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2018年8月31日金曜日
2018年8月30日木曜日
「霊感大王(レイカンダイオウ)」
霊感大王(レイカンダイオウ)
「西遊記(サイユウキ)」に登場する妖怪。「通天河(ツウテンガ)」という河の主。身体中に鱗のある、巨大な魚の姿をした怪物である。雨や雪を降らせたり、河の水を凍らせる事が出来る。霊感大王は雨を降らせる代わりに、人間の子供を生け贄として要求して食べていた。三蔵法師一行は、大きな通天河をどうやって渡ろうか思案していると、霊感大王への生け贄の儀式に出会った。孫悟空と猪八戒は、生け贄の二人の子供に化けて、身代わりになって霊感大王の元へ向かった。霊感大王が食べようとした時に、元の姿に戻って霊感大王を攻撃した。驚いた霊感大王は河の中へ逃げて行った。 逃げ帰った霊感大王は三蔵一行に、どうにか報復しようとし、タナゴが通天河を凍らせるというアイディアを出したので、霊感大王は河を凍らせ、魚達が通行人に化けて氷の上を渡って見せた。三蔵一行もそれを見て河を渡り出したが、途中で氷が割れて、一行は河の中から襲い掛かって来た霊感大王に、水中へ引き込まれてしまった。孫悟空達は自力で脱出したが、三蔵法師が霊感大王に捕らわれてしまった。孫悟空達が必死に戦いを挑むが、霊感大王は三蔵を捕らえたまま、水中の屋敷の扉を閉ざして中に隠ってしまった。困った孫悟空は観音菩薩の元へ助言を求めに行くと、観音菩薩自ら通天河へ来て、河の中に竹籠を入れて引き上げると、籠の中に一匹の金魚が入っていた。実は、この金魚こそ霊感大王の正体で、霊感大王は観音菩薩が蓮池で飼っていた金魚だったのである。毎日、蓮池の中から観音菩薩の説法を聞いている内、妖怪になってしまったのだった。こうして霊感大王は退治され、三蔵法師も無事戻って来た。すると元々の通天河の主の大亀が現れ、霊感大王を追い払った礼に、三蔵一行を通天河の対岸まで運んでくれ、一行は無事、通天河を渡る事が出来て、旅を続けた。
出典:
ファンタジィ事典
作者ひとこと:
霊感大王のデザインは西遊記の記述通り、巨大な魚の怪物の姿に描きました。金魚風にしました。
2018年8月29日水曜日
「柜山神(クサンジン)」
柜山神(クサンジン)<漆呉山神>
古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」に記されている神。柜山より漆呉の山に至るまでの十七山を治めている山の神。竜の体に鳥の頭という姿をしている。この神の祠には、獣を供える。また、一璧を埋めて祈る。神饌には稲を用いる。
付注:
「柜山」に関しての資料が乏しく、読み方は筆者が当てたものである。ほかの「柜」の読み方は「キ(クヰ)」「ギ(グヰ)」「キョ」「コ」などがある。
出典:
龍学 -dragonology-
作者ひとこと:
柜山神のデザインは山海経の記述通りに、鳥の頭に竜の体の姿にしました。体に、自ら支配している山々の植物や生き物がいるイメージで描きました。
2018年8月28日火曜日
「呂洞賓(リョドウヒン)」
呂洞賓(リョドウヒン)<呂祖(リョソ)、純陽真人、字:洞賓、号:純陽子、名:嵒(巌、巖、岩、または煜)>
