自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。
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2022年11月7日月曜日

「ラクシュミー」


ラクシュミー

インド神話に登場する神の内の一柱。ラクシュミーは、幸運・美・豊穣・王権の女神である。ラクシュミーという名前は「幸運」「繁栄」という意味である。また別名を「シュリー」ともいう。またラクシュミーは「吉祥天(キッショウテン、キチジョウテン)」として日本にも伝来した。「ラーマーヤナ」やプラーナ諸文献以降に「ヴィシュヌ」神の妃としての地位を確立した。しかし元来は独立した女神であった。リグ・ヴェーダに属する「シュリー・スークタ」では、泥と共に住むことを祈願され、牝牛の糞の中に住むとされる。二大叙事詩やプラーナ諸文献では、神々が不死の飲料「アムリタ」を得る為に「アスラ」と協力して海を攪拌した時に、ラクシュミーは海から誕生した。ラクシュミーは水と関わりが深い女神である。「ガジャ・ラクシュミー」と呼ばれる図像では、ラクシュミーは、池の中央に咲く蓮の上に坐し、四方にいる象達が鼻で支えた水瓶から彼女に水を注いでいる。ラクシュミーは幸運と豊穣を司る女神である。豊穣から転じて富も司る。ラクシュミーは、元は運命の女神だったが、豊穣の女神シュリーと統合された。ラクシュミーは優雅で気品ある美貌をもち、「乳海攪拌」で誕生し、彼女を維持神「ヴィシュヌ」が妻とした。ヴィシュヌが化身(アヴァターラ)となって神話に登場すると、ラクシュミーは、その妻や恋人に化身して常に寄り添う。ラクシュミーは、仏教では富の女神である吉祥天と漢訳される。ヒンドゥー教の創世神話である乳海攪拌の際、14の貴重なものの一つとして誕生したのが女神ラクシュミーである。プラーナ文献「ヴィシュヌ・プラーナ」によれば、ラクシュミーは聖仙「ブリグ」の娘として生まれ、呪いから身を隠す必要ができた為、彼女は乳海に避難していた。破壊神「シヴァ」や魔族「アスラ」は姿を現したラクシュミーに求婚したが、先にヴィシュヌが彼女を妻にしてしまう。出し抜かれたシヴァは蛇の魔族「ナーガ」を噛んで悔しがったという。ヴェーダ時代にはラクシュミーは、運命を司る女神とされた。聖典「リグ・ヴェーダ」では幸福の意味だったが、「アタルヴァ・ヴェーダ」になると幸運と不運の女神となる。後のプラーナ文献「パドマ・プラーナ」では、ラクシュミーの姉「アラクシュミー」が不運の女神とされた。また、元々は、ラクシュミーは、豊穣と幸運の女神シュリーとともに太陽神「アーディティヤ」の妻とされていたが、後世にラクシュミーとシュリーが同一視されるようになり、時代を経てラクシュミーに統合された。この為、乳海攪拌にはシュリーが登場するものと登場しないものがある。彼女の夫ヴィシュヌは様々な化身となって多くの神話に登場するが、ラクシュミーもそれに対応する化身となって夫に寄り添った。叙事詩「ラーマーヤナ」では、ヴィシュヌの化身である主人公「ラーマ」の妻「シーター」に化身している。シーターは畑の畝から誕生したが、これはラクシュミーがシュリーと同一視された結果、豊穣を司る大地母神として崇拝された事に由来している。この他にもヴィシュヌが「クリシュナ」に化身すれば、その妻「ルクミニー」と恋人「ラーダー」に、ヴィシュヌが「パラシュラーマ」に化身すれば、その妻「ダーラニー」に化身した。ヴィシュヌの隣にいる美女は全てラクシュミーの化身なのである。ラクシュミーは豊穣を司る事から富の女神としても崇拝される。絵画では蓮華の花や霊水「アムリタ」の瓶を手にした図柄が多い一方、右手から金貨をあふれさせている図柄もよく見られる。時代が下ってラクシュミーは仏教に取り入れられると、吉祥天と漢訳された。吉祥天の夫は武神の「毘沙門天(ビシャモンテン)」だが、毘沙門天のルーツはインド神話の富の神「クヴェーラ」であり、吉祥天は富を司る面が強調された女神といえる。

出典:
神の文化史事典(白水社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ラクシュミーのデザインは、頭に蓮華を模した冠を被り、四本の手に蓮華の花、水瓶、宝珠を持った女神の姿に描きました。

