自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。

2024年4月29日月曜日

「闇山津見神」


闇山津見神(クラヤマツミノカミ)<闇山祇>

日本神話に登場する山の神。「古事記(こじき)」や「日本書紀(にほんしょき)」において、「伊邪那岐命(イザナギノミコト。伊弉諾尊)」によって斬り殺された「迦具土神(カグツチノカミ。軻遇突智命)」の死体に生じた山津見神の一柱。古事記によると、陰部から成ったのが闇山津見神で、頭には「正鹿山津見神(マサカヤマツミノカミ)」、胸には「淤縢山津見神(オドヤマツミノカミ)」、腹には「奥山津見神(オクヤマツミノカミ)」、右手には「羽山津見神(ハヤマツミノカミ)」で、左手には「志芸山津見神(シギヤマツミノカミ)」、左足には「原山津見神(ハラヤマツミノカミ)」、右足には「戸山津見神(トヤマツミノカミ)」、合わせて八神が生じた。日本書紀では一書(あるふみ)にしか記述がなく、それによれば、カグツチを斬った剣の頭から滴り落ちた血から成った神「闇龗(クラオカミ)」や「闇罔象(クラミツハ)」とともに生じたのが闇山祇である。クラは谷間のこと。「古事記」に、闇山津見神は陰部に生まれた神とあり、このように名づけたのだろう。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)
日本書紀 一(岩波文庫)

作者ひとこと:
闇山津見神(闇山祇)のデザインは、身体が無数の木の葉で覆われている、巨体の山神、または山の精霊をイメージした姿に描きました。

2024年4月26日金曜日

「大蓮寺」


大蓮寺(ダイレンジ)


「大蓮寺の火」「大蓮寺の炎光」ともいう。埼玉県川越市の扇河岸から仙波にぬける田んぼ道に出たという怪火。冬の小雨が降る日などに出たとされる。気にせずにいれば遠くに行ってしまうが、追い払おうとすると笠や傘にふわふわとつきまとって歩く邪魔をして来たという(「武蔵野話」「埼玉県伝説集成 下」「日本伝説叢書 北武蔵の巻」)。「多濃武の雁(たのむのかり)」などでは、大蓮寺と呼ばれる山伏の霊が、この火になって飛んでいる(「埼玉県伝説集成 下」)とも語られている。

出典:
日本怪異妖怪事典 関東(笠間書院)

作者ひとこと:
大蓮寺のデザインは、ふわふわと飛び回る怪火の姿に描きました。

2024年4月24日水曜日

「頬那芸神」


頬那芸神(ツラナギノカミ)

「古事記(こじき)」において、「速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)」と「速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)」の二柱の間から、「頬那美神(ツラナミノカミ)」とともに生まれた二組目の神。ナギは凪、ナミは波の意だろうといわれるが、単に男女二神にしたてたまでで、音構成の型は「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」「伊邪那美命(イザナミノミコト)」に同じである。「日本書紀(にほんしょき)」の一書(あるふみ)に、「天万尊、沫蕩尊を生む、沫蕩尊、伊弉諾尊を生む」というやや風変りな伝承が生じたのも、音韻の上でアワナギとイザナキとが牽きあった結果である。頬は海面(うみづら)を暗示する。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)

作者ひとこと:
頬那芸神のデザインは、身体が水で出来ている男神の姿に描きました。

2024年4月22日月曜日

「頬那美神」


頬那美神(ツラナミノカミ)

「古事記(こじき)」において、「速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)」と「速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)」の二柱の間から、「頬那芸神(ツラナギノカミ)」とともに生まれた二組目の神。ナギは凪、ナミは波の意だろうといわれるが、単に男女二神にしたてたまでで、音構成の型は「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」「伊邪那美命(イザナミノミコト)」に同じである。「日本書紀(にほんしょき)」の一書(あるふみ)に、「天万尊、沫蕩尊を生む、沫蕩尊、伊弉諾尊を生む」というやや風変りな伝承が生じたのも、音韻の上でアワナギとイザナキとが牽きあった結果である。頬は海面(うみづら)を暗示する。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)

