自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。

2020年11月30日月曜日

「視肉」


視肉(シニク)

中国に伝わる怪物、または怪生物。この視肉は、土中に産する肉の塊の様なものである。この視肉は肉塊の様なもので、牛の肝臓の様な形をしており、二つの目を持っている。この肉の塊は生きた生命体であり、この視肉の肉の一部を切り取っても、その切り取った部分は再生して、元の切り取る前の様に戻ってしまう。また、この視肉は食べる事が出来、この視肉の肉の一部を切り取って食べても、食べた分、視肉は再生して元に戻ってしまう。つまり、この視肉は、いくら食べても減る事のない肉塊なのである。この視肉自身は大地の精気を養分として生きているのだという。古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」には、この視肉の記載が多くみられ、視肉は様々な場所に生息していた事が伺えるという。やはり、山海経に記載されている視肉の特徴は「食べても尽きず、しばらくすると元に戻っている」や「一片食べると、その分元に戻っている」という特徴が記載されている。また、この視肉は古代中国の帝王達が養生の為に好んで食べたと言われている。古代中国の神話時代の帝王達は、黄帝(コウテイ)も堯(ギョウ)も舜(シュン)も禹(ウ)も、皆百歳以上生きており、彼等は皆、視肉を食べていたという。昔の人々は視肉を食べると寿命を百歳以上に伸ばす効能があると信じており、その為、中国歴代の帝王達は皆、視肉や、この種の不老長寿の仙薬を探し求めたという。

出典:
プロメテウス
ピクシブ百科事典
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)
「世界の神々」がよくわかる本(PHP文庫)

作者ひとこと:
視肉のデザインは、二つの目を持っている肉の様な姿に描きました。

2020年11月29日日曜日

「火烏」


火烏(カウ)<三足烏(サンソクウ)、日烏(ニチウ)、金烏(キンウ)>

中国神話に登場する幻獣、または霊鳥。火烏は、太陽の中に棲んでいる烏で、太陽を象徴する存在であるとされている。この火烏は三本の脚を持っており、またその全身が金色に光り輝いているとされている事もある。なお、元々この火烏は二本脚の姿で表されていたが、古代中国の文化圏で広まっていた陰陽五行説では偶数を陰、奇数を陽とする考え方があり、三という数字は陽の数であり、また火烏も太陽に棲んでおり、陽の精とされていた為、この火烏の脚の数も太陽と繋がりがある陽の数の三本脚という姿へと変わっていったという。また、太陽の中に黒い烏が棲んでいるというのは、太陽の黒点を表しているという説もある。神話によれば、火烏は太陽を自らの背に乗せて天空を移動する(ただし、別の説では、太陽は龍が駆る車で移動しているという神話もある)と言われている他、火烏は、西方にある崑崙山(コンロンサン)という山岳にいる女神「西王母(セイオウボ)」に食事を運ぶ役目を担っていたとも言われている。前漢時代の皇族・学者である「劉安(リュウ アン)」が学者を集めて編纂させt思想書「淮南子」によると、広々とした東海の畔に「扶桑(フソウ)」という神樹が生えており、その扶桑に十羽の火烏が棲んでいるという。この十羽の火烏が順番に空に上がり、空に上がった一羽が口から火を吐き出すと、その火は太陽になるという、とあり、ここでは火烏は太陽を生み出す存在だとされている。また別の神話では、大昔には10個の太陽が存在しており、1個の太陽だけが空に浮かんで大地を照らし、残りの9個の太陽は湯谷という所で空に出る順番を待っていた。しかし、古代中国の神話時代の帝王である「堯(ギョウ)」の御世に、10個の太陽が一度に全部、天に現れるという事件が起こり、その為に10個の太陽の熱で地上は灼熱地獄と化し、草木が枯れ始めた。この事態を受け堯は、弓の名手である「羿(ゲイ)」に命じて、羿に10個の太陽の内、9個の太陽に棲む9羽の火烏を射落とさせた。これ以降、太陽は現在の様に一つだけになったという。