中国の仙人で、八仙の一人。手に持っている法器「暗八仙」は剣。剣を背負った青年、或は中年の男性書生の姿をしている。794年(または798年)生まれで、母親が一羽の白鳥が室内に入る夢を見た後に、出生した。幼い頃から聡明であった。二十歳になっても、妻をとろうしなかった。出世を目指し、科挙を二回受けたが、落第してしまう。そんな時、居酒屋で一人の道士(鍾離権)と出逢い、修行の誘いを受けたが、出世の夢が捨て切れず断った。鍾離権が黄粱を炊く間、呂洞賓はうたた寝をし、夢を見る。科挙に及第、出世し良家の娘と結婚し、沢山の子供をもうけた。そうして40年が過ぎるが、或時重罪に問われ家財を没収され、家族は離れ離れになり左遷されてしまう。そこで目が覚めるが、まだ黄粱は炊けていなかった。俗世の儚さを悟った呂洞賓は、鍾離権に弟子入りを求めると、鍾離権から10の試練を課された。これを見事こなした呂洞賓は晴れて鍾離権の弟子となり、終南山で修行し、飛剣を飛ばし魔を退治する秘法や、雷雨を操る秘法を授かった。そして更に修行した後、仙人になった。後に民間信仰(後に王朝からも)神として、道教の寺院に奉られた。呂洞賓は民衆を助ける神と言われ、呂洞賓は民衆の災い全てを取り除くまで地上を歩き回り、民衆を助け続けていると言われ、主神として奉る廟も多い。
出典:
フランボワイヤン・ワールド
Wikipedia
作者ひとこと:
呂洞賓のデザインは、よく描かれる剣を背負った道士の姿にしました。
2018年8月27日月曜日
「招揺山神(ショウヨウサンジン)」
2018年8月26日日曜日
すみません、本日はお休みです。
今日、冥界から大量の僵尸が逃げ出しました。冥界から来た玄武の紹介で、仙界から来た韓湘子と一緒に、僕は僵尸たちを捕まえることになりました。街に現れた僵尸たちの額に御札を貼ると僵尸は動かなくなるので、韓湘子は宙を飛び回りながら軽やかに僵尸の額に御札を貼っていきました。ですが、僕は力が強くて暴れまわる僵尸に大苦戦でした。なんとか5体の動きを御札で止めることが出来ました。しばらく経って、ようやく全ての僵尸を止めることは成功し、僵尸たちは迎えに来た玄武に率いられ、綺麗に整列して冥界に帰って行きました。韓湘子も、この一部始終を見届け、僕に僵尸捕獲の協力を感謝して仙界へ帰って行きました。僵尸を捕まえるのが精一杯でヘトヘトになって、今日の「絵の紹介と解説」の更新をお休みします。
by マゴラカ(ワンタ)
↑ 僵尸(キョウシ)
↑ 玄武(ゲンブ)
↑ 韓湘子(カンショウシ)
by マゴラカ(ワンタ)
↑ 僵尸(キョウシ)
↑ 玄武(ゲンブ)
↑ 韓湘子(カンショウシ)
2018年8月25日土曜日
「陵魚(リョウギョ)」
2018年8月24日金曜日
「福禄寿(フクロクジュ)」
福禄寿(フクロクジュ)<福禄人(フクロクジン)>
中国の道教に伝わる神。道教で強く希求される三種の願い、幸福(血の繋がった実の子に恵まれる事)封禄(財産に恵まれる事)長寿(健康を伴う長生き)の三徳を具現化した存在である。「南極老人(ナンキョクロウジン)」や七福神の「寿老人(ジュロウジン)」と同一視される。長い頭に長い髭を生やした背の低い老人の姿で、杖に経巻を結び鶴を伴っている。福禄寿は元々福星、禄星、寿星の三体一組の神である。中国では明代以降、民間で広く信仰され、春節に福星、禄星、寿星を描いた「三星図」を飾る風習がある。福禄寿の姿である長い頭の老人は、厳密には三星の中の寿星の姿である。三星図は様々な描かれ方をしており、三星それぞれ人の姿で描かれる事もあれば、三星を象徴物として描く事もあり、寿星だけを老人の姿で描き、その左右に、福星を蝙蝠として、禄星を鹿として描いた物もあり、この様な絵が日本に伝来し、日本人には蝙蝠と鹿を伴った一柱の神に見えた為、日本では福禄寿を三柱では無く、一柱の神とする認識が流布したのではないかという説がある。
出典:
