自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。
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2023年7月19日水曜日

「風木津別之忍男神」


風木津別之忍男神(カザモツワケノオシオノカミ)(カザモツワケノオシヲノカミ、カザゲツワケノオシヲノカミ)

「古事記(こじき)」において、国土を生み終えた「伊邪那岐命(イザナキノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」が、「大屋毘古神(オオヤビコノカミ)」の次に生んだ神。「石土毘古神(イワツチビコノカミ)」から始まる、住居に関する六神を総称した「家宅六神(かたくろくしん)」の一柱に数えられる。家宅六神の六番目。家宅六神は、家屋の成立までを順序だてて系列的に語るものと解され、家の材料や建築作業を神格化した家の守り神である。風木津別之忍男神の「木津」の意味は不明だが、字面のとおりだすれば、風に縁のある神名であると解釈される。風害を防ぐ家の神。「木」を仮名に用いた例は「万葉集(まんようしゅう)」にある「木丘開道乎(もくさくみちを)」の一点のみである。本居宣長(もとおり のりなが)の「古事記伝(こじきでん)」では、この訓注には字の誤りがあるとして、「カザゲツワケ」と訓(よ)んでいる。西郷信綱(さいごう のぶつな)によれば、「今はしかし、「得」「俗」などをト、ゾの仮名に用いているのからして、仮名の木の音はモであろうから、意味はわからぬが、カザモツという訓みに従っておく」としている。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)
日本の神々 完全ビジュアルガイド(KANZEN)
図解 日本神話(新紀元社)
東洋神名事典(新紀元社)
新版 古事記 現代語訳付き(角川ソフィア文庫)

作者ひとこと:
風木津別之忍男神のデザインは、手に矛を持ち、鎧に身を包んだ男神の姿に描きました。イラストの風木津別之忍男神は、家の屋根を吹き飛ばそうとする悪い風の神を、手に持った矛で追い払う、家を護る神という感じで描きました。

2023年7月18日火曜日

「天之吹男神」


天之吹男神(アメノフキオノカミ)(アメノフキヲノカミ)

「古事記(こじき)」において、国土を生み終えた「伊邪那岐命(イザナキノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」が、「大戸日別神(オオトヒワケノカミ)」の次に生んだ神。「石土毘古神(イワツチビコノカミ)」から始まる、住居に関する六神を総称した「家宅六神(かたくろくしん)」の一柱に数えられる。家宅六神の四番目。家宅六神は、家屋の成立までを順序だてて系列的に語るものと解され、家の材料や建築作業を神格化した家の守り神である。天之吹男神の名義は不明だが、おそらく屋根を葺く意か、それとも風の神の一種だろうか。「神名帳」に天乃夫支売(あめのふきめ)神社(山城国)がある。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)
日本の神々 完全ビジュアルガイド(KANZEN)
図解 日本神話(新紀元社)
東洋神名事典(新紀元社)
新版 古事記 現代語訳付き(角川ソフィア文庫)

作者ひとこと:
天之吹男神のデザインは、天之吹男神が屋根を葺く事に関連ある神とされる説もある事から、イラストでは、頭が草で葺かれた屋根の様になっている神の姿に描きました。手に持っているのは、屋根に茅を葺く時に使う針です。

2023年7月17日月曜日

「大戸日別神」


大戸日別神(オオトヒワケノカミ)(オホトヒワケノカミ)

「古事記(こじき)」において、国土を生み終えた「伊邪那岐命(イザナキノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」が、「石巣比売神(いわすひめのかみ)」の次に生んだ神。「石土毘古神(イワツチビコノカミ)」から始まる、住居に関する六神を総称した「家宅六神(かたくろくしん)」の一柱に数えられる。家宅六神の三番目。家宅六神は、家屋の成立までを順序だてて系列的に語るものと解され、家の材料や建築作業を神格化した家の守り神である。戸とあるので、家の出入り口の守り神だろうか。「戸」を「処」と見れば、居所の神かもしれない。大戸日別神の名義について、大した意味はない、と解説している本もある。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)
日本の神々 完全ビジュアルガイド(KANZEN)
図解 日本神話(新紀元社)
東洋神名事典(新紀元社)
新版 古事記 現代語訳付き(角川ソフィア文庫)

作者ひとこと:
大戸日別神のデザインは、手に剣を持ち、大きく見開かれた目で睨みつけ、家の外から入ってこようとする魔を家の中に入らせない、家の守護神というイメージで描きました。

2023年4月5日水曜日

「大山咋神」


大山咋神(オオヤマクイノカミ)