2022年11月6日日曜日

「クリシュナ」


クリシュナ

インド神話に登場する英雄、または神の内の1柱。クリシュナは「ヴィシュヌ」の化身(アヴァターラ)の内の1体である。宇宙維持の神であるヴィシュヌは、世の中が乱れて危機が訪れるたびに、様々に姿を変えて天下り、危機を解決する。ヴィシュヌの第八の化身がクリシュナである。クリシュナは、叙事詩「マハーバーラタ」で、英雄「アルジュナ」の導き手となる。クリシュナの肌の色は浅黒く、非常にハンサムな容姿で女性にモテた。信仰面では、形式や身分にとらわれず、ただ神を信じ愛する事を説く「バクティ(信愛)」思想を軸とする。クリシュナの生涯は、マハーバーラタなどに描かれていて、そのいずれもが豊かなエピソードに彩られている。クリシュナの出生のエピソードでは、ある時、悪王「カンサ」は、ヤーダヴァ族の「ヴァースデーヴァ」と妻「デーヴァキー」の8番目の子供に殺されるという予言を受けた。そこでカンサは、ヴァースデーヴァとデーヴァキーを監禁し、産まれてくる子供を次々に殺した。8番目の子供が産まれる時、ヴィシュヌが姿を現し、カンサにバレないように子供をすり替えよと夫妻に命じた。一方カンサは、予言の子供が逃げたと知り、追っ手として女悪魔「プータナー」を放った。牛飼いの村の牧人「ナンダ」の妻「ヤショーダー」の子にすり替わっていたクリシュナに、プータナーは毒の乳を吸わせようとしたが、何といってもヴィシュヌの化身であるクリシュナには神通力が備わっていた。クリシュナは毒もろともプータナーの命も吸い出したので、プータナーは絶命してしまった。こうしてクリシュナは牛飼いの村ですくすく育つ事になる。幼児時代には、ヤショーダーがつくっていたバターを盗み食いするなど、悪戯好きな面が顔を出す。成長すると、全裸で沐浴する牧女達の服を奪って困らせるといった悪戯もしているが、牧女達はイケメンなクリシュナに夢中で、逆に喜んだらしい。クリシュナのこうした茶目っ気のある性格も、クリシュナの人気の理由の一つだとか。絵画などでは、とびきりの美青年として描かれ、1万6千人もの牧女の妻を娶った話や、愛人「ラーダー」との情愛物語なども人気だという。ある時クリシュナは、雷神「インドラ」への崇拝を示す祭の邪魔をし、怒ったインドラが大雨を降らせた事があった。ところが、クリシュナはゴーヴァルダナ山を持ち上げて、その下に人々や家畜を避難させ、それを見たインドラは逆にクリシュナに畏敬の念をもったという。また、破壊神「シヴァ」の炎に焼かれた愛の神「カーマ」が、クリシュナと、その妻「ルクミニー」との間の息子「プラデュムナ」として転生し、魔族「シャンバラ」を倒すというエピソードもある。一説では、クリシュナは実在した宗教的指導者を神格化した神ではないかと考えられているという。それまでの神々以上に、クリシュナが人々に加護を与える最高の神として地位を再構築するかのようなエピソードがみられるのは、新興宗教の勢力をヒンドゥー教に取り入れようとした為ではないかという。さて、そんなクリシュナは青年時代、大勢の聴衆の前で、悪王カンサを遂に打ち倒した。クリシュナの名声が広がるにつれ、自分を殺すのがクリシュナであると悟ったというカンサは、クリシュナを格闘技大会におびき出し、クリシュナと悪魔や巨人を対戦させたのだ。しかし、クリシュナはこれら刺客達を難なく破って、遂にはカンサを玉座から競技場に引きずり落とした。そしてカンサをいとも簡単に踏み殺したという。中年以降のクリシュナは、マハーバーラタに描かれたクル族の大戦争「クルクシェートラ」の大決戦において重要な役割を果たす。それは、パーンダヴァ勢に加勢し、迷えるアルジュナ王子を精神的に導いて彼に勝利をもたらすというものだ。そんなクリシュナの哲学の粋を集めたのが、クリシュナ信仰の教典とされるマハーバーラタの中の一章「バガヴァッド・ギーター」。タイトルは「神の歌」という意味で、そこには一族同士で争う事に悩み、いい結果になるはずがないと戸惑うアルジュナ王子の疑問に対するクリシュナの答えが、ことさら詳しく書かれている。非常に哲学的で深淵な言葉が綴られているのだが、単純に言えばクリシュナは「今いる立場から逃げたり、行為に結果を求めたりするのは間違っている」として、アルジュナを鼓舞している。人は誰しも身分や仕事などの社会的な地位、いわば義務がある。その義務を果たしながらでも、最高神に捧げる気持ちで「行為」を行い、結果に対する執着を離れてすべてのものに敵意のないこと。それこそ心を平穏にし、永遠の境地に達する為に必要だという。これは元々は、クシャトリヤ(王侯・武人階級)に向けたものであったようだが、身分を超えた人のあり方と救済を説いたこの書は、広くインドで受け入れられた。クリシュナの最晩年は、不運にも猟師に鹿と間違われて、唯一の弱点である踵を射られて死んだ。

出典:
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
クリシュナのデザインは、横笛をもった神の姿に描きました。

2022年10月23日日曜日

「ガンガー」


ガンガー

インド神話に登場する神の内の1柱。ガンガーはガンジス河の女神である。ガンガーという名前は「速く行くもの」という意味である。「リグ・ヴェーダ」では、サラスヴァティー河の女神などと比べてそれほど重要視されていないが、アーリア人がガンジス河中流域に徐々に進出すると、神聖な河として信仰されるようになる。叙事詩によると、かつては「ヴィシュヌ」神の足の指先から出て、天界を流れる河であった。アヨーディヤーの王であった「サガラ」は「馬祀祭(アシュヴァメーダ)」を行った際、逃げた馬を追って六万の息子達を地底界へ赴かせた。しかしそこで修行していた「カピラ仙」の怒りを買い、息子達は灰となって死んでしまう。彼らの霊を天界に生まれ変わらせるために、サガラ王の子孫である「バギーラタ」王はガンガーに地上に降下するよう請う。しかしガンガーが降下する時の衝撃があまりにも大きいので、バギーラタは「シヴァ」に、その頭で、女神ガンガーを受け止めるよう頼んだ。シヴァは承知し、ヒマーラヤに行き、天から飛び降りたガンガーを髪を広げて受け止めた。こうしてガンガーの水は、サガラの六万の息子達の霊を清め、「アガスティヤ仙」に飲み干された海を再び満たしたとされる。また、「ラーマーヤナ」によれば、ガンガーは山の王「ヒマーラヤ」の長女で、次女はシヴァの妃となった「ウマー」である。ガンガーは苦行のため蓄えられたシヴァの精液を受け止め、軍神「スカンダ」を産んだとされる。また、ガンガー自身もシヴァの妻であるともされる。叙事詩の頃には、ガンガーは、神の怒りに触れて人間に転生してしまった「天人」を天へと返す役割を担った女神としても描かれている。神話によると、元々ガンジス河は地上の河ではなかった。「ヴィシュヌ」の指先を流れて天界を潤す「空の河」であったという。しかしある時、コーサラ国王サガラの六万の息子達が殺されるという事件が起きた。その六万の息子達の遺骨を慰めるためには、聖なる河で清めるしかない。そこで、この「空の河」を地上に流すという壮大な計画が持ち上がった。しかし、河をそのまま流し込んでは地上が壊れてしまうので、シヴァが髪の毛で河の流れを受け止め、地上に河を流す手伝いをしたという。その際、ガンガーは「この様に激しい河の流れを、髪で受け止めきれるはずがない」とシヴァの力を見くびった為、シヴァは怒り、ガンガーを髪の中に閉じ込めて数年もの間、監禁し続けたという。こうして河は無事に地上へと降り、天の河から地上の河に変貌した。今でも河の支流ごとに聖地が設けられているそうだ。ガンガー(ガンガー・マーイー)は、ガンジス河の女神である。ガンガーは、ヒマラヤ山脈を擬人化した神「ヒマヴァット」の娘。妹は、シヴァの妃「パールヴァティー」である。ガンガーは鰐を乗り物とする。「マハーバーラタ」に以下のような話がある。「サンタヌ王子」がガンガ河に狩りに出かけた時、美しい女性を見つけて恋をした。だが、彼女は、一緒に住んでも彼女の行為について、その理由を決して問わない事をサンタヌ王子に誓わせた やがて二人の間には七人の子供ができたが、子を生むと彼女は、その生まれた子供をガンガ河に投げ込む。しかし、サンタヌ王子は約束を守って、その行為の理由を問わなかったが、八番目の子が生まれた時、さすがに理由を彼女に聞いてしまった。すると彼女は、自分はガンガ河の化身であって、子供達は河に投げ込まれる事で、人間界から解脱する事が出来たのだと言う。そう答えると、約束を破った夫の元から姿を消した。