Wikipedia
作者ひとこと:
福禄寿のデザインは、よく描かれる長い頭の老人の姿にしました。
2018年8月23日木曜日
「禄星(ロクセイ)」
2018年8月22日水曜日
「陸吾(リクゴ)」
陸吾(リクゴ)
古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」に記されている神。「天帝(テンテイ)」の下界の都である「崑崙山(コンロンサン)」に住んでいる。頭は人間、虎の体に九つの虎の尾を持った姿をしている。この神は、天の九部と天帝の園囿の時節を司る。陸吾は「開明獣(カイメイジュウ)」と同一視される事がある。陸吾の周囲には、精霊達が常にまとわりつく様にいる。また、「刑天(ケイテン)」と「黄帝(コウテイ)」が戦った時に、陸吾は「雨師(ウシ)」や「風伯(フウハク)」と共に刑天を迎え撃ったが、三柱共、刑天に一捻りにされてしまった。「禹(ウ)」が治水を行った時には、天帝の命を受けた陸吾と「応竜(オウリュウ)」が禹の補助をした。この時に、禹の治水を水神の「共工(キョウコウ)」が邪魔したので、禹と共工の戦いとなり陸吾も共工と九回戦ったが、九戦全て陸吾の敗北であった。しかし、陸吾が戦っている間に禹は神々と共工征伐の会議を行い、結果、諸神を従えた禹は共工との戦いに勝つ事が出来、その後、治水も成功し、その功績により帝位に就いた。帝位に就いた禹は夏王朝を建国し、夏王朝の初代王になった。
出典:
Wikipedia
プロメテウス
作者ひとこと:
陸吾のデザインは山海経の記述通りに、人間の頭と九つの尾を持った虎の体の姿に描きました。
2018年8月21日火曜日
「開明獣(カイメイジュウ)」
開明獣(カイメイジュウ)
古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」に記されている神獣。「天帝(テンテイ)」の下界の都である「崑崙山(コンロンサン)」にある九つの門を守っている。虎に似た身体で、人間の頭が九つある。気性は激しく勇猛で、九つの頭は常に崑崙山の周囲に目を配って、崑崙山に怪しい者や悪しき者が入ってこないように、守護している。また、万物の未来を見通す力を備えており、「西王母(セイオウボ)」や「東王父(トウオウフ)」が巡行する際には開明獣が先導し、時には彼等の車を引いた。西王母から寵愛を受けており、西王母の側に服している時もあった。
出典:
Wikipedia
プロメテウス
作者ひとこと:
開明獣のデザインは、崑崙の東西南北を常に監視する五つの目を持った大きな頭と、自在に伸び縮みして様々な場所に行く事が可能な八つの、計九つの頭を持った姿を描きました。
2018年8月20日月曜日
「李鉄拐(リテッカイ)」
李鉄拐(リテッカイ)
中国の仙人で、八仙の一人。手に持っている法器「暗八仙」は瓢箪。ボロボロの服を着た、足の不自由な物乞いの様な姿をしている。また、足が不自由な為いつも鉄の杖をついている(鉄拐という名は、そこから来ているという説がある)。元は、がっしりとした体格の道士だった。二十歳の頃から仙道を志すようになり、ある日、太上老君に華山で会う事になり、魂を遊離させ、会いに行く事にした。そこで、彼が帰って来るまでの七日間、魂の抜けた身体を見守るように、弟子達に言い付け、もし七日経っても帰ってこなければ身体を火葬する様に行って出発した。しかし、六日目に弟子の母が危篤との知らせを受けて、弟子は大慌てで李鉄拐の身体を火葬して、母の元に帰ってしまった。七日目に鉄拐が戻って来て見ると、自分の身体は既に焼かれて無くなっていた。仕方なく偶然、近くの道端に倒れていた足の不自由な物乞いの死体の身体を借りて蘇った。こうして物乞いの様な姿になった。また、西王母の教えを受けて仙人となり、東華教主となり「鍾離権(ショウリケン)」を得道させた。
