天津甕星神(アマツミカボシノカミ)<天香香背男(アメノカガセオ)>
日本神話に登場する神の内の1柱で、この神は星の神であるとされる。「日本書紀」巻二、神代下に次のようにある。天津甕星神は、地上平定のために遣わされた「建甕槌神(タケミカヅチノカミ)」と「経津主神(フツヌシノカミ)」が平らげることの出来なかった、ただ一柱の神である。「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)(中つ国)」のほぼ全土が征圧された後も、天津甕星神はただ一柱、天津神に従わなかった。そこで「建葉槌命(タケハツチノミコト)」が派遣されて、ようやく征圧されたという。また、「日本書紀」の神代下第九段には次のような異伝もある。天津甕星神は天津神でありながら、高天ヶ原の命に従わぬ神であった。そのため、地上平定のために建甕槌神と経津主神が派遣されようとした際、二柱の神は「地上平定は、悪神である天津甕星神を排除してから行ってほしい」と異を唱えている。しかし、天津甕星神は排される事はなく、香取に鎮座し続けた。天津甕星神は「香香背男(かかせを)」とも呼ばれている。天に従わない神がいて、それらの神は誅された。最後に残ったのが、星の神である香香背男だったが、それも建葉槌命によって退治された。茨城県では、天津甕星神は、「建御雷命(タケミカヅチノミコト)」「経津主命(フツヌシノミコト)」、およびそれを助けた建葉槌命によって退治されたと寺社で言い伝えられている(「県北海岸地区民俗資料緊急調査報告書」、「瓜連町史」)。茨城県日立市の大甕神社では「香香背男の爪」と称する爪が保管されていて、香香背男は獣のすがたをしていたとも語られていたという(「県北海岸地区民俗資料緊急調査報告書」)。「魔王石(マオウイシ)」は香香背男が化けた、または変じたとされる岩石である。この魔王石は日に日にどんどん巨大になっていったといい、建御雷命によって弓で射られて砕け散ったとされる。茨城県日立市などに伝わる。建葉槌命が金の沓で蹴り飛ばして石を割ると香香背男が中から出て来て、血を吐き死んだとされる。「雷断石(ライダンイシ)」や「雷神石(ライジンイシ)」と呼ばれている話もみられ、そちらでは雷が落とされて砕け散ったことから、その名で呼ばれている(「県北海岸地区民俗資料緊急調査報告書」)。飛び散った魔王石の欠片のうちの最も大きいものが要石になった(「県北海岸地区民俗資料緊急調査報告書」)とも語られる。
出典:
東洋神名事典(新紀元社)
図解日本神話(新紀元社)
日本怪異妖怪事典関東(笠間書院)
作者ひとこと:
天津甕星神のデザインは、鎧を身に着け、剣を持った神の姿に描きました。
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