたのであるという。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
Wikipedia(「赫居世居西干」のページ)

作者ひとこと:
祇沱のデザインは、祇沱が天から降りて来た神なので、頭に冠を被り、体は天の雲に覆われている神の姿に描きました。

2022年4月14日木曜日

「虎珍」


虎珍(ホジン)

朝鮮半島の神話に登場する、新羅(シルラ。古代の朝鮮半島南東部にあった国家)建国を推進したとされる「謁平(アルピョン)」「蘇伐都利(ソボルドリ)」「倶礼馬(グレマ)」「智伯虎(チペクホ)」「祇沱(ジタ)」「虎珍」の6人の内の一人。6人は元々は天上界の神で、彼等はある時、朝鮮半島南部の辰韓地方に降りると、それぞれが一つずつ村を作り、村長となった。その村の名はそれぞれ「楊山(ヤンサン)村」「高墟(コホ)村」「大樹(テス)村」「珍支(ジンジ)村」「加利(ガリ)村」「高耶(コヤ)村」といった。ある時、6人は閼川(アルチョン)の堤に集まって話し合い、優れた一人の有徳の王を立てて新しい国を開く事で意見が一致した。ちょうどその時、楊山の麓に天から白馬が舞い降りて来た。6人はそれを見に出かけてみると、白馬が跪いている様が伺えたが、白馬は6人の姿を見ると嘶いて天へと昇って行ってしまった。白馬が天へと昇って行く前に跪いていた所を見ると、そこには紫色の卵があった。6人がその卵を割ってみると、卵の中から容姿端麗な男の子が現れ出た。6人は男の子を沐浴させると、男の子の体から光が出て来た。すると鳥や獣達は舞い踊り、大地は震え、日月の光は清らかであった。6人はこれこそ天が送ってくれた王だと考え、男の子に「赫居世(ヒョコセ、「明るい世」)」と名付け、姓を「朴(パク)」とした。そして赫居世が13歳になった時に新しい国を作り、6人の村長は赫居世を国王として推戴したのである。この国が、後に新羅と名を改めたのであるという。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
Wikipedia(「赫居世居西干」のページ)

作者ひとこと:
虎珍のデザインは、虎珍が天から降りて来た神なので、頭に冠を被り、体は天の雲に覆われている神の姿に描きました。

2022年4月13日水曜日

「智伯虎」


智伯虎(チペクホ)

朝鮮半島の神話に登場する、新羅(シルラ。古代の朝鮮半島南東部にあった国家)建国を推進したとされる「謁平(アルピョン)」「蘇伐都利(ソボルドリ)」「倶礼馬(グレマ)」「智伯虎」「祇沱(ジタ)」「虎珍(ホジン)」の6人の内の一人。6人は元々は天上界の神で、彼等はある時、朝鮮半島南部の辰韓地方に降りると、それぞれが一つずつ村を作り、村長となった。その村の名はそれぞれ「楊山(ヤンサン)村」「高墟(コホ)村」「大樹(テス)村」「珍支(ジンジ)村」「加利(ガリ)村」「高耶(コヤ)村」といった。ある時、6人は閼川(アルチョン)の堤に集まって話し合い、優れた一人の有徳の王を立てて新しい国を開く事で意見が一致した。ちょうどその時、楊山の麓に天から白馬が舞い降りて来た。6人はそれを見に出かけてみると、白馬が跪いている様が伺えたが、白馬は6人の姿を見ると嘶いて天へと昇って行ってしまった。白馬が天へと昇って行く前に跪いていた所を見ると、そこには紫色の卵があった。6人がその卵を割ってみると、卵の中から容姿端麗な男の子が現れ出た。6人は男の子を沐浴させると、男の子の体から光が出て来た。すると鳥や獣達は舞い踊り、大地は震え、日月の光は清らかであった。6人はこれこそ天が送ってくれた王だと考え、男の子に「赫居世(ヒョコセ、「明るい世」)」と名付け、姓を「朴(パク)」とした。そして赫居世が13歳になった時に新しい国を作り、6人の村長は赫居世を国王として推戴したのである。この国が、後に新羅と名を改めたのであるという。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
Wikipedia(「赫居世居西干」のページ)