出典:
フランボワイヤン・ワールド
Wikipedia
作者ひとこと:
李鉄拐のデザインは、よく描かれる鉄の杖をついて瓢箪を持っている仙人の姿にしました。
2018年8月19日日曜日
「藍采和(ランサイカ(サイワ))」
藍采和(ランサイカ(サイワ))
中国の仙人で八仙の一人。手に持っている法器「暗八仙」は花籠。少年や青年、女性と姿については様々な説がある。唐の時代の人物。いつも藍色の破れた服を着て、黒い木の皮を腰帯代わりに巻いていて、腰には墨で汚れた板や物乞いで得た銭を紐に通して引きずっていた。片足に穴の空いた靴を履き、もう片足は裸足であった。夏には上着の下に綿入れを重ね、猛暑の中、遊びまわっても汗をかかない。冬には服を脱いで薄着になり、雪の中を遊びまわるが吐く息は全く白くならず、雪の中で寝ても体から熱気や湯気が出ていた。彼は家も無く各地を転々としていて、町へ出ては大きな拍板(はくばん、パイバン。拍子木)を打ち鳴らし、歌い踊りながら町中を彷徨いていた。人々は面白がって、皆、彼の後をついてまわった。彼の歌は思い付くまま歌っているようで、実は仙道の教えが込められていた。しかし誰も、それに気付かなかった。彼の踊りに対して銭が投げられると、持っていく事もあれば、そのまま放っておく時もあった。持って帰っても、そのまま乞食にやったり、酒屋で一杯やったりした。彼は神出鬼没で現れたと思いきや、不意にいなくなったりした。何年経っても若々しく、子供の頃に彼を見た人が老人になっても、彼の姿は昔のままで変わっていなかった。ある時、彼が酒屋で飲んでいると、天から笙(ショウ。雅楽などで使う管楽器の一つ)の音が聞こえてきた。すると彼は、笙の音と共に舞い降りて来た鶴に乗り、そのまま昇天し雲間に消え失せた。それから後の彼の姿を見た者はいなかった。彼は昇天する時、身に付けていた物を振り落としていった。後から人々が落ちて来たそれらの物を見ると、それらは美しい玉になっていた。
出典:
フランボワイヤン・ワールド
Wikipedia
作者ひとこと:
藍采和のデザインは、よく描かれる記述通りの姿にしました。
2018年8月18日土曜日
2018年8月17日金曜日
「蠪蛭(リョウシツ)」
2018年8月16日木曜日
「羊力大仙(ヨウリキタイセン)」
羊力大仙(ヨウリキタイセン)
西遊記に登場する「三大仙(サンタイセン)」という、三人の妖怪の内の一人。羊力大仙は、普段は本性を隠して仙人に姿を変えているが、本性は羚羊(インパラのようなレイヨウの一種。またはカモシカなどカモシカ属の動物のこと)の妖怪。三大仙は水不足に瀕していた「車遅国(シャチコク)」を、神々を使役して風雲雷雨を呼ぶ「五雷法の術」により救い、国王から絶大な信頼を得て車遅国の国師になる。それからは、国王は国中の道士を優遇しつつ、反対に仏教を迫害するようになった。三蔵一行が車遅国を訪れた際、三大仙は三蔵を食べる為、三蔵一行に術比べを挑んだ。虎の妖怪「虎力大仙(コリキタイセン)」が三蔵との座禅比べに負けた後、羊力大仙は板を隔てて、その向こう側に隠されている物を当てる「隔板猜枚」の術を挑むが、孫悟空の作戦により敗北する。その後、虎力大仙と白い鹿の妖怪「鹿力大仙(ロクリキタイセン)」の二人が、孫悟空との術比べに負けて死んだ後、羊力大仙は孫悟空に、煮えたぎる油の入った釜で入浴する術勝負を挑む。羊力大仙は難無く入浴するが、孫悟空に油を冷やすからくり(油の入った釜の中に、小さな竜を脅して飛び込ませ、無理矢理温度を下げさせていた)を見破られ、孫悟空に釜の中の竜を追い払われて、油の温度が戻ってしまい、羊力大仙は油で揚げられて死んでしまった。