日本神話に登場する神の内の一柱。「古事記(こじき)」によれば、大山咋神は「大年神(オオトシノカミ)」と「天知迦流美豆比売(アマチカルミズヒメ)」との間に生まれた神で、「須佐之男命(スサノオノミコト)」の孫にあたる。この大山咋神は「淡海国(おうみのくに。滋賀県)の日枝の山(ひえのやま。比叡山)に坐し、また葛野(かづの。京都市西部)の松尾に坐して鳴鏑(なりかぶら。音をたてて飛ぶ矢)を用つ神」と伝えられている。大山咋神は、別名を「山末之大主神(ヤマスエノオオヌシノカミ)」という。この大山咋神は、秦氏が氏神と崇めた開拓の守護神であり、日吉大社、全国の日枝神社、松尾神社の主神で、「松尾さま(マツオサマ)」と呼ばれる酒神としても知られている。大山咋神は、妻である「建玉依比売命(タケタマヨリヒメノミコト)」との間に、後に上賀茂神社の祭神となる「賀茂別雷命(カモノワケイカヅチノミコト)」をもうけた。建玉依比売命という神名の「玉依」とは、文字通り玉(魂)がよりつくという意味をもつ事から、この女神は大山咋神の巫女だったと思われる。記紀には、大山咋神の御子を建玉依比売命が身ごもったときの話が、次の様に記されている。あるとき、大山咋神が山に狩りに出かけた時の事、獲物に向けて放ったはずの矢がはずれ、小川に落ち流れてしまった。その矢を下流で建玉依比売命が拾った。それは丹塗りの美しい矢だったので、その矢を寝所に飾っていつも眺めていると、いつの間にか建玉依比売命は妊娠してしまった。これは、大山咋神が、丹塗りの矢に化身していたからである。ただ、この時点では、建玉依比売命には夫たる神の正体がわからなかった。建玉依比売命がいよいよ御子を出産すると、建玉依比売命の父神である「賀茂建角身命(カモノタケツヌミノミコト)」は、誕生を祝って七日七夜にわたる宴を催した。そして孫神(賀茂別雷命)に、父親と思う神に神酒を注ぐように命じた。御子が言われるがまま盃を捧げ持ち、天に祈ると、雷鳴が轟き、たちまち天に引きあげられたという。ちなみに、この大山咋神の義父にあたる賀茂建角身命は、日向に天降って「神倭石余比古命(カムヤマトイワレビコノミコト。神武天皇)」を大和に導いた神である。賀茂建角身命は、一説に「八咫烏(ヤタガラス)」と同神ともされ、大和国葛城の地に移り住み、賀茂県主の祖となった。このため大山咋神は、賀茂氏につらなる氏族の氏神ともされる。

出典:
図解 日本の神々(Gakken)

作者ひとこと:
大山咋神のデザインは、弓と、酒の入っている瓢箪を持った神の姿に描きました。

2023年1月18日水曜日

「国之狭霧神」


国之狭霧神(クニノサギリノカミ)

日本神話に登場する神。「古事記(こじき)」でのみ登場し「日本書紀(にほんしょき)」では言及されない。国之狭霧神は「天之狭霧神(アメノサギリノカミ)」とともに、「大山津見神(オオヤマツミノカミ。山を司る神)」と、大山津見神の妻「鹿屋野比売神(カヤノヒメノカミ。野と草を司る女神)」の両神から生まれた神で、「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」の御子神「三十五神(みそぢまりいつはしら)」の一柱として25番目に数えられる。国之狭霧神は、名前の通り「山野の霧の神」だと考えられる。また国之狭霧神は、天之狭霧神とともに峠を守る神でもあるという。この国之狭霧神は国津神(くにつかみ)であるという。国之狭霧神は、平原に吹き溜まる霧を司る神である、という説もある。また、国之狭霧神と天之狭霧神は、境界線の守護神である、という説もある。この国之狭霧神は、俗世と神域を分け隔てる力を持った神である、という説もある。

出典:
神魔精妖名辞典
ピクシブ百科事典
東洋神名事典(新紀元社)
図解日本神話(新紀元社)

作者ひとこと:
国之狭霧神のデザインは、霧の中から現れた神の姿に描きました。

2023年1月17日火曜日

「天之狭霧神」


天之狭霧神(アメノサギリノカミ)

日本神話に登場する神。「古事記(こじき)」でのみ登場し「日本書紀(にほんしょき)」では言及されない。同訓で「天狭霧神」とも書く。天之狭霧神は「国之狭霧神(クニノサギリノカミ)」とともに、「大山津見神(オオヤマツミノカミ。山を司る神)」と、大山津見神の妻「鹿屋野比売神(カヤノヒメノカミ。野と草を司る女神)」の両神から生まれた神で、「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」の御子神「三十五神(みそぢまりいつはしら)」の一柱として24番目に数えられる。天之狭霧神は、名前の通り「山野の霧の神」だと考えられる。本居宣長(もとおり のりなが)は「古事記伝(こじきでん)」で、天之狭霧神は峠を守護する境神であろう、としている。天之狭霧神は、神産みの段以外では、「大国主神(オオクニヌシノカミ)」の系譜が語られる段で「遠津待根神(トオツマチネノカミ)」の親として出てくる。また天之狭霧神は、国津神(くにつかみ)であるとも言われている。また天之狭霧神は、山の頂上など上空にかかる霧を神格化した存在で、神域たる山中を俗世から覆い隠す神である、という説もある。