作者ひとこと:
智伯虎のデザインは、智伯虎が天から降りて来た神なので、頭に冠を被り、体は天の雲に覆われている神の姿に描きました。

2022年4月12日火曜日

「倶礼馬」


倶礼馬(グレマ)

朝鮮半島の神話に登場する、新羅(シルラ。古代の朝鮮半島南東部にあった国家)建国を推進したとされる「謁平(アルピョン)」「蘇伐都利(ソボルドリ)」「倶礼馬」「智伯虎(チペクホ)」「祇沱(ジタ)」「虎珍(ホジン)」の6人の内の一人。6人は元々は天上界の神で、彼等はある時、朝鮮半島南部の辰韓地方に降りると、それぞれが一つずつ村を作り、村長となった。その村の名はそれぞれ「楊山(ヤンサン)村」「高墟(コホ)村」「大樹(テス)村」「珍支(ジンジ)村」「加利(ガリ)村」「高耶(コヤ)村」といった。ある時、6人は閼川(アルチョン)の堤に集まって話し合い、優れた一人の有徳の王を立てて新しい国を開く事で意見が一致した。ちょうどその時、楊山の麓に天から白馬が舞い降りて来た。6人はそれを見に出かけてみると、白馬が跪いている様が伺えたが、白馬は6人の姿を見ると嘶いて天へと昇って行ってしまった。白馬が天へと昇って行く前に跪いていた所を見ると、そこには紫色の卵があった。6人がその卵を割ってみると、卵の中から容姿端麗な男の子が現れ出た。6人は男の子を沐浴させると、男の子の体から光が出て来た。すると鳥や獣達は舞い踊り、大地は震え、日月の光は清らかであった。6人はこれこそ天が送ってくれた王だと考え、男の子に「赫居世(ヒョコセ、「明るい世」)」と名付け、姓を「朴(パク)」とした。そして赫居世が13歳になった時に新しい国を作り、6人の村長は赫居世を国王として推戴したのである。この国が、後に新羅と名を改めたのであるという。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
Wikipedia(「赫居世居西干」のページ)

作者ひとこと:
倶礼馬のデザインは、倶礼馬が天から降りて来た神なので、頭に冠を被り、体は天の雲に覆われている神の姿に描きました。

2022年4月11日月曜日

「蘇伐都利」


蘇伐都利(ソボルドリ)

朝鮮半島の神話に登場する、新羅(シルラ。古代の朝鮮半島南東部にあった国家)建国を推進したとされる「謁平(アルピョン)」「蘇伐都利」「倶礼馬(グレマ)」「智伯虎(チペクホ)」「祇沱(ジタ)」「虎珍(ホジン)」の6人の内の一人。6人は元は天上界の神で、彼等はある時、朝鮮半島南部の辰韓地方に降りると、それぞれが一つずつ村を作り、村長となった。その村の名はそれぞれ「楊山(ヤンサン)村」「高墟(コホ)村」「大樹(テス)村」「珍支(ジンジ)村」「加利(ガリ)村」「高耶(コヤ)村」といった。ある時、6人は閼川(アルチョン)の堤に集まって話し合い、優れた一人の有徳の王を立てて新しい国を開く事で意見が一致した。ちょうどその時、楊山の麓に天から白馬が舞い降りて来た。6人はそれを見に出かけてみると、白馬が跪いている様が伺えたが、白馬は6人の姿を見ると嘶いて天へと昇って行ってしまった。白馬が天へと昇って行く前に跪いていた所を見ると、そこには紫色の卵があった。6人がその卵を割ってみると、卵の中から容姿端麗な男の子が現れ出た。6人は男の子を沐浴させると、男の子の体から光が出て来た。すると鳥や獣達は舞い踊り、大地は震え、日月の光は清らかであった。6人はこれこそ天が送ってくれた王だと考え、男の子に「赫居世(ヒョコセ、「明るい世」)」と名付け、姓を「朴(パク)」とした。そして赫居世が13歳になった時に新しい国を作り、6人の村長は赫居世を国王として推戴したのである。この国が、後に新羅と名を改めたのであるという。また、歴史書「三国史記(さんごくしき)」新羅本紀によれば、辰韓の今の慶州一帯には古朝鮮(こちょうせん)の遺民が山合に住んでおり、楊山村・高墟村・珍支村・大樹村・加利村・高耶村という6つの村を作っていた。楊山の麓の蘿井の林で、馬が跪いて嘶いている事に気が付いた高墟村の村長の蘇伐都利がその場所に行くと、馬が消えて後には大きい卵があった。その卵を割ると中から男の子が出て来たので、6人の村長達は、この男の子を育てた。男の子が10歳を過ぎる頃には、その人となりが優れており、また、その出生も神がかりな事であった為、辰韓の6人の村長達は彼を推戴して王とした。この時、赫居世は13歳であり、即位すると共に居西干と名乗り、国号を「徐那伐(ソナボル)」といった。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
Wikipedia(「赫居世居西干」のページ)

