豊雲野神(トヨクモノノカミ)
「古事記(こじき)」によると、「国之常立神(クニノトコタチノカミ)」の次に生まれた、七番目の神だという。神世七代(かみよななよ)においては、二世代目に生まれた神である。神名の由来は、はっきりとはしていないが、漢字を見る限り、大地に浮かぶ豊かな雲であろうか。国之常立神についで生まれたと考えれば、天と地の中間に位置する神と思われる。ただし、神名に「雲」が含まれた例は豊雲野神しかなく、借字(しゃくじ。漢字の意味に関係なく音を表したもの)の疑いがあり、それに基づくと「野の神」であるとも考えられる。「日本書紀(にほんしょき)」の本文では、「豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)という名前で書かれ、三番目に生まれた神とされる。一書(あるふみ)でも、「豊国主尊(トヨクニヌシノミコト)」「豊組野尊(トヨクムノノミコト)」「豊香節野尊(トヨカブノノミコト)」「浮経野豊買尊(ウカブノノトヨカフノミコト)」「豊国野尊(トヨクニノノミコト)」「豊齧野尊(トヨカブノノミコト)」「葉木国野尊(ハコクニノノミコト)」「見野尊(ミノノミコト)」の別名が書かれ、これらも同一のものと考えられている。先に生まれた神々と同様「身を隠した」と書かれ、それ以降の一切の記述はなく、神話に絡んでくることもない。「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)の「神代系紀」には、豊国主尊の名前で書かれている。二世代目の神として、国常立尊とともに生まれたとされる。ここでも別名として、豊斟渟尊・豊香節野尊・浮経野豊買尊の記載あり。トヨはもともと擬音語であり、のちに転じて、豊富なことを形容する語となった。古代日本において「a」「o」「u」の母音は結合しやすく、また、交替しやすい音でもある。それとは別に「m」と「b」も交替しやすい。日本語の「h(は行)」は奈良時代頃、両唇音(りょうしんおん。上下の唇を使って発音する)の「f(ふぁ、ふぃ、ふぅ、ふぇ、ふぉ)」であったとされ、さらに古い時代は「p(ぱ行)」であったと推測される。そのため「は行」の子音は、同じように唇を閉じたのちに発音する「b(ば行)」「m(ま行)」とも結びつきやすかった。そういう長い間、口承によって信仰された神だったため、「クモ」「クム」「カフ」「カブ」など多くの変化を見せたと考えられる。また、一度「豊斟渟」や「豊組野」と文字化されたものを、トヨクムヌ・トヨクムノと読まず、トヨクミヌ(toyokuminu)・トヨクミノ(toyokumino)と読んだことで、トヨクニヌ(toyokuninu)やトヨクニノ(toyokunino)という形で「豊国主」や「豊国野」が生じたと思われる。最後の「見野」は、頭につけるべき「ク」が抜け落ちてしまったものと見られる。「葉木国」だけは、どの神名ともかけ離れているが、その由来については明確なものが存在しない。ただ、日本書紀の一書第二には「葉木国、此云播挙矩爾」という注記があり、この当時から「ハコクニ」という読み方だったと考えられる。面白い話としては、「豐(豊)」の古体字に「丰(現在、中国で使われている簡体字)ふたつに豆」という形があり、その上部「丰丰」が「葉」の上部に似ているので、文字を正しく読めなかった人物が、その字を「葉」かと疑い「木」を書いて置いたところ、それが次の書写者によって、日本書紀に取り入れられてしまった、といった説である。
出典:
神さま別に読む「古事記」「日本書紀」
作者ひとこと:
豊雲野神のデザインは、雲に覆われた野で出来た身体を持っている、巨大な神の姿に描きました。