自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。

2020年1月31日金曜日

「黄泉醜女」



黄泉醜女(ヨモツシコメ)

日本神話に登場する女の妖怪、または怪物の様な存在。黄泉醜女は日本神話において地下にあるとされる死者達が住んでいる死後の世界「黄泉国(ヨミノクニ)」に住んでいる鬼女である。黄泉醜女は醜く恐ろしい顔をしているとされ、またその脚力は一飛びで千里(約4000km)を走るとされる。元々、黄泉醜女は黄泉国を統治している神である「黄泉神(ヨモツカミ)」に仕えていたが、地上で伊邪那美命が火の神である「火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤヲノカミ)」を生んだ時、女性器に火傷を負ってしまい、その火傷が致命傷となり死んでしまって黄泉国にやって来ると、黄泉醜女達は伊邪那美命に仕えるようになった。「古事記(コジキ)」によると、その後、死んだ伊邪那美命に会いたくなった伊邪那岐命が黄泉国にやって来て、伊邪那美命に「愛しき我が妻よ、私と貴女が作った国は、まだ出来上がっていません。だから、帰ってきなさい」と語りかけた。すると伊邪那美命は「私は、黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)をしてしまいました(黄泉国の食べ物を飲食してしまった者は、黄泉国に属してしまう事)。けれど、愛しき我が背の君が来ていただいたのは恐れ多い事。帰りたいと思うので、黄泉神と相談しますから、その間は決して私の姿を見ないでくださいね」と答えた。言われて事を守って黄泉国の御殿の扉の前でじっと待っていた伊邪那岐命だったが、遂に待ちきれなくなり、髪に差していた櫛の歯を一本折り、これに火を付けて黄泉国の御殿の中に入った。すると御殿の中にいた伊邪那美命は身体がすっかり腐敗しており、それにウジが湧き、その身体に八体の雷神が纏わり付いている恐ろしい姿となっていた。その姿に恐れをなして逃げ出した伊邪那岐命に対して、伊邪那美命は「私を辱めたな」と自分の配下である黄泉醜女達に逃げた伊邪那岐命を追わせた。逃げる伊邪那岐命は追い掛けて来た黄泉醜女達に後ろ手に、髪飾りである「黒御鬘(クロミカヅチ)」を投げると、黒御鬘は地面に落ちて、そこから葡萄が実った。黄泉醜女達が葡萄を食べている隙に伊邪那岐命は逃げたが、暫くするとまた、黄泉醜女達が追い掛けて来た。そこで、今度は右の角髪(ミヅラ)に差していた「湯津津間櫛(ユツツマグシ)」という櫛の歯を折って後ろ手に投げると、櫛の歯が落ちた所から筍が生えてきた。黄泉醜女達がその筍を食べている間に伊邪那岐命は逃げた。しかし、また暫くすると黄泉醜女達が追い掛けて来た。しかも黄泉醜女達ばかりではなく、伊邪那美命の身体に纏わり付いていた八体の雷神達や、黄泉国の悪鬼の兵隊「黄泉軍(ヨモツイクサ)」が1500も追い掛けて来た。伊邪那岐命は追い掛けて来たこれらの魔物達相手に、身に付けていた「十拳剣(トツカノツルギ)」を抜いて後ろ手に魔物達を牽制しながらも逃げた。やがて伊邪那岐命は、生者の世界と死者の世界である黄泉国との境にある坂「黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)」の下に辿り着いた。すると黄泉比良坂の下に桃の木が生えていたので、伊邪那岐命は桃の木から桃の実を三つもいで、追い掛けて来た黄泉国の魔物達に投げると、桃の実を投げられた黄泉醜女や八体の雷神、黄泉軍は全て逃げ去った。黄泉醜女という名前は「黄泉の国の醜い女」という意味である。なお醜女とは古くは「強い霊力を持つ女」といった意味であったとされるが、いつしか「醜い」という意味の変化から、恐ろしい顔の女の姿が想像されるようになったと言われている。また黄泉醜女というのは死の穢れを神格化した存在であると考えられる。

出典:
Wikipedia
神魔精妖名辞典
ピクシブ百科事典
図解日本神話(新紀元社)
図説 妖怪辞典(幻冬舎)
よくわかる「魔界・地獄の住人大事典(廣済堂ペーパーバックス)