作者ひとこと:
蘇伐都利のデザインは、蘇伐都利が天から降りて来た神なので、頭に冠を被り、体は天の雲に覆われている神の姿に描きました。

2022年4月10日日曜日

「謁平」


謁平(アルピョン)

朝鮮半島の神話に登場する、新羅(シルラ。古代の朝鮮半島南東部にあった国家)建国を推進したとされる「謁平(アルピョン)」「蘇伐都利(ソボルドリ)」「倶礼馬(グレマ)」「智伯虎(チペクホ)」「祇沱(ジタ)」「虎珍(ホジン)」の6人の内の一人。6人は元々は天上界の神で、彼等はある時、朝鮮半島南部の辰韓地方に降りると、それぞれが一つずつ村を作り、村長となった。その村の名はそれぞれ「楊山(ヤンサン)村」「高墟(コホ)村」「大樹(テス)村」「珍支(ジンジ)村」「加利(ガリ)村」「高耶(コヤ)村」といった。ある時、6人は閼川(アルチョン)の堤に集まって話し合い、優れた一人の有徳の王を立てて新しい国を開く事で意見が一致した。ちょうどその時、楊山の麓に天から白馬が舞い降りて来た。6人はそれを見に出かけてみると、白馬が跪いている様が伺えたが、白馬は6人の姿を見ると嘶いて天へと昇って行ってしまった。白馬が天へと昇って行く前に跪いていた所を見ると、そこには紫色の卵があった。6人がその卵を割ってみると、卵の中から容姿端麗な男の子が現れ出た。6人は男の子を沐浴させると、男の子の体から光が出て来た。すると鳥や獣達は舞い踊り、大地は震え、日月の光は清らかであった。6人はこれこそ天が送ってくれた王だと考え、男の子に「赫居世(ヒョコセ、「明るい世」)」と名付け、姓を「朴(パク)」とした。そして赫居世が13歳になった時に新しい国を作り、6人の村長は赫居世を国王として推戴したのである。この国が、後に新羅と名を改めたのであるという。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
Wikipedia(「赫居世居西干」のページ)

作者ひとこと:
謁平のデザインは、謁平が天から降りて来た神なので、頭に冠を被り、体は天の雲に覆われている神の姿に描きました。

2022年4月9日土曜日

「夫乙那」


夫乙那(プウルラ)