出典:
神魔精妖名辞典
ピクシブ百科事典
東洋神名事典(新紀元社)
図解日本神話(新紀元社)

作者ひとこと:
天之狭霧神のデザインは、霧の中から立ち現れた神というイメージで描きました。

2022年10月11日火曜日

「天津甕星神」


天津甕星神(アマツミカボシノカミ)<天香香背男(アメノカガセオ)>

日本神話に登場する神の内の1柱で、この神は星の神であるとされる。「日本書紀」巻二、神代下に次のようにある。天津甕星神は、地上平定のために遣わされた「建甕槌神(タケミカヅチノカミ)」と「経津主神(フツヌシノカミ)」が平らげることの出来なかった、ただ一柱の神である。「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)(中つ国)」のほぼ全土が征圧された後も、天津甕星神はただ一柱、天津神に従わなかった。そこで「建葉槌命(タケハツチノミコト)」が派遣されて、ようやく征圧されたという。また、「日本書紀」の神代下第九段には次のような異伝もある。天津甕星神は天津神でありながら、高天ヶ原の命に従わぬ神であった。そのため、地上平定のために建甕槌神と経津主神が派遣されようとした際、二柱の神は「地上平定は、悪神である天津甕星神を排除してから行ってほしい」と異を唱えている。しかし、天津甕星神は排される事はなく、香取に鎮座し続けた。天津甕星神は「香香背男(かかせを)」とも呼ばれている。天に従わない神がいて、それらの神は誅された。最後に残ったのが、星の神である香香背男だったが、それも建葉槌命によって退治された。茨城県では、天津甕星神は、「建御雷命(タケミカヅチノミコト)」「経津主命(フツヌシノミコト)」、およびそれを助けた建葉槌命によって退治されたと寺社で言い伝えられている(「県北海岸地区民俗資料緊急調査報告書」、「瓜連町史」)。茨城県日立市の大甕神社では「香香背男の爪」と称する爪が保管されていて、香香背男は獣のすがたをしていたとも語られていたという(「県北海岸地区民俗資料緊急調査報告書」)。「魔王石(マオウイシ)」は香香背男が化けた、または変じたとされる岩石である。この魔王石は日に日にどんどん巨大になっていったといい、建御雷命によって弓で射られて砕け散ったとされる。茨城県日立市などに伝わる。建葉槌命が金の沓で蹴り飛ばして石を割ると香香背男が中から出て来て、血を吐き死んだとされる。「雷断石(ライダンイシ)」や「雷神石(ライジンイシ)」と呼ばれている話もみられ、そちらでは雷が落とされて砕け散ったことから、その名で呼ばれている(「県北海岸地区民俗資料緊急調査報告書」)。飛び散った魔王石の欠片のうちの最も大きいものが要石になった(「県北海岸地区民俗資料緊急調査報告書」)とも語られる。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
図解日本神話(新紀元社)
日本怪異妖怪事典関東(笠間書院)

作者ひとこと:
天津甕星神のデザインは、鎧を身に着け、剣を持った神の姿に描きました。

2022年10月4日火曜日

「大戸惑女神」


大戸惑女神(オオトマトイメノカミ、オホトマトヒメノカミ)

日本神話に登場する神の内の一柱。大戸惑女神は、山を司る神「大山津見神(オオヤマツミノカミ)」と野と草を司る女神「鹿屋野比売神(カヤノヒメノカミ)」の間に生まれた女神である。この大戸惑女神は、山の傾斜面にいる女神であるとされる。また、この大戸惑女神は「山野に迷う事」の女神であるとされる事もある。この大戸惑女神は「古事記(こじき)」でのみ登場し、「日本書紀(にほんしょき)」では言及されない女神である。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
図解日本神話(新紀元社)
神魔精妖名辞典

作者ひとこと:
大戸惑女神のデザインは、山の傾斜面などにいて、人間の目には見えないが、近づいた人間を山に迷わせる、影の様な女神、精霊のイメージで描きました。

2022年10月3日月曜日

「大戸惑子神」


大戸惑子神(オオトマトイコノカミ、オホトマトヒコノカミ)

日本神話に登場する神の内の一柱。大戸惑子神は、山を司る神「大山津見神(オオヤマツミノカミ)」と野と草を司る女神「鹿屋野比売神(カヤノヒメノカミ)」の間に生まれた神である。この大戸惑子神は、山の傾斜面にいる神であるとされる。また、この大戸惑子神は「山野に迷う事」の神であるとされる事もある。この大戸惑子神は「古事記(こじき)」でのみ登場し、「日本書紀(にほんしょき)」では言及されない神である。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
図解日本神話(新紀元社)
神魔精妖名辞典

