自己紹介

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(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。

2021年6月24日木曜日

「二恨坊の火」


二恨坊の火(ニコンボウノヒ)<二恨坊の火、仁光坊の火>

日本に伝わる怪火、または妖怪の一種。二恨坊の火は、摂津国二階堂村(現在の大阪府茨木市二階堂)、摂津国高槻村(現在の大阪府高槻市)に伝わる怪火である。この怪火は3月~7月頃までの時期に出没し、怪火の大きさは1尺程、火の中には人間の顔の様に目、鼻、口の様なものがある。この怪火は鳥の様に空を飛び回り、家の棟や木にとまる。この二恨坊の火は、人間に対して特に危害を加える事はないという。二恨坊の火は、特に曇った夜に出没したもので、近くに人間がいると、二恨坊の火の方が人間を恐れて、逆に飛び去ってしまう。寛保時代の雑書「諸国里人談」にある記述によると、かつて二階堂村に「日光坊」という名の山伏がおり、病気を治す力がある山伏として評判だった。その噂を聞いた村長が自分の妻の治療を日光坊に依頼し、依頼を受けた日光坊は祈祷によって村長の妻の病気を治した。ところが村長はそれを感謝するどころか、日光坊と妻が密通したと思い込み、日光坊を殺してしまった。村長に殺された日光坊の怨みは怨霊の火となって夜な夜な村長の家に出現し、遂には村長を取り殺してしまった。この「日光坊の火」が、やがて「二恨坊の火」と呼ばれるようになった、とある。また、江戸時代の書物「本朝故事因縁集」の記述によると、かつて二階堂村に一人の山伏がおり、この山伏は一生の内に二つの怨みを抱いていた為、「二恨坊」とあだ名されていた。彼は死んだ後に魔道に堕ちたが、その邪心は火の玉となって現世に現れ、その火の玉は「二恨坊の火」と呼ばれるようになった、とある。また、江戸時代の怪談本「宿直草」や、江戸時代前期の文人・山岡元隣(やまおか げんりん)による怪談本「古今百物語評判」にある記述によると、かつて「仁光坊」という美しい僧侶がいたが、代官の女房の策略によって殺害された。以来、その殺害された仁光坊の怨みの念が火の玉となって出没し、「仁光坊の火」と呼ばれるようになった、とある。 

出典:
Wikipedia
日本妖怪大事典(角川書店)

作者ひとこと:
二恨坊の火のデザインは、火の中に僧侶の頭がある姿の怪火の姿にデザインしました。

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