耽羅(タンラ、チンラ。済州島に古代から中世にかけて存在した王国)の神話に登場する神。耽羅の建国神話によると、年の順に「良乙那(ヤンウルラ)」「高乙那(コウルラ)」「夫乙那」の三人の神が、漢拏山(ハルラサン)北山麓にある「三姓穴」という三つの穴から生まれて吹き出て来た。この頃済州島には、まだ人間は存在しておらず、良乙那、高乙那、夫乙那の三人の神は当初、狩猟採集生活を送っていた。ある日、漢拏山に登った三人の神は、漢拏山から遠くの海を眺めていたところ、東方から流れてくる木の箱を発見した(北方から流れて来た、という説もある)。三人の神が木の箱を開けてみると、箱の中には東国の「碧浪国(へきろうこく)」から来た紅帯紫衣の使者と美しい三人の姫と、馬などの家畜と、五穀の種が入っていた(あるとき、島の東の海岸に木の船が流れ着いたが、その船の中に石の箱があり、紫色の衣を着た使者が番をしていた。三人の神が石の箱を開けると、中に三人の美しい娘と、仔馬、仔牛、穀物の種が入っていた、とも言われている)。この時、紅帯紫衣の使者が三人の神に「この三人の姫は碧浪国王の娘であり、西海の島で国を開こうとしている三人の神の伴侶となる為に、碧浪国王の命令ではるばる送られて来たのだ」と告げた。そして、使命を遂げた使者は雲に乗って何処かへ行ってしまった。そこで、三人の神は生まれた順に三人の姫の中から妻を選び、それぞれの夫婦ごとに島の土地を分け合って、三人の神は別々に暮らし始めた。それぞれ三つの夫婦は、三人の姫と共にやって来た家畜や五穀の種を使って、産業と五穀の栽培を始めた。やがてそれぞれの夫婦の子孫達も増えていき、集落をつくるようになった。その結果、最初の三組の夫婦がそれぞれ住む事になった土地が、耽羅の第一の都、第二の都、第三の都になったという。三人の神とその妻の三人の姫は、耽羅の人々の先祖であると言われている。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
Wikipedia(「耽羅」のページ、「済州島」のページ、「三姓神話」のページ)

作者ひとこと:
夫乙那のデザインは、頭に冠を被った神の姿に描きました。

2022年4月8日金曜日

「高乙那」


高乙那(コウルラ)

耽羅(タンラ、チンラ。済州島に古代から中世にかけて存在した王国)の神話に登場する神。耽羅の建国神話によると、年の順に「良乙那(ヤンウルラ)」「高乙那」「夫乙那(プウルラ)」の三人の神が、漢拏山(ハルラサン)北山麓にある「三姓穴」という三つの穴から生まれて吹き出て来た。この頃済州島には、まだ人間は存在しておらず、良乙那、高乙那、夫乙那の三人の神は当初、狩猟採集生活を送っていた。ある日、漢拏山に登った三人の神は、漢拏山から遠くの海を眺めていたところ、東方から流れてくる木の箱を発見した(北方から流れて来た、という説もある)。三人の神が木の箱を開けてみると、箱の中には東国の「碧浪国(へきろうこく)」から来た紅帯紫衣の使者と美しい三人の姫と、馬などの家畜と、五穀の種が入っていた。(あるとき、島の東の海岸に木の船が流れ着いたが、その船の中に石の箱があり、紫色の衣を着た使者が番をしていた。三人の神が石の箱を開けると、中に三人の美しい娘と、仔馬、仔牛、穀物の種が入っていた、とも言われている)。この時、紅帯紫衣の使者が三人の神に「この三人の姫は碧浪国王の娘であり、西海の島で国を開こうとしている三人の神の伴侶となる為に、碧浪国王の命令ではるばる送られて来たのだ」と告げた。そして、使命を遂げた使者は雲に乗って何処かへ行ってしまった。そこで、三人の神は生まれた順に三人の姫の中から妻を選び、それぞれの夫婦ごとに島の土地を分け合って、三人の神は別々に暮らし始めた。それぞれ三つの夫婦は、三人の姫と共にやって来た家畜や五穀の種を使って、産業と五穀の栽培を始めた。やがてそれぞれの夫婦の子孫達も増えていき、集落をつくるようになった。その結果、最初の三組の夫婦がそれぞれ住む事になった土地が、耽羅の第一の都、第二の都、第三の都になったという。三人の神とその妻の三人の姫は、耽羅の人々の先祖であると言われている。最初の三組の夫婦とその子孫達は、産業と五穀の栽培を始めて集落をつくるようになり、それから約900年後に人々の人望を集めた高乙那(高氏)を王として、初めて「耽羅」という王国が成立したと言われている。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
Wikipedia(「耽羅」のページ、「済州島」のページ、「三姓神話」のページ)

作者ひとこと:
高乙那のデザインは、頭に冠を被った神の姿に描きました。

2022年4月7日木曜日

「良乙那」


良乙那(ヤンウルラ)

