ミズチ
巨蟒(おろち)と並んで、日本で最も古い神の一つ。「ミズ」は水を、「チ」は霊を意味しており、水辺に棲む巨大な蛇のことを示す。蛇は脱皮を繰り返し、死と再生を繰り返す不老不死の神霊であると考えられ、縄文の昔から畏怖され、尊ばれてきた。「日本書紀(にほんしょき)」の巻十一、仁徳(にんとく)天皇六十七年十月の条に「是歳(ことし)、吉備中国(きびのみちのなかのくに)の川嶋河(かはしまがは)の派(かはまた)に、大虬(みつち)有りて人を苦(くるし)びしむ。時に路人(みちゆくひと)、其の処に触れて行けば、必ず其の毒(あしきいき)を被(かうぶ)りて、多(さは)に死亡(し)ぬ」とある。勇ましくて力の強かった笠臣の先祖の県守(あがたもり)は、三つのヒサゴを水に投げ入れ、「自分はお前を殺そう。お前がこのヒサゴを水に沈めるなら、自分が逃げよう。沈めることができぬなら、お前を斬るだろう」と言った。すると竜は鹿になって、ヒサゴを引き入れようとした。しかしヒサゴは沈まなかった。そこで剣を抜いて水に入り、竜を斬ったという。また、同じく仁徳天皇の十一年の条には、武蔵(むさし)の強頸(こわくび)と河内(こうち)の茨田連衫子(まんだのむらじころものこ)の二人を「河神(かわのかみ)」に奉れば、きっと堤防が完成するだろうという神託を得た、と記されている。強頸は泣き悲しんで水に入ったが、衫子は丸いヒサゴを二個とって、河の中に投げ入れて神意を伺う占いをした。「自分を必ず得たいのなら、このヒサゴを沈めて浮かばないようにせよ。もしヒサゴを沈められないなら、偽りの神と思うから、無駄に我が身を亡ぼすことはない」と言うと、つむじ風が俄かに起こって、ヒサゴを水中に引き込もうとしたが、ヒサゴは波の上を転がるばかりで沈まなかった。衫子は死ななかったが、その堤防は完成したという。これらの話が、河童が瓢箪や夕顔を忌むという今日の俗信と関連したものであることは、柳田国男(やなぎた くにお)が指摘している。このような昔話は、我が国に広く分布している。それによれば、老父が蛇または河童に娘を与えることを約束してしまい、娘(多くは末娘)が、蛇または河童に嫁ぐとき瓢箪を持って行く。そして、もしこれを川中に沈めることが出来るなら、あなたの嫁になるという。瓢箪を水中に沈めようと努力するが、すぐ浮き上がってしまい、疲れ果てて降参する、といったような内容だ。現在の昔話において、嫁に行くことになっているのは、仁徳紀に記されたような人身供儀の痕跡であろう。
出典:
幻想世界の住人たちⅣ 日本編(新紀元社)
日本書紀 二(岩波文庫)
日本書紀 上 全現代語訳(講談社学術文庫)
作者ひとこと:
ミズチのデザインは、巨大な蛇の姿の精霊に描きました。体にある無数の渦巻き模様は、渦巻く水流のイメージです。体には瓢箪も巻き付いています。