出典:
神の文化史事典(白水社)
東洋神名事典(新紀元社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ガンガーのデザインは、四本の腕を持った女神の姿に描きました。

2022年10月21日金曜日

「ルドラ」


ルドラ

インド神話に登場する神の内の1柱。ルドラは暴風を司る神である。このルドラは、赤褐色で屈強な体をもち、黄金の光を放ちながら、雄豚に乗る姿で描かれる。このルドラは破壊、暴風を象徴する神と言われているが、ただ破壊するだけではなく恵みをもたらすという面も併せ持っている。ルドラは、破壊行動を起こして、時には人々の命を奪う一方、薬を用いて人々の病を治療する素晴らしい薬師でもあった。この事から、破壊の暴風を巻き起こしながらも、同時に恵みの雨を降らせて湿潤な気候をもたらし作物を育てる、東南アジアの季節風モンスーンを神格化したものだと言われている。このルドラは、ヴェーダ時代(バラモン教)の神で「アスラ」に属する神であるという。ルドラの出生には複数の説がある。一説では、創造神「プラジャーパティ」を父、暁の女神「ウシャス」を母とすると言われているが、「プラーナ文献」によると創造神「ブラフマー」から生まれたとされる。ブラフマーは4神を創造したが、彼らは消極的で子孫を残そうとしなかった。そんな様子に立腹したブラフマーが怒りの炎に包まれて真っ赤になったその時、怒るブラフマーの強い思念から、太陽の様に強く光り輝くルドラが生まれた。また、別の物語によると、ブラフマーが自分の子を望んでいたところ、ブラフマーの膝上に青い顔色の子供が出現した。この子供は名前を欲しがって大声で叫んでいたので、ブラフマーは「ルドラ(叫ぶ、ほえるもの)」と名付けた。また、このルドラは、破壊神「シヴァ」の原型であると考えられている。「プラーナ文献」の中には、シヴァがルドラの事を自身の化身であると発言している記述がみられる。シヴァには「踊りの王」であるという一面があるが、ルドラも同じ様に歌や踊りの王とされている。ルドラは「リグ・ヴェーダ」に登場する暴風神である。ルドラの身体は赤褐色で、その身体を黄金の飾りで装い、手に持つ弓矢で敵を屠る。また時に、雷を象徴する「金剛杵」を持つ事もある。ルドラは、暴風雨神群「マルト」達の父でもある。一般にルドラは、破壊と恐怖の神とされるが、その一方で病を治療する神でもあり、ルドラの医薬によって百歳の長寿に達する事が祈願された。「リグ・ヴェーダ」においてはそれほど重要な神ではないが、後世シヴァとしてヒンドゥー教の主神となった。「ヴィシュヌ・プラーナ」によると、ルドラはブラフマーの怒りから生まれた。荒れ狂うルドラの体の半分は男性で、半分は女性であった。ルドラは自分自身を男と女に分け、更にそれらを十一に分割した。

出典:
神の文化史事典(白水社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ルドラのデザインは、四本の腕にそれぞれ、弓矢、金剛杵、三叉槍を持った鬼神の姿に描きました。

2022年10月20日木曜日

「カルキ」


カルキ

インド神話に登場する神の内の1柱。カルキは「ヴィシュヌ」の化身(アヴァターラ)の内の1体である。宇宙維持の神であるヴィシュヌは、世の中が乱れて危機が訪れるたびに、様々に姿を変えて天下り、危機を解決する。ヴィシュヌの第十の化身にして最後の化身が、このカルキである。第十の化身である、白馬に跨がった騎士のカルキは、まだ現れていない。人類が堕落しきった時、悪を滅ぼして正義を復活させるべく現れるのだと言われている。神話によると、末法の世には、人々はあらゆる非法を行うようになる。しかも、これは年とともに酷くなっていく。やがて人間が堕落しきった世界の終わりが来ると、ヴィシュヌはカルキとして天下り、悪人達を皆殺しにする。この時、世界そのものが揺れ動き、破滅するともいう。いずれにせよ、カルキはこうして悪と不道徳と不法を滅ぼし尽くし、この世に「ダルマ(法)」を取り戻すのである。なお、なにしろカルキは「未だきたらざるもの」だけに、このカルキの姿形は定かではない。白馬に跨がった騎士、もしくは、馬頭の人間の姿で描かれる事が最も多い。カルキは、かつて預言され、未だ姿を見せない、ヴィシュヌの十番目の化身にして、最後の化身である。カルキという名前は「時間」「永遠」もしくは「汚物を破壊する者」を意味している。インド神話の宇宙の循環において、宇宙消滅の年期「カリ・ユガ」にカルキは登場する。このカルキは、預言の英雄であり、今より遠い未来に出現し、宇宙に跋扈するあらゆる悪(不徳・アダルマ・蛮族)を滅して善(法・ダルマ)を再構築する事で、新たな黄金時代「クリタ・ユガ」の到来を促す救世主であるとされる。このカルキの師匠は、同じヴィシュヌの化身である「パラシュラーマ」である。またカルキは、チベット仏教などに伝わる「シャンバラ」の支配者であるとされ、チベット仏教においては22人のカルキの称号を持つ王が存在していたとも言われている。インド神話でも、カルキの生まれ故郷はシャンバラであるとされているという。

出典:
ピクシブ百科事典
東洋神名事典(新紀元社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
カルキのデザインは、鎧に身を包み、刀を手にした勇猛な英雄の様な姿の神に描きました。