作者ひとこと:
大戸惑子神のデザインは、山の傾斜面などにいて、人間の目には見えないが、近づいた人間を山に迷わせる、影の様な神、精霊のイメージで描きました。

2021年6月17日木曜日

「保食神」


保食神(ウケモチノカミ)

日本神話に登場する神。保食神は「古事記」には登場せず、「日本書紀」の神産みの段の第十一の一書にのみ登場する。この保食神は、神話での記述内容から女神であると考えられる。神話によると、高天原を統べる主宰神で、太陽の女神である「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」は、弟神で月の神である「月夜見尊(ツクヨミノミコト)」に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出した。そして、それらを並べて月夜見尊をもてなした。だが、月夜見尊は「汚らわしく、卑しい。どうして口から吐き出したものを私に食べさせようとするのか」と怒り、剣を抜いて保食神を斬り殺してしまった。そして月夜見尊は天に帰って、天照大御神に詳細に報告した。それを聞いた天照大御神は激しく怒って、月夜見尊に向かって「汝は悪しき神だ。もう会わない」と言った。こうして、今まで共に天にあった天照大御神と月夜見尊は離れて暮らすようになり、それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。天照大御神が保食神の所に「天熊人(アメノクマヒト)」を遣すと、保食神は死んでいた。その保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大御神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとして、これらを田畑の種とした。この月夜見尊と保食神の神話と同様の神話が古事記では、「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」と「大気津比売神(オオゲツヒメノカミ)」の神話となっている。よって保食神は、この大気津比売神と同一神とされる事もある。また保食神は、同じ食物神である「宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)」とも同一視され、宇迦之御魂神に代わって稲荷神社に祀られている事もある。保食神の神名の「ウケ」は、宇迦之御魂神の神名の「ウカ」と同源で、「食物」の意味である。また保食神は、食物神というだけでなく、「頭から牛馬が生まれた」という事から、牛や馬の神ともされる。東日本に多い駒形神社では、馬の神として保食神が祀られており、更に「頭から馬」という事で「馬頭観音(バトウカンノン)」とも同一視されている。

出典:
Wikipedia
図解日本神話(新紀元社)

作者ひとこと:
保食神のデザインは、馬の様な頭を持った女神の姿に描きました。

2021年3月22日月曜日

「国之水分神」


国之水分神(クニノミクマリノカミ)

日本神話(「日本書紀」「古事記」の記紀神話)に登場する神。国之水分神は、「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」の間に生まれた男女一対の神の「速秋津比古神(ハヤアキツヒコノカミ。男神)」と「速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ。女神)」の間に生まれた神である。国之水分神は、同じく速秋津比古神と速秋津比売神の間から生まれた「天之水分神(アメノミクマリノカミ)」と対になっている。天之水分神、国之水分神のどちらの神の名前にもある「水分(ミクマリ)」は「水配り(みずくばり)」を意味しており、この「水分」の名前をもつ天之水分神、国之水分神は共に、水の均等な分配を司る神、分水嶺の神とされる。その為、天之水分神と国之水分神は、水源地や水路の分水点、水流の分岐点などに祀られる事が多い。また、水に関わる神という事で祈雨の神ともされ、更に田の神とされる事もある。また水源地に祀られる場合は山の神であるともされている。後の時代になると「ミクマリ」が「ミコモリ(御子守)」と解され、子供の守護神、子授け・安産の神としても信仰される様になった。国之水分神は地上の水の分配を司る神である。

出典:
Wikipedia
コトバンク
神魔精妖名辞典
図解日本神話(新紀元社)
日本の神々完全ビジュアルガイド(KANZEN)

作者ひとこと:
国之水分神は、水に関わる神なので水神のイメージから蛇体の神に描きました。水を分配して田を潤し、稲を育てる感じで、体に苗を付けています。

2021年3月21日日曜日

「天之水分神」


天之水分神(アメノミクマリノカミ)

日本神話(「日本書紀」「古事記」の記紀神話)に登場する神。天之水分神は、「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」の間に生まれた男女一対の神の「速秋津比古神(ハヤアキツヒコノカミ。男神)」と「速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ。女神)」の間に生まれた神である。天之水分神は、同じく速秋津比古神と速秋津比売神の間から生まれた「国之水分神(クニノミクマリノカミ)」と対になっている。天之水分神、国之水分神のどちらの神の名前にもある「水分(ミクマリ)」は「水配り(みずくばり)」を意味しており、この「水分」の名前をもつ天之水分神、国之水分神は共に、水の均等な分配を司る神、分水嶺の神とされる。その為、天之水分神と国之水分神は、水源地や水路の分水点、水流の分岐点などに祀られる事が多い。また、水に関わる神という事で祈雨の神ともされ、更に田の神とされる事もある。また水源地に祀られる場合は山の神であるともされている。後の時代になると「ミクマリ」が「ミコモリ(御子守)」と解され、子供の守護神、子授け・安産の神としても信仰される様になった。天之水分神は山頂の水の分配を司る神である。