耽羅(タンラ、チンラ。済州島に古代から中世にかけて存在した王国)の神話に登場する神。耽羅の建国神話によると、年の順に「良乙那」、「高乙那(コウルラ)」、「夫乙那(プウルラ)」の三人の神が、漢拏山(ハルラサン)北山麓にある「三姓穴」という三つの穴から生まれて吹き出て来た。この頃済州島には、まだ人間は存在しておらず、良乙那、高乙那、夫乙那の三人の神は当初、狩猟採集生活を送っていた。ある日、漢拏山に登った三人の神は、漢拏山から遠くの海を眺めていたところ、東方から流れてくる木の箱を発見した(北方から流れて来た、という説もある)。三人の神が木の箱を開けてみると、箱の中には東国の「碧浪国(へきろうこく)」から来た紅帯紫衣の使者と美しい三人の姫と、馬などの家畜と、五穀の種が入っていた。(あるとき、島の東の海岸に木の船が流れ着いたが、その船の中に石の箱があり、紫色の衣を着た使者が番をしていた。三人の神が石の箱を開けると、中に三人の美しい娘と、仔馬、仔牛、穀物の種が入っていた、とも言われている)。この時、紅帯紫衣の使者が三人の神に「この三人の姫は碧浪国王の娘であり、西海の島で国を開こうとしている三人の神の伴侶となる為に、碧浪国王の命令ではるばる送られて来たのだ」と告げた。そして、使命を遂げた使者は雲に乗って何処かへ行ってしまった。そこで、三人の神は生まれた順に三人の姫の中から妻を選び、それぞれの夫婦ごとに島の土地を分け合って、三人の神は別々に暮らし始めた。それぞれ三つの夫婦は、三人の姫と共にやって来た家畜や五穀の種を使って、産業と五穀の栽培を始めた。やがてそれぞれの夫婦の子孫達も増えていき、集落をつくるようになった。その結果、最初の三組の夫婦がそれぞれ住む事になった土地が、耽羅の第一の都、第二の都、第三の都になったという。三人の神とその妻の三人の姫は、耽羅の人々の先祖であると言われている。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
Wikipedia(「耽羅」のページ、「済州島」のページ、「三姓神話」のページ)

作者ひとこと:
良乙那のデザインは、頭に冠を被った神の姿に描きました。

2022年4月6日水曜日

「世境」


世境(セキョン)

済州島(ちぇじゅとう、さいしゅうとう)の神話に登場する神。世境は、済州島の農耕神の総称である。上つ農神(セキョン。世境)は「文道令(ムンドリョン)」、中つ農神は「慈充姫(チャチュンビ)」、下つ農神は「丁雄男(チョンスナム)」である。

出典:
神様コレクション
東洋神名事典(新紀元社)

作者ひとこと:
世境のデザインは、文道令、慈充姫、丁雄男の三つの頭を持った神の姿に描きました。

2022年4月5日火曜日

「金氏局」


金氏局(チムジンクク)

済州島(ちぇじゅとう、さいしゅうとう)の神話に登場する神。金氏局は、済州島の氏神である。また金氏局は「慈充姫(チャチュンビ)」の父親である。

出典:
神様コレクション
東洋神名事典(新紀元社)

作者ひとこと:
金氏局のデザインは、頭に冠を被った神の姿に描きました。

2022年4月4日月曜日

「丁雄男」


丁雄男(チョンスナム)

済州島(ちぇじゅとう、さいしゅうとう)の神話に登場する神。丁雄男は「慈充姫(チャチュンビ)」の下男であり、トリックスター的な性格を持っている神である。丁雄男は悪知恵でさんざん慈充姫を辱めるが、遂に慈充姫の怒りを買って殺されてしまった。後に丁雄男は下つ農神(セキョン。農耕神)となる。

出典:
神様コレクション
東洋神名事典(新紀元社)

作者ひとこと:
丁雄男のデザインは、慈充姫に殺された為、頭と両手が体と分離した姿に描きました。農耕神なので手に稲穂を持った姿にしてみました。

2022年4月3日日曜日

「文道令」


文道令(ムンドリョン)