2022年10月19日水曜日

「ラートリー」


ラートリー

インド神話に登場する神の内の1柱。ラートリーは夜を司る女神で、ラートリーという名前も「夜」の意味である。ラートリーは、天空神「ディヤウス」の娘であり、また、曙の女神「ウシャス」の姉である。このラートリーは、星をちりばめた美しい女神とされる。人々は狼や盗人など夜の危害からの安全をこのラートリーに祈った。ラートリーは、夜空の星々を目として地上のあらゆる場所を監視しており、妹のウシャスと交代して暗闇を遠ざけて帰路につく者達を守護し、狼や盗賊達を遠ざけてくれるとされている。インド・ヨーロッパ語族の共通神話では、曙のウシャスは太陽の養母であり、毎朝新たに生まれる太陽に自らの乳房から乳を与えて養う。この太陽の実の母はラートリーで、ラートリーは太陽を生むと同時に夜の存続が不可能となるので、すぐに姿を消さねばならない。そこで生まれたばかりの太陽を、ウシャスが姉の手から受け取り、養母として惜しみなく慈愛を注ぎ養育するという。ウシャスは偉大なものにも貧しいものにも、あらゆるものに富と光をもたらし、全てに幸せを与える。慈しみ深く美しいウシャスは、人間の友として民衆に最も人気のある女神でもあった。ウシャスの姉には夜の女神ラートリーがいるが、ラートリーもまた、全てのものに安息を与える役割を持っているとされる。ラートリーとウシャスの二柱は、合わせて讃えられる事が多い。

出典:
ピクシブ百科事典
神の文化史事典(白水社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ラートリーのデザインは、分離した四本腕を持った女神の姿に描きました。四つの腕には星を持ち、頭には三日月を模した冠を被っています。

2022年10月18日火曜日

「ヴァーマナ」


ヴァーマナ

インド神話に登場する神の内の1柱。ヴァーマナは「ヴィシュヌ」の化身(アヴァターラ)の内の1体である。宇宙維持の神であるヴィシュヌは、世の中が乱れて危機が訪れるたびに、様々に姿を変えて天下り、危機を解決する。ヴィシュヌの第五の化身が「小人の化身」ヴァーマナである。ヴァーマナは矮人、つまり小人の姿だが、妖精の様な手のひらサイズではなく、小柄な人間の少年と同じくらいの大きさである。このヴァーマナの神話は聖典「リグ・ヴェーダ」の「ヴィシュヌは全世界を三歩で歩く」という讃歌をベースにしており、「バーガヴァタ・プラーナ」などに登場する。その神話によると、「ダイティヤ」と呼ばれる巨人族の王「バリ」は、苦行によって神々を超える力を得て、天界・地上・地下の三界を支配した。この時、無垢の女神「アディティ」が神々の救済をヴィシュヌに願うと、ヴィシュヌはアディティの息子の少年僧ヴァーマナに化身してバリを訪ねた。僧の来訪を喜んだバリが「望みのものをなんでも与える」と言うとヴァーマナは「自分が三歩で歩けるだけの場所がほしい」と望んだ。小柄なヴァーマナに油断していたバリが、この望みを承諾すると、ヴァーマナは途端に巨大化。一歩目で地上を、二歩目で天界を踏み越えた。三歩目については諸説あり、三歩目は許してバリを地下に追放したとも、三歩目でバリを踏み潰したとも伝わっている。または、ある時、強力で賢明な悪魔バリが神々の長である「インドラ」の都を占領し、世界を我が物とした。そこでヴィシュヌは小人のヴァーマナの姿となってバリのもとを訪れ、「私が三歩で歩けるだけの土地をください」とバリに懇願した。バリは笑って、この懇願を承知するや、ヴァーマナは本来の巨大なヴィシュヌの姿を現した。何しろヴィシュヌと言えば、ヴェーダの昔から「三界を三歩で闊歩する」と言われた神である。ヴィシュヌは二歩歩くだけで世界を歩き尽くしてしまい、「さて、三歩目をどうしよう」と笑って言った。バリは跪いて自分の額を差し出し、その三歩目を受け止めた。そこでヴィシュヌもその神妙な行いを称えて、バリの王国までは取り上げなかったとも伝わる。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ヴァーマナのデザインは、背中に光背を持った小人の姿に描きました。

2019年9月3日火曜日

「ラクシャサ」



ラクシャサ<ラクササ、ラクシャス、ラークシャス、ラクシャーサ、ラークシャサ>

インド神話に登場する邪悪な人食いの悪鬼。ラクシャサという名前はサンスクリット語で「保護する事」、「守護する事」という意味。ラクシャサ達は創造神ブラフマーを守護する為に創られた種族で、ブラフマーの足から生まれた。彼等は、まだ天地創造が始まったばかりの頃にブラフマーによって生み出された。創造が進んでいない段階で生まれた為、生み出された彼等は皆飢えてしまった。彼等の飢えは深刻になり、いよいよ自分達を創り出した父であるブラフマーまで食べてしまおうとする者達までいた。さすがのブラフマーもこれには堪らず、自分の身を守る為に父を食べるべきではないと諌めた。この時ブラフマーの言う事を聞き、おとなしくなった者達がヤクシャとなった。それに対してブラフマーの言う事を聞かず、なおもブラフマーを食べようとした血の気が多い者達がラクシャサとなった。ラクシャサは黒い身体を持ち、空を自由自在に飛行し、地上では足が速く、怪力と神通力を持ち、様々なものに変身する事も出来、それによって人間を魅了したり惑わしたりして、人間を食い殺す悪鬼である。また人間の新生児を食べるともされる。ラクシャサは人間と敵対する悪鬼、悪魔とされ、ラクシャサは打ち破られるべきものの代名詞とされる。ラクシャサ達を治めているのは富と財宝の神クベーラであり、ラクシャサ達の王クベーラとラクシャサ達は南方の島・ランカー島(現在のスリランカ)を根城としている。叙事詩「ラーマーヤナ」ではクベーラの異母弟ラーヴァナがクベーラと戦い、結果ラーヴァナがランカー島の覇権を握り、ラクシャサ達を率いて神々に戦いを挑むが、コーサラ国の王子ラーマに退治される伝説が語られている。ラクシャサ達には男と女があり、男はラクシャサ、女はラークシャシーと呼ばれる。男のラクシャサは醜いが、女のラークシャシーは美しいとされる。ラークシャシーは人間の妊婦に流産を起こしたり、産褥における幼児に死をもたらす。元々ラクシャサ、ラークシャシー達の起源はアーリア人がインドに侵入する以前からインドにいた人々が崇めていた木石水界の精霊達と思われる。仏教ではラクシャサは「羅刹」と漢訳され、仏法の守護者とされる。羅刹は四天王に仕える八種の鬼神・八部鬼衆(ハチブキシュウ)の内の一種であり、羅刹達は北方を守護する多聞天(毘沙門天)に眷属として仕えている。また八つの方位と天地、日月を守護する十二の護法善神「十二天」の内、西南の方角を守護する神として「羅刹天」と呼ばれる。羅刹天は「捏哩底王(ネイリチオウ、ニリチオウ)」とも言われ、破壊と滅亡を司る神である。羅刹天は全身黒色の肌と真っ赤な髪を持った鬼の姿とされ、身体には鎧を身につけている。左手は剣印という印契を結び、右手には剣を持っている。この剣で人々の煩悩を断つといわれている。ラークシャシーの方は「羅刹女」と呼ばれ、法華経(ホケキョウ)陀羅尼品に説かれる十羅刹女(ジュウラセツニョ)などが知られる。