出典:
Wikipedia
コトバンク
神魔精妖名辞典
図解日本神話(新紀元社)
日本の神々完全ビジュアルガイド(KANZEN)

作者ひとこと:
天之水分神は、水に関わる神なので水神のイメージから蛇体の神に描きました。水を分配して田を潤し、稲を育てる感じで、背中に垂穂を乗せています。

2021年3月20日土曜日

「大斗乃弁神」


大斗乃弁神(オオトノベノカミ)<大苫辺尊(オオトマベノミコト)、大戸摩姫尊(オオトマヒメノミコト)、大富辺尊(オオトマベノミコト)、大苫姫尊(オオトマヒメノミコト)>

日本神話(「日本書紀」「古事記」の記紀神話)に登場する神。大斗乃弁神は、世界が天と地に分かれた後に次々と現れた神々である「神世七代(かみよななよ)」の内の一柱で、大斗乃弁神は、意富斗能地神(オオトノヂノカミ)と一対で神世七代の第五代の神である。意富斗能地神は男神で兄、大斗乃弁神は女神で妹である。意富斗能地神という名前の「地」は「男性」、大斗乃弁神という名前の「弁」は「女性」という意味である。また、意富斗能地神・大斗乃弁神の両方の名前にある「斗(ト)」は、性器の象徴であるとする説もある。また、この意富斗能地神と大斗乃弁神の両神は、固まっていなかった大地が完全に凝固した状態を神格化した神々であるとも考えられている。また、大斗乃弁神という名前の「大」は美称、「斗」は「門・戸」で集落の狭い通路、「乃」は格助詞、「弁」は「女(メ)」の転と解し、この神の名義は「偉大な門口の女」と考えられ、元々は集落の狭い通路にいて、人々から祀られてきた防壁の守護神であったのではないか、という説もある。また、大斗乃弁神と意富斗能地神は、「大所(オオト。大きな家や地所)」の神であるともされ、大斗乃弁神・意富斗能地神は場所の神、居場所の神であるともされている。

出典:
Wikipedia
図解日本神話(新紀元社)
日本の神々完全ビジュアルガイド(KANZEN)

作者ひとこと:
大斗乃弁神のデザインは、意富斗能地神と同じ様な大きな一つ目を持った巨大な怪物の様な姿の女神に描きました。体は土で出来ているイメージです。

2021年3月19日金曜日

「意富斗能地神」


意富斗能地神(オオトノヂノカミ)<大戸之道尊(オオトノヂノミコト)、大戸摩彦尊(オオトマヒコノミコト)、大富道尊(オオトマヂノミコト)、大苫彦尊(オオトマヒコノミコト)>

日本神話(「日本書紀」「古事記」の記紀神話)に登場する神。意富斗能地神は、世界が天と地に分かれた後に次々と現れた神々である「神世七代(かみよななよ)」の内の一柱で、意富斗能地神は、大斗乃弁神(オオトノベノカミ)と一対で神世七代の第五代の神である。意富斗能地神は男神で兄、大斗乃弁神は女神で妹である。意富斗能地神という名前の「地」は「男性」、大斗乃弁神という名前の「弁」は「女性」という意味である。また、意富斗能地神・大斗乃弁神の両方の名前にある「斗(ト)」は、性器の象徴であるとする説もある。また、この意富斗能地神と大斗乃弁神の両神は、固まっていなかった大地が完全に凝固した状態を神格化した神々であるとも考えられている。また、意富斗能地神という名前の「意富」は「大」で美称、「斗」は「門・戸」で集落の狭い通路、「能」は格助詞、「地」は「父親」で男性の親称と解し、この神の名義は「偉大な門口にいる父親」と考えられ、元々は集落の狭い通路にいて、人々から祀られてきた防壁の守護神であったのではないか、という説もある。

出典:
Wikipedia
図解日本神話(新紀元社)
日本の神々 完全ビジュアルガイド(KANZEN)

作者ひとこと:
意富斗能地神のデザインは、大きな一つ目を持った巨大な怪物の様な姿の神に描きました。体は土で出来ているイメージです。

2020年2月10日月曜日

「御倉板挙之神」



御倉板挙之神(ミクラタナノカミ)

日本神話に登場する神で「古事記(コジキ)」にのみ名前がみえる。「古事記」によると、黄泉国から逃げ出した伊邪那岐命は黄泉国の穢れを落とそうと、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(ツクシノヒムカノタチバナノヲドノアハキハラ)」という所で、禊ぎを行うと、その禊ぎから様々な神々が生まれ、禊ぎの最後に伊邪那岐命が左目を洗うと「天照大御神(アマテラスオホミカミ)」が、右目を洗うと「月讀命(ツクヨミノミコト)」が、鼻を洗うと「建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)」が生まれた。この三柱の神は特に貴い神だったので、「三貴子(サンキシ)」と呼ばれる。その三貴神の内の一柱、天照大御神に伊邪那岐命は「高天原(タカマノハラ※天にある神々の住まう地)」の統治を任せた。その天照大御神に伊邪那岐命が高天原の統治を任せる時に、首飾りにしていた玉を天照大御神に渡したのだが、この伊邪那岐命から天照大御神に渡された首飾りの玉が御倉板挙之神である。御倉板挙之神という神名は「倉の棚の上に存在する神」という意味である。