作者ひとこと:
頬那美神のデザインは、身体が水で出来ている女神の姿に描きました。イラストの頬那美神の髪は、大波をイメージして描いてみました。

2024年4月19日金曜日

「国之久比奢母智神」


国之久比奢母智神(クニノクヒザモチノカミ)

「古事記(こじき)」において、「速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)」と「速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)」の二柱の間から、「天之久比奢母智神(アメノクヒザモチノカミ)」とともに生まれた四組目(最後)の神。クヒザモチは汲匏持(くみひさごもち)を略したものと「記伝」にはある。ヒサゴは水を汲む器で、「和名抄」に「杓比佐古、斟水器也」とある。瓢箪の類を縦割りにし、日に乾かして柄をつけたもの、ヒサク、ヒシャクはその転である。神楽の採物の一に「杓(ひさご)」があり、祭具でもあった。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)

作者ひとこと:
国之久比奢母智神のデザインは、手に持った、瓢箪で出来た柄杓から水を撒いている、精霊の様な、神の様な姿に描きました。首元には瓢箪の葉を身に付けています。

2024年4月17日水曜日

「天之久比奢母智神」


天之久比奢母智神(アメノクヒザモチノカミ)

「古事記(こじき)」において、「速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)」と「速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)」の二柱の間から、「国之久比奢母智神(クニノクヒザモチノカミ)」とともに生まれた四組目(最後)の神。クヒザモチは汲匏持(くみひさごもち)を略したものと「記伝」にはある。ヒサゴは水を汲む器で、「和名抄」に「杓比佐古、斟水器也」とある。瓢箪の類を縦割りにし、日に乾かして柄をつけたもの、ヒサク、ヒシャクはその転である。神楽の採物の一に「杓(ひさご)」があり、祭具でもあった。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)

作者ひとこと:
天之久比奢母智神のデザインは、手に持った、瓢箪で出来た柄杓から水を撒いている、精霊の様な、神の様な姿に描きました。

2024年4月15日月曜日

「国之狭土神」


国之狭土神(クニノサヅチノカミ)

「古事記(こじき)」において、「大山津見神(オオヤマツミノカミ)」と「野椎神(ノヅチノカミ)」の間に、「天之狭土神(アメノサヅチノカミ)」とともに生まれた一組目の神。「記伝」にはサヅチのサを坂の意とし、これを坂路の神としているが、このサは次の「国之狭霧神(クニノサギリノカミ)」のサと同じく接頭語のようだから、これは文字どおり土の神なのであろう。この段の神々の名は、いわば連想的に列挙されているにすぎないように思われる。「日本書紀(にほんしょき)」に、「国常立尊(クニノトコタチノミコト)」の次に「国狭槌尊(クニノサツチノミコト)」が成ったとあるのは、クニノトコタチの音にひかれてそうなったのであり、一書(あるふみ)に、そのまたの名を「国狭立(クニノサタチ)」という、とあるのは、それがさらに国常立の「立」に同化されたのである。国之狭土神が土の神の意だとすれば、それをおびき出したのは野槌のツチであろう。火の神「迦具土(カグツチ)」からもわかるように、連体助詞「ツ」と「チ(霊)」の結合形「ツチ」は、容易に「土」に転じえたのである。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)

作者ひとこと:
国之狭土神のデザインは、土で出来た身体を持つ、巨体の神の姿に描きました。

2024年4月12日金曜日

「天之狭土神」


天之狭土神(アメノサヅチノカミ)