作者ひとこと:
黄泉醜女のデザインは、頭と両腕だけの鬼女の姿に描きました。怪物や鬼というよりは、黄泉国にいる邪悪な霊のイメージです。

2020年1月30日木曜日

「淡島神」



淡島神(アワシマノカミ)<淡島様(アワシマサマ)、淡島大明神(アワシマダイミョウジン>

日本神話に登場する神。「古事記(コジキ)」によると、「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」は「別天津神(コトアマツカミ)」たちに天沼矛(アメノヌボコ)を手渡され、「この漂(ただよ)へる國(くに)を修(おさ)め理(つく)り固め成せ」と、漂っていた大地を完成させるよう命じられる。そこで伊邪那岐命と伊邪那美命は天沼矛を持って、空に浮かんでいる、天の神が下界に降りる時に使う橋、天浮橋(アメノウキハシ)に立って、ここから二柱は天沼矛を降ろして、下界の海を「こをろこをろ」と音を鳴らしてかき回した。そして天沼矛を持ち上げると、天沼矛から滴り落ちた塩が海上に積み重なって淤能碁呂嶋(オノゴロジマ)という島になった。伊邪那岐命と伊邪那美命は淤能碁呂嶋に降り立ち、淤能碁呂嶋に「天の御柱(アメノミハシラ※天を支える柱)」と「八尋殿(ヤヒロドノ※広大な殿舎。縦横14.5mくらいの建物とされる)」を建てた。その後、ここで伊邪那岐命が女神である伊邪那美命に「汝が身は如何(いか)に成れる(あなたの身体はどのように出来ているか)」と尋ねると、伊邪那美命は「吾が身は、成り成りて成り合はざる處(ところ)一處(ひとところ)あり(私の身体にはどんどん出来上がって(それでも)足りない処が一箇所ある)」(※成長し切っていながら隙間が合わさって塞がることのない処。女陰の事)と答えた。そこで伊邪那岐命は「我が身は、成り成りて成り餘(あま)れる處一處あり。故(かれ)、この吾が身の成り餘れる處をもちて、汝が身の成り合はざる處にさし塞ぎて、國(くに)土を生み成さむと以爲(おも)ふ。生むこと奈何(いかに)(私の身体にはどんどん出来上がって余っている処が一箇所ある。そこで、この私の成長して余った処であなたの成長して足りない処を刺して塞いで国土を生みたいと思う。生むのはどうか)」(※成長し切って余分に出来ている処。男根の事)というと、伊邪那美命は「然善(しかよ)けむ(それは善いことでしょう)」と答えた。こうして伊邪那岐命と伊邪那美命は結婚する事になった。そこで、伊邪那岐命は「それならば、私とあなたとで、この天の御柱の周りを巡って出逢い、「御陰の目合(ミトノメグワイ※陰部の交わり)」をしよう)」と言った。こうして二柱は結婚の儀式を始めた。淤能碁呂嶋に立った天の御柱を伊邪那岐命は左回りに、伊邪那美命は右回りに天の御柱の周囲を回った後で、出逢うと互いに声を掛けた。先ずは伊邪那美命が先に伊邪那岐命に対して「阿那迩夜志愛袁登古袁(あなにやし、えをとこを)」(※ああなんと、素晴らしい男性)と伊邪那岐命を褒め、次に伊邪那岐命が伊邪那美命に対して「阿那邇夜志愛袁登売袁(あなにやし、えをとめを)」(※ああなんと、素晴らしい乙女)と伊邪那美命を褒めてから二柱は寝所で目合って(性交して)子供を作った。しかし女神である伊邪那美命の方から誘った為、正しい交わりでなかったという事で、まともな子供が生まれなかった。最初に生まれたのは不具の子である「水蛭子(ヒルコ)」であった。水蛭子は体が蛭の様で、体に骨が無い姿をしていたと言われており、伊邪那岐命と伊邪那美命はこの水蛭子を葦船(アシブネ)に乗せて海へと流してしまった(「日本書紀(ニホンショキ)」の場合は水蛭子を堅固な樟(くす)で作った船「天磐櫲樟船(アマノイワクスブネ)に乗せたと記されている)。水蛭子の次に生まれたのが淡島であった。淡島も明記こそされていないものの、不具の子であったので、水蛭子と同じく淡島も伊邪那岐命と伊邪那美命によって葦船に乗せられて海へと流されてしまった。この水蛭子も淡島も伊邪那岐命と伊邪那美命の子供の内に数えられていない。また民間信仰として「淡島神(アワシマノカミ)」という神が祀られている。この神は和歌山県和歌山市加太(カダ)の淡島神社の祭神であり、淡島神は婦人病治療や安産、子授け、裁縫などの家事の上達、更に人形供養など女性に関するあらゆる事に霊験のある神であるとされる。この淡島神の本体(正体)とされる神の一柱として、淡島こそが淡島神の本体であるという説がある。