出典:
神魔精妖名辞典
日本神話・神社まとめ
図解日本神話(新紀元社)

作者ひとこと:
御倉板挙之神のデザインは、沢山の小さい勾玉をぐるりと付けた大きな玉の姿に描きました。玉であり、神でもあるので、玉の中に顔が浮かび上がっています。

2020年2月4日火曜日

「水蛭子神」



水蛭子神(ヒルコノカミ)<蛭子神、蛭子命(ヒルコノミコト)、蛭児(ヒルコ)>

日本神話に登場する神。伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の間に生まれた第一子である。しかし子作りの際、女神である伊邪那美命のほうから声をかけてしまい、それが原因で不具の子が生まれてしまった。そのため二柱は、葦で出来た舟に入れて流してしまう。次いで生まれた淡島(アワシマ※淡路島ではない)も、子供の数には入れられなかった。棄てられた理由について、古事記には「わが生める子良くあらず」とあるのみで、どういった子であったかは不明であるが、名前から、ヒルのように骨のない子のことだと言われている。あるいは、形を成さない胎児のことではないかと考える医学者もいる。日本書紀では大日孁貴(オオヒルメノムチ※またの名を天照大神)、月の神であるツクヨミ(月夜見尊、月読尊)の次に生まれたのが、蛭児であると書かれている。彼は三歳になっても足腰が立たず、天磐櫲樟船(アメノイワクスフネ※堅固な楠で作った船)に乗せて捨てられた。蛭児の次に素戔嗚尊(スサノオノミコト)が生まれて、何と三貴子の兄弟であった(ただし、日本書紀に三貴子という言葉は登場しない)。記紀には、その後の水蛭子の事は語られていないが、流れ着いたという伝説は日本各地に残っており、海の彼方の常世の国に渡ったとも考えられている。西宮神社の伝説では、摂津国西の浦(兵庫県西宮)の海岸に流れ着き、土地の人々は拾った彼を「戎三郎様(エビスサブロウサマ)」と呼んで大事に養い育てたと伝えられている。民間信仰においては、七福神の一人として「恵比寿(エビス)様」「恵比寿神」「戎大神(エビスオオカミ)」と呼ばれ親しまれた。豊漁や航海の安全、交易の守護神であり、また商売を繁盛させて富と幸福をもたらす福神として信仰されている。また蛭子、水蛭子と書いて「エビス」と読む場合もあるが、ヒルコとエビスを同一視する説は室町時代からおこった新しいものであり、それ以前に遡るような古伝承ではないが、古今集注解や芸能などを通じ広く浸透してきた。

出典:
Wikipedia(「ヒルコ」のページ)
神魔精妖名辞典(「水蛭子」のページ)
図解日本神話(新紀元社)

作者ひとこと:
水蛭子神のデザインは海月や蛭、クリオネやエイなどを合わせた様な軟体で、水の様に不定形なイメージの姿に描きました。

2020年2月3日月曜日

「塞坐黄泉戸大神」



塞坐黄泉戸大神(サヤリマスヨミドノオオカミ)<黄泉戸大神(ヨミトノオオカミ)>

日本の記紀神話(「古事記(コジキ)」と「日本書紀(ニホンショキ)」)に登場する神。古事記には「道返之大神(チカエシノオオカミ)」の別名として記されている。また日本書紀の第五段の一書(第六)には「泉門塞之大神(ヨミドニフタガリマスオオカミ、ヨミドニサヤリマスオオカミ)」とあり、別名として「道返神(チガエシノカミ)」の神名も併記されている。その他には同神を指すと思しき「泉守道者(ヨモツチモリビト)」という名称も見られる。火の神を生んだ「伊邪那美命(イザナミノミコト)」が女陰を火傷し亡くなった際、妻に会うため死者の世界である「黄泉国(ヨミノクニ)」へ「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」は行くことにした。しかし、伊邪那美命の身体にはウジがわき、八つの雷神がまとわりついていた。その姿に恐れをなして逃げ出した伊邪那岐命に対し、伊邪那美命は「私を辱めたな」と「黄泉醜女(ヨモツシコメ)」や「黄泉軍(ヨモツイクサ)」達に後を追わせた。ついには伊邪那美命が自ら追ってきたので、現世と黄泉国の間にある「黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)」に千引石(チビキノイシ)を置いて、穴を完全に塞いでしまった。こうして現世と黄泉国は隔たり、行き来が難しくなってしまった。この岩に与えられた神名が塞坐黄泉戸大神である。黄泉の穢れが現世に湧き出るのを防ぐ神であり、塞の神(サイノカミ※村境や峠などに置かれる、外部からの疫病や悪霊などを防ぐ神)の源流とも考えられている。

