目目連(モクモクレン)
日本に伝わる妖怪で、江戸時代中期の画家、浮世絵師の「鳥山石燕(とりやま せきえん)」の妖怪画集「今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)」に描かれている。今昔百鬼拾遺には、荒れ果てた廃屋の障子に無数の目が浮かび上がった姿で描かれており、解説には「煙霞跡なくして、むかしたれか栖し家のすみずみに目を多くもちしは、碁打のすみし跡ならんか」と記されている。つまり、碁盤に注がれた碁打師の目の念が、家の隅々に籠もって現れたのだろうか、という事である。妖怪研究家の村上健司(むらかみ けんじ)は、この目目連は鳥山石燕の創作物と指摘している。また、一つ目の神である「一目連(イチモクレン)」の名が、目の沢山ある、この「目目連」の名に関連しているとの指摘もある。小説家の山田野理夫(やまだ のりお)による日本の怪談集「東北怪談の旅(とうほくかいだんのたび)」には「障子の目」と題し、江戸の商人が津軽ヘ材木を買いに行き、宿代がもったいないと言って空き家に泊まったところ、障子に無数の目が現れたが、商人は恐れるどころか、これらの目を集めて持ち帰り、眼科医に売り飛ばしたという話があるが、この津軽で障子に現れた目の妖怪が目目連だとされる事もある。なお、この話の原典である「東北怪談の旅」には目目連の名はない。また、ある南部藩士が布団に入って寝ていたところ、足元に目玉が転がっており、その目玉からもう一つの目玉が生まれ、その繰り返しで周りが目玉でいっぱいになり、あくる朝には藩士自身の目がなくなっていたという話もあり、漫画家の水木しげる(みずき しげる)の書籍においては、この話に出てくる目玉の怪異は、目目連の一種とされている。また、水木しげるの次女・悦子は、中学時代の修学旅行先の京都府の旅館で、障子の格子に目の様なものが浮かび上がって動き回る現象を、同級生たちと共に目撃しており、水木しげるはそれを「目目連だ」と語ったという。この目目連は、夜の障子にびっしりと目が現れるという妖怪で、人を驚かせる以外に特に悪さはしない、とも言われている。
出典:
Wikipedia
ピクシブ百科事典
日本妖怪大事典(角川書店)
作者ひとこと:
目目連のデザインは、舞飛ぶ障子紙に目が現れている姿の妖怪に描きました。
0 件のコメント:
コメントを投稿