出典:
Wikipedia
作者ひとこと:
羊力大仙のデザインは、羊の妖怪の姿を描きました。釜に入った油を冷ます小さな竜を、両手にまとわらせています。
2018年8月15日水曜日
「鹿力大仙(ロクリキタイセン)」
鹿力大仙(ロクリキタイセン)
西遊記に登場する「三大仙(サンタイセン)」という、三人の妖怪の内の一人。鹿力大仙は、普段は本性を隠して仙人に姿を変えているが、本性は白い毛の鹿の妖怪。三大仙は水不足に瀕していた「車遅国(シャチコク)」を、神々を使役して風雲雷雨を呼ぶ「五雷法の術」により救い、国王から絶大な信頼を得て車遅国の国師になる。それからは、国王は国中の道士を優遇しつつ、反対に仏教を迫害するようになった。三蔵一行が車遅国を訪れた際、三大仙は三蔵を食べる為、三蔵一行に術比べを挑んだ。鹿力大仙は虎の妖怪「虎力大仙(コリキタイセン)」と三蔵の座禅比べの際に、体毛を「南京虫(ナンキンムシ。トコジラミの別名)」に変えて、三蔵に噛みつかせて邪魔をした。しかし、孫悟空に気付かれて失敗する。虎力大仙が孫悟空との術比べに負けて死んだ後、今度は鹿力大仙が自らの腹を裂いて、内臓を抉り出し、再び元に戻す術を孫悟空に挑んだ。孫悟空が先にこれを行い成功し、続いて鹿力大仙が腹を裂いて内臓を取り出すが、孫悟空の分身が化けた鷹に内臓を持って行かれ、内臓を元に戻せなくなった鹿力大仙は、元の白い毛の牡鹿の姿に戻って死亡した。
出典:
Wikipedia
作者ひとこと:
鹿力大仙のデザインは、鹿の妖怪の姿を描きました。腹が裂かれていて、毛を南京虫に変えているのも表しました。足元に踏みつけているのも、南京虫です。
2018年8月14日火曜日
2018年8月13日月曜日
2018年8月12日日曜日
2018年8月11日土曜日
「孟槐(モウカイ)」
2018年8月10日金曜日
「迷酒望(メイシュボウ)」
2018年8月9日木曜日
「夢怪物(ムカイブツ)」
2018年8月8日水曜日
「無支祁(ムシキ)」
無支祁(ムシキ)<無支奇、巫支祁(フシキ)>
中国神話に登場する、水にまつわる妖怪。猿の様な姿をしていて、頭は白く、体は青く、金色の目に、雪の様に白い牙を持つ。 首を百尺も伸ばす事が出来、力は象の大群よりも強く、動作も非常に俊敏であった。無支祁は淮水に現れ、風雷を起こし川面に波を作り、周囲を薙ぎ払い、百姓に害を与えた。また治水をした「禹(ウ)」を邪魔し戦った。禹が治水の為、三度「桐柏山」に行ったが毎回、桐柏山には雷鳴が轟き、大風が吹いていた。これは禹の治水を妨害しようと、無支祁が起こしていた。そして治水をしようとする禹と、それを妨害しようとする無支祁の戦いになった。様々な妖怪達を従え、無支祁は禹の軍と戦ったが、禹の軍の猛将「庚辰(コウシン)」の活躍によって、無支祁の軍は弱体化した。しかし、肝心の無支祁は意に介さず、大暴れした。余りのこの獰猛さに、直接捕らえる事が無理だと悟った禹は、庚辰に命じて大鉄鎖を無支祁の首に巻き付け、動きを封じさせた。そして、無支祁の鼻に金の鈴を付け、淮水の南面の「亀山(キザン)」の麓に封じた。この無支祁の暴れ周り山に封じられた話は、後に西遊記の「孫悟空(ソンゴクウ)」のモデルになったという説がある。
出典:
プロメテウス
Wikipedia