出典:
Wikipedia(「国産み」、「淡島神」のページ)
図解日本神話(新紀元社)

作者ひとこと:
淡島神のデザインは、水泡の様な頭を持った童子の姿の神に描きました。

2020年1月29日水曜日

「鳥鳴海神」



鳥鳴海神(トリナルミノカミ)

日本神話に登場する神。鳥鳴海神は「古事記(コジキ)」において、国作りの神である「大国主神(オオクニヌシノカミ)」の子孫の系譜が語られる段に記されている神である。大国主神が「八島牟遅能神(ヤシマムヂノカミ)」の娘である「鳥取神(トトリノカミ)」という女神を娶(メト)って、大国主神と鳥取神との間に生まれた神が鳥鳴海神である。鳥鳴海神は「日名照額田毘道男伊許知邇神(ヒナテリヌカタビチヲイコチニノカミ)」という女神を娶って、鳥鳴海神と日名照額田毘道男伊許知邇神との間に「国忍富神(クニノオシトミノカミ)」という神が生まれた。鳥鳴海神という神名は「鳥が霊を運ぶ、鳴り響く海」という意味であると考えられている。

出典:
Wikipedia
神魔精妖名辞典
図解日本神話(新紀元社)

作者ひとこと:
鳥鳴海神のデザインは、体中を宝珠や紙垂で飾り付けた、人面蛇身の姿の神に描きました。

2020年1月28日火曜日

「前玉比売」



前玉比売(サキタマヒメ)

日本神話に登場する女神。前玉比売神は「古事記(コジキ)」において、国作りの神である「大国主神(オオクニヌシノカミ)」の子孫の系譜が語られる段に記されている女神である。前玉比売は「天之甕主神(アメノミカヌシノカミ)」という神の子神である。前玉比売は大国主神の子孫の神である「速甕之多気佐波夜遅奴美神(ハヤミカノタケサハヤヂヌミノカミ)」との間に「甕主日子神(ミカヌシヒコノカミ)」という神を生んだ。前玉比売の神名にある「サキタマ」は「幸魂(人を幸せにする霊威)」の事と考えられ、前玉比売という神名は「幸魂の姫」という意味であると考えられる。

出典:
神魔精妖名辞典
図解日本神話(新紀元社)

作者ひとこと:
前玉比売のデザインは、神楽などの祭りの囃子に使う楽器の手平鉦(テヒラガネ)を市女笠(イチメガサ)の様に頭に被った女神の姿に描きました。

2020年1月27日月曜日

「国之狭土神」



国之狭土神(クニノサヅチノカミ)<国狭槌尊(クニノサヅチノミコト>

日本神話に登場する神。「古事記(コジキ)」によると、「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」の間に生まれた山の神の「大山津見神(オオヤマツミノカミ)」と、野の女神である「鹿屋野比売神(カヤノヒメノカミ)」は、間に四対八柱の神々をもうけたが、国之狭土神もその内の一柱である。国之狭土神は土の神である。また同じく大山津見神と鹿屋野比売神との間に生まれた「天之狹土神(アメノサヅチノカミ)」とは対をなしており、国之狭土神と天之狹土神は共に土、特に山野の土の神達である。また、国之狭土神や天之狹土神の名前にある「サヅチ」は神稲を植える大切な土を意味すると考えられている。

出典:
神魔精妖名辞典
コトバンク
図解日本神話(新紀元社)

