宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
日本神話に登場する神で、この宇迦之御魂神は稲の精霊を神格化した神であり、その基本的な性格は五穀・食物を司る神である。宇迦之御魂神は「稲荷神(イナリノカミ)」と同一視されている。「古事記(こじき)」では、宇迦之御魂神は「須佐之男命(スサノオノミコト)」と「神大市比売命(カムオオイチヒメノミコト)」の間に生まれた子供であるとされているが、どういう神であるかは示されていない。一方「日本書紀(にほんしょき)」では、「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」が大八島(オオヤシマ)をつくって、飢えを感じて宇迦之御魂神を生んだとあり、食物と宇迦之御魂神との関係が明らかに示されている。宇迦之御魂神は、八百万の神々の中でも代表的な食物神である。食物の主役は穀物、とりわけ稲はその中心であり、主食を保証するこの神の名前が「倉稲魂(ウカノミタマ)」と表記されるのもそういう理由からである。なぜ宇迦之御魂神と稲荷神が同一視されているかと言うと、どちらも「稲霊(イナダマ)」(穀霊)、食物神というところが共通している。ただ、稲荷神には元々殖産興業の守護神的な性格があったと考えられる。それが今日の稲荷神のもつ霊験に大きく影響しているといっていいだろう。稲荷信仰は、奈良時代に発生したものである。伏見稲荷大社の社伝には、和銅四年(711年)に稲荷山三ヶ峰に稲荷神が鎮座したとある。現在の伏見稲荷大社のあるところだ。この稲荷信仰のルーツは、当時、山城国一帯に住んでいた渡来系の豪族「秦(はた)氏」が、自分達の氏神として祀った穀霊神、農耕神であった。稲荷神の稲荷は「稲生る」が転訛したという説もあるように、その信仰の核は「百穀の首座にある稲霊(穀霊)」にほかならない。それは宇迦之御魂神の性格とも一致する。それと同時に、秦氏の繁栄、すなわち彼等の住む山城国の産業の発展を守護するという性格も持っていたのである。秦氏の勢力拡大にともなって稲荷神の信仰圏がしだいに拡大する。その過程で古くから信仰されてきた穀霊神の宇迦之御魂神と結びついたものと考えられる。後に稲荷神は、仏教と習合したり、様々な民間信仰を巻き込みながら、やがて日本の民族宗教の中における代表的な霊威神の位置を獲得する。とりわけ中世から近世にかけての商業の発展、工業の勃興といった社会変化の中で、稲荷信仰は仏教的な現世利益の思想を取り入れる事によって、人々の新たな欲求に自在に対応するようになった。かくして稲荷信仰は急速に広がり、それにともなって稲荷神の性格も、本来の農耕神から商工業など諸産業の神へと拡大していったのである。宇迦之御魂神は、食物を司るという基本的な性格から、しばしば同じ食物神で伊勢神宮の外宮に鎮座する女神「豊受大神(トヨウケノオオカミ)」と同一神格とみられたりする。日本の神様というのは、神話などでは違った名前で出て来ても、その基本的な性格がほとんど類似する事から、同一神であるという論議がなされる事が多い。もっとも、それはあくまでも学問的な問題であって、我々の生活の中では、伏見稲荷大社の主祭神の宇迦之御魂神と伊勢神宮の豊受大神とは、はっきりと別の神なのである。更に稲荷神を祀る稲荷社の祭神について、宇迦之御魂神以外の神(豊受大神、若宇加能売命(ワカウカノメノミコト)、保食神(ウケモチノカミ)、大宣都比売神(オオゲツヒメノカミ)、御食津神(ミケツカミ)など)を祀る場合も多くみられる。しかし、そのいずれもが食物を司る神という性格上、宇迦之御魂神と同一神と考えられる事が多い。
出典:
「日本の神様」がよくわかる本(PHP文庫)
作者ひとこと:
宇迦之御魂神のデザインは、顔に狐の面を被り、手に宝珠と稲を持ち、米俵の上に乗った女神の姿に描きました。
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