熟穂屋姫命(ウマシホヤヒメノミコト)
新潟県にある「彌彦(やひこ)神社」に祀られている「天香山命(あめのかごやまのみこと)<高倉下命(たかくらじのみこと)、伊夜日子大神(いやひこのおおかみ)>」の妻。彌彦神社の境内摂社である「妻戸(つまど)神社」に祀られている。弥彦山海岸側の中腹、大きな岩が口を開いた場所にある祠で、この地では「口開け」と呼ばれている。伝承では、天香山命を追いかけた妃神(ひめがみ)に、行き先を口止めされていた樵(きこり)が道を教えたため石になってしまったという。妃神は自分の欲を詫び、この地にとどまり天香山命の開拓成就を祈願したとされる。天香山命と熟穂屋姫命のあいだに生まれた六柱の息子たちは、それぞれ彌彦神社の摂社である「武呉(たけくれ)神社」「船山(ふなやま)神社」「草薙(くさなぎ)神社」「今山(いまやま)神社」「勝(すぐる)神社」「乙子(おとご)神社」に祀られている。
出典:
『週刊 日本の神社 第29号』(デアゴスティーニ・ジャパン)
作者ひとこと:
Geminiで生成。拙作『アマテラスの力を継ぐ者』に登場するシーンどおり、田植えに従事している様子を描かせました。野良着の胸元には、彌彦神社の神紋が施されています。
八河江比売(ヤガワエヒメ)<葦那陀迦神(アシナダカノカミ)>
日本最古の歴史書『古事記(こじき)』に登場する女神。「大国主神(おおくにぬしのかみ)」の系譜に登場する。『日本書紀(にほんしょき)』に名は見られない。祝詞に「天皇(スメラ)が朝廷(ミカド)に、いや高にいや広にいかしヤグハエの如く立栄えしめ、仕へ奉らしめ給へ」(平野祭)、「天皇が朝廷に、いかしヤグハエの如く仕へ奉り、さかえしめ賜へ」(春日祭)等とあり、また古事記の歌にも「うち渡す、ヤガハエなす、来入り参ゐ来れ」(仁徳記〔六三〕)とある。そのヤガ(グ)ハエは弥木栄または八桑枝、または孫枝(ヒコバエ)の意かといわれ定説を見ないが、ヤガハエヒメの名も同様とすれば、それはアシナダカのアシに因縁があるかも知れぬ。それ以上は不明。『古事記』応神天皇の段には「宮主(みやぬし)矢河枝比売(やかはえひめ)」、『日本書紀』同様の段にも「宮主宅媛(みやぬしやかひめ)」という人物が見え、天皇がこの女に逢い婚する話が語られている。
出典:
『古事記注釈 第三巻』(ちくま学芸文庫)
『古事記注釈 第六巻』(ちくま学芸文庫)
作者ひとこと:
Geminiで生成。両手首・両足首に鈴をつけ、腰には注連縄の帯を巻いています。拙作『アマテラスの力を継ぐ者』に登場するシーンどおり、葦が大きく生長するよう願うための踊りをしている様子を描かせました。


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