出典:
Wikipedia(「神産み」のページ)
神魔精妖名辞典(「道返之大神」のページ)
図解日本神話(新紀元社)

作者ひとこと:
塞坐黄泉戸大神のデザインは、注連縄を張った大きな岩の姿に描きました。岩でもあり、神でもあるので顔があります。

2020年2月2日日曜日

「意富加牟豆美命」



意富加牟豆美命(オオカムズミノミコト)

日本神話(「日本書紀(ニホンショキ)」、「古事記(コジキ)」の記紀神話)に登場する桃であり神。「日本書紀」では「神産み」の第九の一書に登場する。それによると、伊邪那岐命(イザナギノミコト)は黄泉国で八柱の雷公に追われる。その時、道端に桃の木があり、伊邪那岐命はその桃の木の下に隠れて追い掛けて来る雷公達に桃の実を採って投げつけると、雷公達は撤退していった。これが、桃を用いて鬼を避ける由縁であると記されている。「古事記」では黄泉国の条に登場する。伊邪那岐命は黄泉国の住人となってしまった伊邪那美命との約束を破り、黄泉国の御殿の奥で腐り果てた伊邪那美命を見てしまい、その姿に恐れをなして逃げ出した。約束を違えられ、腐り果てた自分の姿を見られて辱められた伊邪那美命は、伊邪那岐神を捕らえる為に追っ手として黄泉軍(ヨモツイクサ)や黄泉醜女(ヨモツシコメ)などの黄泉国の魔物達を差し向けた。伊邪那岐命は追い掛けて来る黄泉国の魔物達をなんとかかわしながら、黄泉国と現世の境界にある坂「黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)」まで逃げて来た時、黄泉比良坂の麓に桃の木が生えていた。伊邪那岐命は桃の木から桃の実を三つ採って、追い掛けて来る黄泉国の魔物達に投げつけると、黄泉国の魔物達は全て逃げ去った。この功績により、桃の実は伊邪那岐命から「意富加牟豆美命」の神名を授けられ、そして伊邪那岐命に「お前が私を助けたように、葦原中国(アシハラノナカツクニ※地上世界の事)のあらゆる生ある人々が、苦しみに落ち、悲しみ悩む時に助けてやってくれ」と命じられた。なお、「日本書紀」では桃は登場するが、名前は記されていない。意富加牟豆美命の名前のオオカムは「大神」、ミは「実」ないし「霊」の意味で、「大いなる神のミ(霊威)」または「大いなる神の実」という意味で、桃の邪気を払うとされる力を神格化したものである。

出典:
Wikipedia
神魔精妖名辞典
図解日本神話(新紀元社)

作者ひとこと:
意富加牟豆美命のデザインは、頭に大きな桃の実を載せた童子や妖精の様な姿に描きました。

2020年2月1日土曜日

「黄泉軍」



黄泉軍(ヨモツイクサ)

日本神話に登場する妖怪、または怪物の様な存在。黄泉軍は日本神話において地下にあるとされる死者達が住んでいる死後の世界「黄泉国(ヨミノクニ)」に住んでいる悪鬼達である。黄泉軍という名前は「黄泉の国の兵隊」という意味であり、名前通り彼等は黄泉国に住む悪鬼の兵士達である。「古事記(コジキ)」によると、火の神「火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)」(火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤヲノカミ)の別名)を生んだ際の火傷で死んだ伊邪那美命を取り戻す為に、死者の世界である黄泉国を訪れた伊邪那岐命は、伊邪那美命に「元の世界に戻れるかどうか、「黄泉神(ヨモツカミ、黄泉国を統治している神)」に相談してくるから、その間は決して私の姿を見ないでくださいね」と言われ待たされる事になった。しかし伊邪那岐命は姿を見てはいけないと約束したのにも関わらず、黄泉国の御殿の中に入って、伊邪那美命の腐り果てた姿を覗き見てしまい、その姿に恐れをなして逃げ出した。約束を違えられ、腐り果てた自分の姿を見られて辱められた伊邪那美命は、伊邪那岐命を捕らえる為に追っ手として「黄泉醜女(ヨモツシコメ)」達を差し向けたが、伊邪那岐命は蔓草の髪飾りの「黒御鬘(クロミカヅチ)」と「湯津津間櫛(ユツツマグシ)」という櫛の力によって黄泉醜女達を退けた。そこで伊邪那美命が次に追っ手として送り込んだのが、伊邪那美命の身体に纏まり付いていた八体の雷神「八雷神(ヤクサイカヅチノカミ)」と1500もの黄泉軍の軍勢であった。それらに追い掛けられた伊邪那岐命は「十拳剣(トツカノツルギ)」を抜いて後ろ手に黄泉の魔物達を牽制しながらも逃げ、なんとか黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)まで辿り着くと、そこに生えていた桃の木から三つ桃の実を採って、追い掛けて来る黄泉軍などの魔物に投げつけた。すると桃の実の持つ力によるものか、今まで追い掛けて来ていた黄泉軍などの魔物達は総崩れになって逃げ出した。