「古事記(こじき)」において、「大山津見神(オオヤマツミノカミ)」と「野椎神(ノヅチノカミ)」の間に、「国之狭土神(クニノサヅチノカミ)」とともに生まれた一組目の神。「記伝」にはサヅチのサを坂の意とし、これを坂路の神としているが、このサは次の「天之狭霧神(アメノサギリノカミ)」のサと同じく接頭語のようだから、これは文字どおり土の神なのであろう。この段の神々の名は、いわば連想的に列挙されているにすぎないように思われる。「日本書紀(にほんしょき)」に、「国常立尊(クニノトコタチノミコト)」の次に「国狭槌尊(クニノサツチノミコト)」が成ったとあるのは、クニノトコタチの音にひかれてそうなったのであり、一書(あるふみ)に、そのまたの名を「国狭立(クニノサタチ)」という、とあるのは、それがさらに国常立の「立」に同化されたのである。天之狭土神が土の神の意だとすれば、それをおびき出したのは野槌のツチであろう。火の神「迦具土(カグツチ)」からもわかるように、連体助詞「ツ」と「チ(霊)」の結合形「ツチ」は、容易に「土」に転じえたのである。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)

作者ひとこと:
天之狭土神のデザインは、土で出来た身体を持つ、巨体の神の姿に描きました。

2024年4月10日水曜日

「黒雷」


黒雷(クロイカヅチ)

日本神話に登場する雷神。「古事記(こじき)」や「日本書紀(にほんしょき)」において、「伊邪那美命(イザナミノミコト。伊弉冉尊)」の死体に生じていた八体のうちの一体。古事記によると、腹にいたのが黒雷で、頭には「大雷(オオイカヅチ)」胸には「火雷(ホノイカヅチ)」、陰部には「拆雷(サクイカヅチ)」、左手には「若雷(ワカイカヅチ)」、右手には「土雷(ツチイカヅチ)」、左足には「鳴雷(ナリイカヅチ)」、右足には「伏雷(フシイカヅチ)」がいた。日本書紀では一書(あるふみ)にしか記述がなく、それによれば、尻にいたのが黒雷で、首には「大雷」、胸には「火雷」、腹には「土雷」、背には「稚雷(ワカイカヅチ)」、手には「山雷(ヤマイカヅチ)」、足の上には「野雷(ノツチ)」、陰部には「裂雷(サクイカヅチ)」がいたという。記と紀一書は明らかに同系統の伝承だが、殺された「迦具土(カグツチ。軻遇突智)」の身体に八神の「山津見(ヤマツミ。山祇)」が化成した話と同じように、ここも身体の各部分に八つのイカヅチの名をかなり適当にわりふっている。適当といっても拆雷(裂雷)の名はホトにちなんだものに違いないが、その他は漠然と配当されている模様である。要するにその意味は、女神のただれた死体にさまざまな恐るべき形相のイカヅチが成ったというにある。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)
日本書紀 一(岩波文庫)

作者ひとこと:
黒雷のデザインは、真っ黒い身体の、一つ目の魔物姿の雷神に描きました。

2024年4月8日月曜日

「若雷」


若雷(ワカイカヅチ)<稚雷>

日本神話に登場する雷神。「古事記(こじき)」や「日本書紀(にほんしょき)」において、「伊邪那美命(イザナミノミコト。伊弉冉尊)」の死体に生じていた八体のうちの一体。古事記によると、左手にいたのが若雷で、頭には「大雷(オオイカヅチ)」、胸には「火雷(ホノイカヅチ)」、腹には「黒雷(クロイカヅチ)」、陰部には「拆雷(サクイカヅチ)」、右手には「土雷(ツチイカヅチ)」、左足には「鳴雷(ナリイカヅチ)」、右足には「伏雷(フシイカヅチ)」がいた。日本書紀では一書(あるふみ)にしか記述がなく、それによれば、背にいたのが稚雷で、首には「大雷(オオイカヅチ)」、胸には「火雷」、腹には「土雷」、尻には「黒雷」、手には「山雷(ヤマイカヅチ)」、足の上には「野雷(ノツチ)」、陰部には「裂雷(サクイカヅチ)」がいたという。記と紀一書は明らかに同系統の伝承だが、殺された「迦具土(カグツチ。軻遇突智)」の身体に八神の「山津見(ヤマツミ。山祇)」が化成した話と同じように、ここも身体の各部分に八つのイカヅチの名をかなり適当にわりふっている。適当といっても拆雷(裂雷)の名はホトにちなんだものに違いないが、その他は漠然と配当されている模様である。要するにその意味は、女神のただれた死体にさまざまな恐るべき形相のイカヅチが成ったというにある。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)
日本書紀 一(岩波文庫)