出典:
Wikipedia
神の文化史事典(白水社)
ゼロからわかる インド神話(イースト・プレス)
図説 幻獣辞典(幻冬舎)

作者ひとこと:
ラクシャサのデザインは頭に骸骨を載せて、手に剣を持った三つ目の鬼の様な姿に描きました。

2019年9月2日月曜日

「ヤクシャ」



ヤクシャ

インド神話に登場する鬼神。ヤクシャという名前はサンスクリット語で「超自然的存在」という意味である。ヤクシャ達には男と女があり、男はヤクシャ、女はヤクシー若しくはヤクシニーと呼ばれる。ヤクシャ達は森林に住む神霊や精霊の様な者達である。人間達は森林に住むヤクシャ達を崇め、ヤクシャ達は人間達に崇められる対価として人間達に恩恵をもたらす。男性のヤクシャは樹木や植物に宿っていたり、それら植物を司る精霊とされ、また川の精霊でもあり、人間達に作物などの実をもたらす。女性のヤクシニーは豊かな大地と水を象徴する存在とされ、人間達に豊穣の女神として崇められた。ヤクシャやヤクシニー達は善良であり、人間達に富をもたらす者達とされている。その反面、ヤクシャやヤクシニー達は人間を食らう鬼神の性格も併せ持っている。ヤクシャやヤクシニー達は富と財宝の神クベーラの眷属であるとされる。クベーラ自身もヤクシャであり、クベーラはヤクシャ族の王である。仏教ではヤクシャは「夜叉」、「薬叉」と漢訳される。夜叉は釈迦如来(シャカニョライ)の眷属を務める八柱の神々・天竜八部衆(テンリュウハチブシュウ)の一員である。また四天王に仕える八種の鬼神・八部鬼衆(ハチブキシュウ)の内の一種でもあり、夜叉達は北方を守護する多聞天(毘沙門天)に眷属として仕えている。夜叉達は空を飛び、人間の血肉を食らう悪神、鬼神として描かれる一方、正法を守り、善人を守護し、悪人のみを食らうとされ、仏法や仏教徒を守護する善神ともされる。また夜叉には「天夜叉」、「地夜叉」、「虚空夜叉」という三種があり、地夜叉以外の夜叉達は自由自在に飛行する。

出典:
Wikipedia
神の文化史事典(白水社)
ゼロからわかる インド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ヤクシャのデザインは、手に宝珠と斧を持った角の生えた人間の様な姿、所謂、日本の鬼の様な姿に描きました。

2019年7月26日金曜日

「ナーガ」



ナーガ

インド神話に登場する、蛇の姿をした半神の種族。蛇族や竜族とも言われ、蛇の精霊あるいは蛇神の様な種族で、コブラを神格化した者達である。ナーガは人間の頭を持ったコブラの姿や人間の上半身と蛇の下半身の姿、純粋に巨大なコブラやインドコブラの姿をしていると言われ、東南アジアなどでは頭が七つある巨大なコブラの姿で表される。ナーガは相手を死に至らしめる恐ろしい猛毒を持つが、脱皮を繰り返して生き延びる強い生命力から、人間達に死と永遠の再生を象徴する存在として崇められている。また、ナーガ達は天気を制御する力を持ち、ナーガが怒ると旱魃に、宥められるとナーガ達は雨を降らす。このようにナーガの感情によって天気が変わってしまうので、ナーガ達は天候に関して責任感を持っており、自身の感情を抑えたりする。チベットではナーガは樹の枝に棲むとされ、吉兆の存在である。ナーガ達は地底世界・パーターラに住んでおり、ナーガ達の間には力の優劣による身分差の様なものがあり、特に力が強大なナーガ達は「ナーガラージャ(蛇の王)」や「マハーナーガ(大蛇)」と呼ばれ、パーターラのナーガ達を支配下に置いている。これら有力なナーガラージャ達は、ガルーダが聖水アムリタを置いたクシャ草を舐めた際、偶然アムリタの水滴がかかっていた部分を舐めた為、不死を得る事が出来た者達である。ナーガ達は聖仙カシュヤパに嫁いだカドゥルーが産んだ1000個の卵から産まれた。仏教では竜または竜王と呼ばれ、釈迦如来(シャカニョライ)の眷属である八柱の神々・天竜八部衆(テンリュウハチブシュウ)の一員である。しかし竜達には善の竜(法行竜)と悪の竜(非法行竜)がある。また竜達は一つに熱風熱沙に焼かれる苦悩、二つに住居を悪風が吹きさらし宝を失い衣が脱げる苦悩、三つに金翅鳥(迦楼羅、ガルーダの事)に食される苦悩がある。

出典:
Wikipedia
神の文化史事典(白水社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ナーガのデザインは上半身は人間、下半身は蛇の姿に描きました。

