インティ
中央アンデスで信仰された太陽神。インティという名前は「太陽」という意味である。インティは、インカ帝国(タワンティンスーユ)の主要な神の一柱である。インカ帝国の皇帝は「日の御子」とされた。太陽は光と熱を周期的に降り注ぐ天体として、アンデス高地では農耕にとって重要な役割を果たした。この太陽神(インティ)観念が歴史的にどこまで遡れるかははっきりしないが、光芒を放つ人物の表象は、先インカ期にも繰り返し現われている。ある記録によれば、インカ帝国の帝都クスコ地方では、太陽は、日没後から翌朝まで、地下界を西から東へ移動し、その間、ビルカノタ川の水やエネルギーを吸い込み、日中にそれを地上界に降り注ぐものと考えられた。また、ある起源神話では、現人類に先行する巨人が「ビラコチャ」によって創造され、巨人は闇の中で住んでいたが、太陽が昇ることで巨人は死滅し、新しい人間(現人類)が登場したとされる。太陽はまた、大洪水の後チチカカ湖畔から出現し、新しい時代の幕開けとなったとか、インカの始祖「マンコ・カパク」にクスコ行きを命じたのが太陽であったとか語られるように、時代の変遷の節目で決定的な役割を果たす。太陽は、他方、権力とも結びつく。インカの初代皇帝は、光り輝く衣装をまとい、父なる太陽から降りてきたと信じられ、歴代のインカ皇帝もそれに倣って「日の御子」とされた。帝都の中心に建設された宗教センターは当初「インティカンチャ(太陽神殿)」と呼ばれ、主神として太陽神インティが祀られた。太陽信仰は黄金と結びついた事、また後にパチャクテック帝が宗教改革を行い神殿を改築したことで「コリカンチャ(黄金神殿)」と呼ばれるようになった。コリカンチャの中央には巨大な黄金の円盤が設置され、窓から入射する太陽光を反射する仕掛けを備えていたという 太陽の運行は暦の基礎となり、各地に「インティ・ワタナ(太陽を繋ぎとめる柱)」が設置されたが詳細は不明である。太陽神インティの性格は寛大であり、常に人間達を見守る優しい存在であるという。ただし日食はインティの怒りとみなされた。
出典:
神魔精妖名辞典
神の文化史事典(白水社)
作者ひとこと:
インティのデザインは、放射状に光を放つ顔の付いた太陽の様な姿の神に描きました。
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