済州島(ちぇじゅとう、さいしゅうとう)の神話に登場する神。文道令は「文宣王(ムンソンワン)」の息子で、「慈充姫(チャチュンビ)」の夫である。だが文道令は軽薄な浮気者であり、時に不良どもに騙されて殺されたり、時に別の女を妻として帰らなかったりして、妻の慈充姫を苦労させる。後に文道令は上つ農神(セキョン。農耕神)となる。文道令の「ドリョン」は朝鮮語で「若様」という意味であるという。

出典:
Wikipedia(「朝鮮神話」のページ)
神様コレクション
東洋神名事典(新紀元社)

作者ひとこと:
文道令のデザインは、頭と体が分離している貴人の姿の神に描きました。文道令は農耕神なので、体から穀物を育む雨をもたらす雨雲が出ています。

2022年4月2日土曜日

「慈充姫」


慈充姫(チャチュンビ)

済州島(ちぇじゅとう、さいしゅうとう)の神話に登場する地母神。「慈充」とは、歴史書「三国史記(さんごくしき)」新羅本紀によれば、シャーマンの事をいう。神話では、慈充姫は、舅の所に行ったきりの「文道令(ムンドリョン)」を追いかけて、下男の「丁雄男(チョンスナム)」と旅に出た。しかし旅で、慈充姫は丁雄男にいいようにあしらわれたので、慈充姫は怒って丁雄男を殺してしまい、その事で慈充姫は、実の母親から家を追い出されてしまう。家を追い出された慈充姫は「魔鬼婆(マキババア)」の養女となる。だが慈充姫は、訪ねて来た文道令を針で刺してしまい、その事で慈充姫は、魔鬼婆からも追い出された。けれど慈充姫は、文道令が実は慈充姫に恋い焦がれている事を知ると、機知を使って天に赴く。天にやって来た慈充姫は、天にいる文道令の父親と母親(舅、姑)の試しを突破し、正式に文道令の妻となった。更に慈充姫は、悪漢に殺された文道令を蘇らせた。後に「文宣王(ムンソンワン。文道令の父親)」は、文道令を上つ農神(セキョン。農耕神)、慈充姫を中つ農神、丁雄男を下つ農神とし、この三神に五穀豊穣を司らせた。慈充姫は五穀の種を持って地上に降りたが、蕎麦と菜の種を忘れて、後で取りに戻った。だから二穀は栽培時期が違うのだという。慈充姫は、美しい女神であるが、また非常に勇ましく、別の神話では武装し、戦いに赴く場面もある。戦で慈充姫は、五善の鎧を身に着け、高麗穴熊の兜をかぶり、千里馬に跨がっていた。この時、慈充姫は「匕首剣(ヒシュケン)」という武器を持っていた。匕首剣は、特に良く切れる鍔の無い短刀である(この匕首剣という名称は、特別なものではなく一般的な名前のようだ)。この匕首剣は、慈充姫が戦に出る前に14日かけて作ったという。戦場では、空高く飛び上がった慈充姫が、匕首剣を左に振れば三千の軍勢が一度に倒れ、右に振れば五千の兵達が倒れたという。

出典:
幻想世界神話辞典
東洋神名事典(新紀元社)

作者ひとこと:
慈充姫のデザインは、手に剣を持った女神の姿に描きました。

2022年4月1日金曜日

「ロドゥリンオパ」


ロドゥリンオパ

中国の雲南省に居住する少数民族であるキンモ族の伝承に登場する妖怪。ロドゥリンオパは河や池の水中にいる妖怪である。この妖怪は水辺に近付いた人間を水中に引きずりこんで食べてしまう。その為、人々は年に一度、ロドゥリンオパのいる水辺で祭りを行い、祭りで牛や羊を生贄に捧げて、ロドゥリンオパを宥め、その一年間、ロドゥリンオパが人間を水中に引きずりこんで食べないように祈るという。キンモ族の伝承では、ロドゥリンオパは、龍が河や池で脱皮をして、脱ぎ捨てた古い皮が妖怪になったものであると言われている。

出典:
東洋神話妖怪事典(モンキー出版)

作者ひとこと:
ロドゥリンオパのデザインは、水中に棲んでいる大蛇の様な龍の様な姿の怪物に描きました。人間を食べる口は頭の上にある姿に描いてみました。

※こちらはエイプリルフールの創作です。