2019年7月14日日曜日

「スーリヤ」



スーリヤ

インド神話に登場する太陽神。スーリヤの頭髪は金色で、体は濃い赤色、3つの眼と4本の腕を持っている姿をしている。2本の手には蓮華を持ち、3番目の手で人々に祝福を授け、4番目の手でスーリヤを崇拝する人々を救済する。スーリヤは7頭の栗毛の馬が引く黄金の戦車に乗って、司法神ヴァルナが天空に準備した道を東から西へ駆ける。この黄金の戦車は極めて巨大で、9000ヨージャナ(1ヨージャナ=約7~9キロメートル)もの大きな戦車であった。この黄金の戦車には1年のそれぞれの月に応じて12の天の楽師や隠者、巨人達が順番に乗って天空を巡り、世界に季節のサイクルを知らせる。スーリヤの乗った黄金の戦車が天を駆けると、その姿は空飛ぶ鳥や天空の宝石とも例えられた。天駆けるスーリヤは全ての者に仰ぎ見られる神であり、またスーリヤは全てを見渡して世界を見守り、人間達の行いを監視する神であった。またスーリヤは人間や動物に生命を与え、光や知識を人間にもたらす神であった。人々はスーリヤによって目的を遂げる事が出来、仕事を成し遂げる事が出来るとされ、太陽神スーリヤは人間や動物、更には無生物の守護者であった。スーリヤは人間などに恩恵を与える一方、人間や動物達に害を与える悪魔達に破滅をもたらす。スーリヤは「リグ・ヴェーダ」ではインドラ、アグニと並び、三大主要神の一柱であった。スーリヤの出自には諸説あり、原初の巨人プルシャの目から生まれたとも、創造神ブラフマーの子供とも、天空神ディヤウスの子供とも、女神アディティの息子達アーディティヤ神群の一柱にしてインドラの兄弟ともされる。生まれたスーリヤは太陽神故に生まれた時からその全身は高熱を発しており、余りの熱さに母親に放り出された。後にスーリヤはトヴァシュトリ(ヴィシュヴァカルマン)の娘サンジュニャーと結婚し冥界王ヤマ、ヤミー、そして人類の始祖マヌをもうける。ところが妻のサンジュニャーは夫のスーリヤの発する強烈な光と熱に耐えきれなくなり、代理妻を作って置くと自分は雌馬に変身し、森に逃げ込んで隠れてしまった。最初スーリヤはサンジュニャーが置いた代理妻を本当の妻と思い込んでいたが、ある時代理妻が我が子であるはずのヤマに呪いの言葉を浴びせ掛けていた為、スーリヤは本当の妻でない事に気付き、スーリヤは雄馬に変身しサンジュニャーを見つけ出し連れ戻した。しかしサンジュニャーはスーリヤの熱に消耗していたので、再び妻に逃げられる事のないよう、妻の父親トヴァシュトリがスーリヤの熱と輝きの8分の1を削り取り、ようやくスーリヤの熱と光を弱める事が出来た。この時削り取られたスーリヤの熱と光から神々の様々な武器が作り上げられた。仏教では日天と呼ばれ太陽を宮殿とし、その中に住んでいる。日天は観世音菩薩の変化身の一つともされる。日天はジャヤとビジャヤの二柱を后とし7つの天体・七曜や流星などを眷属としている。日天は八方(東西南北の四方と東北、東南、西北、西南)を護る八方天に天地の二天と日月の二天を加えた十二天からなる仏法の護法善神「十二天」の一柱である。

出典:
Wikipedia
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)
「世界の神々」がよくわかる本(PHP文庫)
魅力的すぎる世界の神々と神話(大和書房)

作者ひとこと:
スーリヤのデザインは、三つの目と四本の腕を持った姿に描きました。

2019年6月25日火曜日

「アグニ」



アグニ

インド神話に登場する火の神。その姿は赤色の体に炎の衣を纏い、二つの頭を持ち腕が二本で、口の中に七枚の舌を持った姿とも、全身が燦然と輝き、髪は炎で出来ており、背中と顔がバターに塗られ、口の中に舌を3枚または7枚持った麗しい姿とも、髪が炎で出来ており、三つの頭を持ち口の中に3枚または7枚の舌を持ち、黄金の顎と歯を持った姿ともされる。アグニは火の神であると共に火そのものを象徴している。アグニは天上にあっては太陽として輝き、空中においては稲妻として煌めき、地上では人間達の儀式で使う祭火として燃える。家庭内では竃の火として、森では山火事として燃える。また、人間の体内や動物の体内では食物の消化作用(消化の火)として存在し、栄養を全身に行き渡らせて人間や動物達に健康をもたらし、また人間達に子孫繁栄や財産(家畜)の増大などをもたらす。また人間の心の中で怒りの炎、思想の火、霊感の火としてもアグニは存在し燃える。アグニは自らを信奉する者を守護し、彼等を害する悪魔達を炎で焼き払い、容赦なく悪魔達を全滅させ、信奉する者を危機から守護し救済する。またアグニは、地上の人間達と天上の神々の仲介役を務めており、人間達が儀式で使う祭火の中にいるアグニは、人間達が神々への供物として祭火の中に投じたバター(ギー)やチーズなどの供物を煙に乗せて神々の元へと運び、また神々を祭場へ召喚する役割を担う。インドではアグニは初期ヴェーダ時代から信仰されてきた古い神で、悪魔を除く力を持つ清浄な神として人々に盛んに崇拝された。「リグ・ヴェーダ」では冒頭でアグニへ讃歌が捧げられ、アグニへ捧げられた讃歌の数は神々の帝王・インドラへ捧げられた讃歌に次いで数が多く、アグニは神々の中でも極めて重視されていた。アグニの起源は、竃の火など火を崇拝する拝火信仰と考えられ、古代ペルシアを起源とする宗教「ゾロアスター教」に登場する火の神・アータルと起源を同じくする。アグニは創造神ブラフマーの創造した蓮華から誕生したとする説や、太陽または石から生まれたとする説、天空神・ディヤウスと地母神・プリティヴィーの間に生まれたとする説がある。アグニはあまりにも空腹であった為、誕生後直ぐに両親を食い殺したとも言われる。後の時代になるとアグニは、世界を護る八柱の守護神の一柱に据えられた。この八柱の神々は、それぞれが各方位を守護しており、アグニは東南の方角を守護する。しかし時代が下るにつれてアグニは影が薄くなっていき、叙事詩「ラーマーヤナ」では魔王・ラーヴァナによって尻尾に火を付けられたヴァナラ(猿族)の英雄・ハヌマーンの治療をするために登場した程度である。仏教では火天と呼ばれ、足が3本または2本で、腕が4本または2本の仙人の姿をしており、火天后及び多くの仙人、天女達を眷属にしている。火天は八方(東西南北の四方と東北、東南、西北、西南)を護る八方天に天地の二天と日月の二天を加えた十二柱からなる仏法の護法善神「十二天」の一柱である。火天は十二天では東南の方角を守護している。

出典:
Wikipedia
神の文化史事典(白水社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
アグニのデザインは、二つの頭と四本の腕を持った姿で描きました。