出典:
Wikipedia
神魔精妖名辞典
ピクシブ百科事典
図解日本神話(新紀元社)
カラー版 徹底図解 古事記・日本書紀(新星出版社)

作者ひとこと:
黄泉軍のデザインは鎧を身に付け、手が刀の様になっている骸骨の兵士の姿に描きました。

2020年1月31日金曜日

「黄泉醜女」



黄泉醜女(ヨモツシコメ)

日本神話に登場する女の妖怪、または怪物の様な存在。黄泉醜女は日本神話において地下にあるとされる死者達が住んでいる死後の世界「黄泉国(ヨミノクニ)」に住んでいる鬼女である。黄泉醜女は醜く恐ろしい顔をしているとされ、またその脚力は一飛びで千里(約4000km)を走るとされる。元々、黄泉醜女は黄泉国を統治している神である「黄泉神(ヨモツカミ)」に仕えていたが、地上で伊邪那美命が火の神である「火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤヲノカミ)」を生んだ時、女性器に火傷を負ってしまい、その火傷が致命傷となり死んでしまって黄泉国にやって来ると、黄泉醜女達は伊邪那美命に仕えるようになった。「古事記(コジキ)」によると、その後、死んだ伊邪那美命に会いたくなった伊邪那岐命が黄泉国にやって来て、伊邪那美命に「愛しき我が妻よ、私と貴女が作った国は、まだ出来上がっていません。だから、帰ってきなさい」と語りかけた。すると伊邪那美命は「私は、黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)をしてしまいました(黄泉国の食べ物を飲食してしまった者は、黄泉国に属してしまう事)。けれど、愛しき我が背の君が来ていただいたのは恐れ多い事。帰りたいと思うので、黄泉神と相談しますから、その間は決して私の姿を見ないでくださいね」と答えた。言われて事を守って黄泉国の御殿の扉の前でじっと待っていた伊邪那岐命だったが、遂に待ちきれなくなり、髪に差していた櫛の歯を一本折り、これに火を付けて黄泉国の御殿の中に入った。すると御殿の中にいた伊邪那美命は身体がすっかり腐敗しており、それにウジが湧き、その身体に八体の雷神が纏わり付いている恐ろしい姿となっていた。その姿に恐れをなして逃げ出した伊邪那岐命に対して、伊邪那美命は「私を辱めたな」と自分の配下である黄泉醜女達に逃げた伊邪那岐命を追わせた。逃げる伊邪那岐命は追い掛けて来た黄泉醜女達に後ろ手に、髪飾りである「黒御鬘(クロミカヅチ)」を投げると、黒御鬘は地面に落ちて、そこから葡萄が実った。黄泉醜女達が葡萄を食べている隙に伊邪那岐命は逃げたが、暫くするとまた、黄泉醜女達が追い掛けて来た。そこで、今度は右の角髪(ミヅラ)に差していた「湯津津間櫛(ユツツマグシ)」という櫛の歯を折って後ろ手に投げると、櫛の歯が落ちた所から筍が生えてきた。黄泉醜女達がその筍を食べている間に伊邪那岐命は逃げた。しかし、また暫くすると黄泉醜女達が追い掛けて来た。しかも黄泉醜女達ばかりではなく、伊邪那美命の身体に纏わり付いていた八体の雷神達や、黄泉国の悪鬼の兵隊「黄泉軍(ヨモツイクサ)」が1500も追い掛けて来た。伊邪那岐命は追い掛けて来たこれらの魔物達相手に、身に付けていた「十拳剣(トツカノツルギ)」を抜いて後ろ手に魔物達を牽制しながらも逃げた。やがて伊邪那岐命は、生者の世界と死者の世界である黄泉国との境にある坂「黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)」の下に辿り着いた。すると黄泉比良坂の下に桃の木が生えていたので、伊邪那岐命は桃の木から桃の実を三つもいで、追い掛けて来た黄泉国の魔物達に投げると、桃の実を投げられた黄泉醜女や八体の雷神、黄泉軍は全て逃げ去った。黄泉醜女という名前は「黄泉の国の醜い女」という意味である。なお醜女とは古くは「強い霊力を持つ女」といった意味であったとされるが、いつしか「醜い」という意味の変化から、恐ろしい顔の女の姿が想像されるようになったと言われている。また黄泉醜女というのは死の穢れを神格化した存在であると考えられる。

出典:
Wikipedia
神魔精妖名辞典
ピクシブ百科事典
図解日本神話(新紀元社)
図説 妖怪辞典(幻冬舎)
よくわかる「魔界・地獄の住人大事典(廣済堂ペーパーバックス)

作者ひとこと:
黄泉醜女のデザインは、頭と両腕だけの鬼女の姿に描きました。怪物や鬼というよりは、黄泉国にいる邪悪な霊のイメージです。