作者ひとこと:
国之狹土神のデザインは、体から木々や草が生えている巨人や怪獣をイメージした姿に描きました。

2020年1月26日日曜日

「鹿屋野比売神」



鹿屋野比売神(カヤノヒメノカミ)<草野姫(カヤノヒメ)>

日本神話(「日本書紀(ニホンショキ)」「古事記(コジキ)」の記紀神話)に登場する女神。鹿屋野比売神は「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」の間に生まれた。鹿屋野比売神は、同じく伊邪那岐命と伊邪那美命の間に生まれた、兄である山の神の「大山津見神(オオヤマツミノカミ)」の妻となって、この二柱の神の間に、4対8柱の神々をもうけた。この8柱の神々は、親である大山津見神と鹿屋野比売神の特徴を受け継ぎ、山野の風景や現象を神格化した神々だった。鹿屋野比売神の神名の「カヤ」は萱の事である。枯れた萱は強靭な茎を持つ長持ちする材料として、古来から屋根を葺く材料として使われるなど、人間の生活にとって身近な草だった。その萱の名前が付いている鹿屋野比売神は、家の屋根を葺く草(萱)の霊として人々に実用的な萱の精霊であったとされる。または、古くから萱には野に満ちる草の生命力が宿ると考えられ、鹿屋野比売神の「カヤ」は、そうした野の草の萱を意味しており、そこから、この女性は地上の緑を表す、草や野を司る女神であるとも考えられる。「日本書紀」では鹿屋野比売神は神名を「草祖草野姫(クサノオヤカヤノヒメ」と表記し「草祖」は、草の祖神を意味しており、この名前は、この女神が草や野の精霊の神格化である事を表している。「古事記」では鹿屋野比売神の別名を「野槌神(ノヅチノカミ)」と記しており(※ちなみに日本書紀にも、神がつかない「野槌」の表記あり)、「ノヅチ」という言葉そのものは「草や野の精霊」という意味である。また大山津見神を蛇体の姿をした神とする説があり、その大山津見神の妻である鹿屋野比売神も蛇体の姿をした女神であると考えられていった。

出典:
「日本の神様」がよくわかる本(PHP文庫)
Wikipedia「カヤノヒメ」「野槌」のページ)
神魔精妖名辞典(「野槌神」「野槌」のページ)

作者ひとこと:
鹿屋野比売神のデザインは、女性の上半身と大蛇の下半身を持った女神の姿に描きました。

2020年1月25日土曜日

明日から日本編(3)スタート【お知らせ】


2019年9月17日火曜日
「イゴフネミス」



2019年12月25日水曜日
「アグリ」



「幻獣編」「シベリア周辺の地域編」「日本編」「中国編」「オセアニア編」「北米編」「中国編(2)」「悪魔・堕天使編」「日本編(2)」「インド・中国編」「オセアニア偏(2)」の11シリーズが終了し、明日からは12シリーズ目の「日本編(3)」が再び始まります。約100日(約3ヶ月)かけて、全100体を紹介していきます。


お楽しみに。 by ワンタ

明日から再開します。

今年の干支が子という事で、知り合いの大国主命に招待され、根の堅洲国に行って来ました。僕は年明け前から、ネズミ達と一緒に宴会の準備をしました。僕の他には須佐之男命(スサノオノミコト)や大黒天(ダイコクテン)、須勢理毘売命(スセリビメノミコト)、蚶貝比売(キサガイヒメ)と蛤貝比売(ウムガイヒメ)など、大国主命に関係のある兄弟縁者・八十神(ヤソガミ)たちも招待されており、琴の音色と共に酒宴が始まりました。最初、宴は和やかでしたが、スサノオが次第に悪酔いし、過去にスセリビメを娶られた時の事を話題にして、主催者の大国主に文句を言い出しました。初めは笑顔で聞き流していた大国主でしたが、あまりに文句と悪口を言われるので怒りが爆発、スサノオをスセリビメが、大国主を八十神達が止めましたが、遂に喧嘩が始まってしまいました。まずスサノオが宴の会場を火の海にしてしまいました。僕とネズミ達は大黒天と共に逃げ、避難の為に大きな穴の中へ逃げ込みました。穴の上を炎が通って行き、事無きを得ました。その間も八十神やスセリビメ、ウムガイ、キサガイは消火をしていましたが、炎の勢いは衰えません。火を消そうと今度は、大国主が大水を放出しました。大水はスサノオの放った火炎を消しましたが、様々なものを押し流しました。僕たちも大水に押し流されて、穴の奥深くに入ってしまいました。穴の奥は黄泉比良坂(ヨミノヒラザカ)に通じており、そこに菊理媛(ククリヒメ)がいました。僕たちはここに来てしまった経緯を話すと、ククリヒメは快く根の堅洲国に帰る道案内をしてくれました。無事に僕たちは根の堅洲国に帰って来ましたが、まだスサノオと大国主は喧嘩をしていました。ククリヒメが二柱の間に入って仲裁すると、二柱とも反省し、火事と大水でメチャクチャになった会場を元に戻してくれました。それからは宴を再開する事になり、何事も無くその後の宴は終わりました。そうして帰って来たので、明日から「絵の紹介と解説」を再開します。

by マゴラカ


↑ 須佐之男命(左)と大国主命(右)


↑ 蚶貝比売・旧鼠・蛤貝比売(左上)と八十神(左下)と須勢理毘売命(右上)と菊理媛(右下)と大黒天(中下)とネズミ達(周り)