2019年6月19日水曜日

「ガルーダ」



ガルーダ<ガルダ、ガルラ、ヴァイナテーヤ、ガルトマーン、スパルナ、ラクタパクシャ、スレーンドラジット、ラサーヤナ>

インド神話に登場する、炎や太陽の様に光り輝き、熱を発する神鳥。その姿は単に鷲(ワシ)の姿だったり、人間に翼が生えた姿で描かれたりするが、一般的には頭と嘴(クチバシ)、手足の爪、翼が鷲の鳥頭人身の姿で、顔は白く、翼は赤く、金色に輝く身体を持った巨大な姿で描かれる。ガルーダの母は聖仙カシュヤパの妻ヴィナターである。創造神プラジャーパティの一人、ダクシャにはヴィナターとカドゥルーという二人の娘がいた。二人は共に聖仙カシュヤパに嫁ぎ妻になった。しかし、ヴィナターとカドゥルーの姉妹は仲が良くなかった。あるときカシュヤパは二人の願いを叶えると約束し、カドゥルーは1000匹のナーガを息子とする事を望み、ヴィナターはカドゥルーの子達より優れた二人の息子を望んだ。やがてカドゥルーは1000個の卵を、ヴィナターは二個の卵を産んだ。二人は卵を500年温め続け、やがてカドゥルーの卵からは次々と蛇のナーガ達が産まれた。まだ子供が産まれないヴィナターは焦り、自分で一つの卵を割ってしまう。卵の中からは、まだ身体が完全に出来ておらず上半身しかない子供、暁の神アルナが出て来た。不完全なまま卵から出されたアルナは母のヴィナターを憎み、母に対して500年の間、競った相手の奴隷になるという呪いをかけた。ある日ヴィナターとカドゥルーは乳海攪拌(ニュウカイカクハン)から生まれ、太陽を牽引する馬ウッチャイヒシュラヴァスの色について、この馬は何色かという賭けをした。負けた方は勝った方の奴隷となる約束である。ヴィナターは馬の全身が全て白いと主張したのに対して、カドゥルーは馬の体は白いが尻尾だけ黒いと主張した。実際にはヴィナターの言うとおり全身が白い白馬なのだが、絶対に負けたくないカドゥルーは息子のナーガ達に命じてナーガ達の体を黒く染め、馬の尾に絡みついて黒く見せたイカサマをした。二人は馬を確認に行くと馬の尾は黒かった為ヴィナターは賭けに負け、カドゥルーの奴隷になった。やがてヴィナターのもう一つの卵からガルーダが産まれた。ガルーダは自力で卵を割って出て来て、産まれてすぐ巨大な鳥の姿になり、強い光を放った。ガルーダの光に神々は震え上がり、神々はガルーダを賛美してガルーダの放つ光と熱を収めさせた。ガルーダは母の元へ飛んで行くと、そこで目にしたのはカドゥルーやナーガ達から奴隷として扱われている母ヴィナターの姿だった。ガルーダは母に対して何故このようになったのか尋ねた母から、カドゥルーとナーガ達のイカサマによって奴隷となった事を聴くとガルーダは、イカサマによって母を奴隷にしたナーガ達に対して強い憎しみを抱き、同時に母を自由にしてあげたいと考えた。そこでガルーダはナーガ達に母を解放して欲しいと懇願した。するとナーガ達は飲んだ者に不死が得られる聖水アムリタを持ってくれば願いを叶えてやると約束した。ガルーダは母の為、アムリタのある天界へと飛んだ。ガルーダが天界に乗り込むと、神々はアムリタを守る為ガルーダに襲い掛かった。しかし、襲い掛かった風神であり戦神のヴァーユはじめ多くの神々は、ガルーダに打ち倒された。アムリタを守る多くの罠もガルーダはすり抜けて突破し、ついにガルーダはアムリタを手に入れた。しばらく行くとヴィシュヌと出会った。ヴィシュヌはガルーダの勇戦を見ており、ガルーダのその勇気と力に感動しガルーダを認め、ガルーダの願いを叶えてやる代わりにヴィシュヌはガルーダに自分のヴァーハナ(乗り物)にならないかと申し出た。ガルーダはヴィシュヌの申し出を受け入れ、ガルーダはアムリタを使わずとも不死を得たいと願った。ヴィシュヌはこの願いを承知し、ガルーダはヴィシュヌによって不死となった。それ以来ヴィシュヌとガルーダは主従関係でヴィシュヌは自分のヴァーハナをガルーダにした。ついに母の元に戻ろうとするガルーダの前に、神々の帝王インドラが襲い掛かって来た。インドラは手に持ったヴァジュラ(金剛杵)から多数の激しい雷をガルーダに向けて放つが、ガルーダはこれをものともしない。インドラはヴァジュラが全くガルーダに効かないのを見ると、ガルーダに永遠の友情の誓いを申し込んだ。ガルーダも自分の強さを鼻にかける事をせず、インドラに敬意を表し、自ら羽根を一枚抜き落とした。ガルーダもインドラも共に相手との友情を望み、永遠の友情を結んだ。ガルーダは友になったインドラの頼みに応じ、ナーガ達から母を解放できればアムリタを天界に返すと約束した。代わりにガルーダもインドラに、自分は憎きナーガ達蛇族を常食にしたいと申し出て、それもインドラに承認された。そして一旦、約束を守る為にガルーダはアムリタをナーガ達の元に持ち帰った。そしてアムリタをクシャ草の上に置いた。そしてナーガ達にアムリタを飲む前には清めの沐浴をしてから飲まねばならないと告げた。ナーガ達は喜び、母ヴィナターは解放された。ナーガ達が沐浴をしている隙に約束通りインドラが現れ、アムリタを天界に持って行った。沐浴し終わったナーガ達は騙された事に気付いたが、最早どうしようもなかった。それでも諦めきれないナーガ達は、どうにかしてアムリタを舐めようとアムリタの置かれていたクシャ草を舐め回したが、この時、鋭いクシャ草がナーガ達の舌を二つに裂いてしまった。それ以来ナーガをはじめとした蛇達の舌の先が二股になった。ガルーダは人々に恐れられているナーガ達をはじめとした蛇、竜達を食べる、または退治する聖鳥として人々に崇拝されている。仏教では迦楼羅天(迦楼羅王(カルラオウ)、食吐悲苦鳥(ジキトヒクチョウ)とも)と呼ばれ、釈迦如来の眷属である八柱の神々、天竜八部衆の一員である。また千手観音の眷属である二十八部衆の一員でもある。迦楼羅天は仏法守護の神で鳥頭人身で有翼、時には四本の腕を持つ。龍や蛇を踏みつけており、篳篥(ヒチリキ)や横笛を吹く事もある。口から金の火を吹き、赤い翼を広げると336万里にも達する。ガルーダがヴィシュヌのヴァーハナであったように、迦楼羅天も那羅延天(ナーラーヤナ、ヴィシュヌの異名)の乗り物を務めている。仏教において毒蛇や雨風を起こす悪龍は煩悩の象徴とされ、龍や蛇を常食としている迦楼羅天は毒蛇、悪龍から人々を守り龍蛇を喰らう様に衆生の煩悩(貪・瞋・癡の三毒)を喰らう霊鳥として信仰されている。密教では迦楼羅を本尊とした修法で降魔・病除・延命・防蛇毒に効果があるとする。また祈雨・止風雨の利益があるともされる。また不動明王の背後の炎は迦楼羅天の吐く炎、または迦楼羅天そのものの姿であるとされ、「迦楼羅炎」と呼ばれる。