作者ひとこと:
無支祁のデザインは、鎖を巻き付けられ、鼻に金の鈴を付けられて、山の麓に封じられた時の姿をイメージして描きました。
2018年8月7日火曜日
「彭蹻(ホウキョウ)」
2018年8月6日月曜日
「彭躓(ホウシツ)」
2018年8月5日日曜日
「彭踞(ホウキョ)」
2018年8月4日土曜日
「飛廉(ヒレン)」
飛廉(ヒレン)<蜚廉>
中国神話に登場する、風伯(フウハク。風の神)とされている神。角のある雀の頭に、豹の文様の鹿の体、蛇の尾を持つ姿をしている。帝「黄帝(コウテイ)」と魔神「蚩尤(シユウ)」が戦った「涿鹿(タクロク)の戦い」では、蚩尤陣営に参加し、風を操り、雨を操る雨師と共に戦った。しかし戦いは、黄帝側の勝利で終わった。飛廉は、蚩尤が処刑された後は、黄帝陣営に帰順した。黄帝が巡行する際には、雷神が雷で道を切り開き、雨師が水で流し、飛廉が風で地面を掃く事で、黄帝が安全に通れるように、道を整えるなどの仕事に就いた。
出典:
フランボワイヤン・ワールド
プロメテウス
作者ひとこと:
飛廉のデザインは、伝承通りの姿に描きました。
2018年8月3日金曜日
「布袋(ホテイ)」
布袋(ホテイ)
唐の末期の明州に実在した、伝説的な僧侶。絵に描かれる時は、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿に描かれる。本来の名は釈契此(シャクカイシ)というが、常に袋を背負っていた事から布袋という俗称がつけられた。出身地も俗姓も不明で、寺に住む訳でも無く各地を泊まり歩いた。生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを常に背負っている袋に入れていた。雪の中で横になっても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかったり、人の吉凶を言い当てたりした。9世紀末に奉川県で亡くなり、917年に嶽林寺で遷化(センゲ)したが、埋葬されたにも関わらず、後日、他の州でその姿が見かけられた。布袋が死の間際に残した偈文(ゲモン)が、弥勒菩薩(ミロクボサツ)に関してのものだったので、実は布袋は弥勒菩薩の化身だという伝聞が広まり、中世以降、中国では布袋姿の弥勒像を寺院の主要な仏堂に安置するのが通例となった。日本では鎌倉時代に禅画の題材として布袋が受容された。庶民には福の神として信仰され、七福神に組み入れられた。
出典:
Wikipedia
作者ひとこと:
布袋のデザインは、よく描かれる姿で描きました。
2018年8月2日木曜日
「封豨(ホウキ)」
封豨(ホウキ)
中国神話に登場する怪物。中国の南方にある、桑林(ソウリン)という地に棲んでいた。巨大な猪の姿をしている。とてつもない怪力で、性格は乱暴で貪欲だった。家畜や人々を襲って、傷付けたり食い殺したりした。更に田畑を荒らした。また、身体は鎧の様に頑丈な毛皮に覆われ、普通の武器では全く歯が立たない。多くの人々が封豨に苦しめられた為、帝「堯(ギョウ)」は「羿(ゲイ)」を封豨退治に遣わした。羿は封豨の脚に矢を打ち込み、封豨を生け捕りにした。生け捕りにされた封豨は、まず肉を切り取り蒸して、蒸された封豨の肉は料理され堯に献上された。また、封豨が河など水に入ると雨が降るとも言われ、桑林で祈られた。この場合は恐ろしい怪物では無く、封豨は雨雲を呼び雨を降らす、雨の神として信仰された。
出典:
プロメテウス
Wikipedia
作者ひとこと:
封豨のデザインは伝承通り、巨大な猪の姿をイメージして描きました。