作者ひとこと:
若雷のデザインは、生まれたての鳥の雛の様な頭と、龍の様な身体を持った、魔物の姿の雷神に描きました。

2024年4月5日金曜日

「伏雷」


伏雷(フシイカヅチ)

日本神話に登場する雷神。「古事記(こじき)」や「日本書紀(にほんしょき)」において、「伊邪那美命(イザナミノミコト。伊弉冉尊)」の死体に生じていた八体のうちの一体。古事記によると、右足にいたのが伏雷で、頭には「大雷(オオイカヅチ)」、胸には「火雷(ホノイカヅチ)」、腹には「黒雷(クロイカヅチ)」、陰部には「拆雷(サクイカヅチ)」、左手には「若雷(ワカイカヅチ)」、右手には「土雷(ツチイカヅチ)」、左足には「鳴雷(ナリイカヅチ)」がいた。日本書紀では一書(あるふみ)にしか記述がなく、それによれば伏雷は登場せず、首には「大雷」、胸には「火雷」、腹には「土雷」、背には「稚雷(ワカイカヅチ)」、尻には「黒雷」、手には「山雷(ヤマイカヅチ)」、足の上には「野雷(ノツチ)」、陰部には「裂雷(サクイカヅチ)」がいたという。記と紀一書は明らかに同系統の伝承だが、殺された「迦具土(カグツチ。軻遇突智)」の身体に八神の「山津見(ヤマツミ。山祇)」が化成した話と同じように、ここも身体の各部分に八つのイカヅチの名をかなり適当にわりふっている。適当といっても拆雷(裂雷)の名はホトにちなんだものに違いないが、その他は漠然と配当されている模様である。要するにその意味は、女神のただれた死体にさまざまな恐るべき形相のイカヅチが成ったというにある。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)
日本書紀 一(岩波文庫)

作者ひとこと:
伏雷のデザインは、蛇の様な頭と尾を持ち、鳥の様な体を持った、魔物の姿の雷神に描きました。

2024年4月3日水曜日

「大雷」


大雷(オオイカズチ、オホイカヅチ)

日本神話に登場する雷神。「古事記(こじき)」や「日本書紀(にほんしょき)」において、「伊邪那美命(イザナミノミコト。伊弉冉尊)」の死体に生じていた八体のうちの一体。古事記によると、頭にいたのが大雷で、胸には「火雷(ホノイカヅチ)」、腹には「黒雷(クロイカヅチ)」、陰部には「拆雷(サクイカヅチ)」、左手には「若雷(ワカイカヅチ)」、右手には「土雷(ツチイカヅチ)」、左足には「鳴雷(ナリイカヅチ)」、右足には「伏雷(フシイカヅチ)」がいた。日本書紀では一書(あるふみ)にしか記述がなく、それによれば、首にいたのが大雷で、胸には「火雷」、腹には「土雷」、背には「稚雷(ワカイカヅチ)」、尻には「黒雷」、手には「山雷(ヤマイカヅチ)」、足の上には「野雷(ノツチ)」、陰部には「裂雷(サクイカヅチ)」がいたという。記と紀一書は明らかに同系統の伝承だが、殺された「迦具土(カグツチ。軻遇突智)」の身体に八神の「山津見(ヤマツミ。山祇)」が化成した話と同じように、ここも身体の各部分に八つのイカヅチの名をかなり適当にわりふっている。適当といっても拆雷(裂雷)の名はホトにちなんだものに違いないが、その他は漠然と配当されている模様である。要するにその意味は、女神のただれた死体にさまざまな恐るべき形相のイカヅチが成ったというにある。

出典:
古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)
日本書紀 一(岩波文庫)

作者ひとこと:
大雷のデザインは、大きな身体を持った鬼や悪魔の様な姿の、魔物の姿の雷神に描きました。

2024年4月2日火曜日

再開のお報せ。


明日から「絵の紹介と解説」を再開します。更新頻度は、週に三回(月・水・金)となります。

by マゴラカ(ワンタ)