出典:
Wikipedia
神の文化史事典(白水社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ガルーダのデザインは、鳥の翼を持った鳥頭人身の姿に描きました。片手にアムリタの入った壺を持っています。

2019年6月12日水曜日

「ヴァーユ」



ヴァーユ

インド神話に登場する風神。「リグ・ヴェーダ」にはヴァーユの他にもヴァータという風神が登場するが、ヴァータは自然現象としての風をそのまま神格化した神であるのに対して、ヴァーユはより擬人化が進み、風を支配する独自の人格神と考えられる。「リグ・ヴェーダ」の宇宙創造賛歌によれば、ヴァーユは原人プルシャの生気(プラーナ)から生まれた。ヴェーダの自然を司る神々の中でもヴァーユは重要な位置を占め、ヴァーユに捧げられた賛歌も多く、火の神アグニ、太陽神スーリヤと共にバラモン教三大神として祀られた重要な神である。またヴァーユは雷神インドラとも密接に結び付き、ヴァーユは神々の長であるインドラと並ぶ神だとして言及される。ヴェーダの神々は三界(天界、空界、他界)に分類されるが、ヴァーユはインドラと共に空界に属しており、空界をこの二柱で占めている。ヴァーユは速い神と言われ、その速い事はしばしば駿馬に譬えられる。ヴァーユはいつも二頭の赤毛の馬が牽く輝かしい車に乗って駆け回るが、インドラと同乗する時は千頭立ての黄金の馬車で駆け巡る。ヴァーユはその息で、あらゆるものに生命を吹き込む事が出来る。また、生きとし生けるものを守護し、生類を脅かす敵を駆逐して生類を守る。人間達には名声、子孫、家畜、財宝を授ける神でもある。ヴァーユは何よりも神々の飲料ソーマを好み、他の神々に先んじてソーマを飲む。後代になると雷神インドラの地位が低下し、ヴァーユも神としての地位が低下してしまう。後に世界を護る八柱の守護神の一柱に据えられた。この八柱はそれぞれが各方位を守護しており、ヴァーユは北西を守護する神になった。「マハーバーラタ」の英雄ビーマや「ラーマーヤナ」の猿将ハヌマーンはヴァーユの息子である。ヴァーユはイランでは風神ワーユにあたり、ゾロアスター教の善悪二元論では、ワーユはインドラと共にダエーワ(悪魔)と見なされた。仏教ではヴァータと共に風天と呼ばれ、八方(東西南北の四方と東北、西北、西南)を護る八方天に天地の二天と日月の二天を加えた十二柱からなる仏法の護法善神「十二天」の一柱になった(風天も北西の守護神)。

出典:
Wikipedia
神の文化史事典(白水社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ヴァーユのデザインは、4本の腕を持つ男神の姿に描きました。赤毛の馬の車以外にもカモシカに乗るとも言われているので、カモシカも描きました。

2019年6月10日月曜日

「ヴァルナ」



ヴァルナ

古代インドの神であり、主権神で至高神。契約神のミトラと並ぶ最高神でもある。ヴァルナはミトラと共に太古のアスラ族、アーデイティヤ神群を代表した神である。ヴァルナの起源は古く、紀元前14世紀頃のミタンニ・ヒッタイト条約文にはミトラと共にヴァルナの名が挙げられている。ヴァルナは4本の腕を持ち、体中を宝石などの装飾品で飾った姿をしている。ヴァルナは宇宙を支配する神で、対になっているミトラが法によって秩序を維持する神に対して、ヴァルナは魔術的な力によって罪人を罰し、秩序を維持する神であった。ヴァルナは世界の秩序の理法「真実」であるリタ(天則)を堅持し、リタを順守しない者に直ちに罰を下す。この神は全てを見て知る神であり、ヴァルナは密偵を放ち人々を監視させた。そして罪を犯す者に対しては瞬時に縄で縛り上げたり、水腫病で罰したりする。この様に厳正に裁くヴァルナに、ある者はその厳しさに恐れたが、ヴァルナは反省した者は許す優しさもあり、また、ある者はヴァルナがもたらす医学の施しに感謝し、ヴァルナは尊敬を集める存在とされていた。しかしヴェーダの時代になると、ヴァルナの地位が下がり始めた。何故ヴァルナは格を下げられたのかというと、彼の神格があまりにも多様で広すぎた事にあった。ヴァルナの多様な神格は多くの神々に分担されていき、ヴァルナは頂点的な存在では無くなった。その後プラーナ文献によると、ヴァルナは世界を護る八柱の守護神の一柱に据えられた。この八柱の神々はそれぞれが各方位を守護しており、ヴァルナは西を守護する神になった。ヴァルナの他の神々に分担された神格の内、水神としての属性は残り、その属性は徐々に強められていった。叙事詩「マハーバーラタ」には神々に「インドラが神々を支配するように、ヴァルナは水を支配する事が出来る。海も川も、全ての水が従うだろう」と言われたヴァルナは納得し、水の神になったという話がある。こうしてヴァルナは水の神、海上の神という位置付けが与えられる事になった。ヴァルナは「マハーバーラタ」の中では、ナーガ達が暮らす海の主だとも、ナーガ達の王だとも呼ばれている。仏教では「水天」と呼ばれ、八方(東西南北の四方と東北、東南、西北、西南)を護る八方天に天地の二天と日月の二天を加えた十二柱からなる仏法の護法善神「十二天」の一柱である。水天は天部の一柱で須弥山の西に住み、十二天でも西の方角を守護している。水天は水の神であり、竜達を支配する。

出典:
Wikipedia
神の文化史事典(白水社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ヴァルナのデザインは、宇宙を支配する神なので、体と手が離れている、不思議な姿に描きました。また、ナーガ達の王ともされているので、体中に蛇を付けました。