出典:
Wikipedia(三足烏」のページ)
ピクシブ百科事典
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
火烏のデザインは、光背の様に後ろに太陽を背負っている、頭に冠を被った三本脚の烏の姿に描きました。

2020年11月28日土曜日

「夔」


夔(キ)<夔牛(キギュウ)>

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の大荒東経に記されている怪獣または神獣。夔は、東海にある流波山という山の頂上にいる獣である。この夔は、牛に似た姿の獣で、その頭には角は無く、また脚も一本しか無い。夔の体は青みがかった灰色をしており、その体からは日月の様な強い光を発している。また夔の目からも太陽の様な光を発している。また、夔は口を大きく開けて鳴き声を上げるが、この夔の鳴き声は雷鳴の様な鳴き声である。この夔は一本脚なのに海を自由に泳ぎ、また夔は、泳いでいる時や、海に出入りする時に必ず、自分の周囲に強風と大雨をもたらす古代中国の神話時代の帝王「黄帝(コウテイ)」は、「蚩尤(シユウ)」という神と天下を争い、「涿鹿の戦い(タクロクノタタカイ)」という戦争で、黄帝の軍と蚩尤の軍が戦った時、黄帝は自分の軍の士気を高め、相手の蚩尤の軍の士気を低下させる為、軍鼓を作った。この軍鼓を作る為、黄帝は、まず夔を捕らえ、その夔の皮を剥いだ。夔の皮で作った軍鼓を、雷獣(ライジュウ)という獣の脚の骨で作った撥で叩くと、その音は、500里先にまで轟き、響き渡り、その轟音の様な軍鼓の音は蚩尤軍を驚愕させ、蚩尤軍の、その心の中に恐怖を植え付けた。後漢時代の儒学者・文字学者である許慎(キョ シン)の作である部首別漢字字典「説文解字」の第五篇下における解説では、この夔は「竜の様な姿をしていて角がある」とされている。中国の聖獣・白沢(ハクタク)が述べた魔物などの名を書き記した「白沢図(ハクタクズ)」によれば、夔は「鼓の様で、一本足である」という。この夔というのは、元は古代中国の殷の時代に信仰された神で、「夔龍(キリュウ)」と呼ばれる龍神の一種であった。この夔龍は、一本脚の龍の姿で表され、夔龍の姿は鳳(ホウ)と共に銅鏡などに刻まれた。鳳が熱帯モンスーンを神格化した降雨の神であった様に、夔龍もまた降雨に関わる自然神であったと考えられており、夔が山海経で強風と大雨をもたらすとされるのも、その名残と思われる。後に、その姿が一本脚の牛の姿で表されたのも、牛が請雨の為に龍神に捧げられた犠牲獣であった為とされている。また夔の一本脚は、天から地上へ落ちる一本の雷を表すとも言われる。また夔は、中国神話において、古代中国の神話時代の帝王である「堯(ギョウ)」と「舜(シュン)」の臣下である神としても登場する。この夔は、楽官(朝廷の音楽に関する事を司る官吏)として音楽を司り、若者達に教えたという。夔が石の楽器を打って演奏すると、鳥獣達が、その音色に従って舞ったと言われている。また、この楽官の夔も一本足であるという。また、この夔は春の神でもあり、春雷と関係が深く、やはり前述の通り、この夔の一本足も、天から大地へ落ちる電光を表しているのだという。また、この夔の音楽で鳥獣を舞うというのも、農耕社会において春を祝う祭典での歌舞と関係があるという。

出典:
Wikipedia
神魔精妖名辞典
幻想類書
フランボワイヤン・ワールド
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
夔のデザインは、山海経の記述通り、一本脚の角の無い牛の様な姿の獣に描きました。

2020年11月27日金曜日

「息壌」


息壌(ソクジョウ)<息土(ソクド)>

中国神話に登場する魔法の土、または土の怪物。息壌の「息」という字には「生きる」という意味があり、その名前の通り、この息壌は生きている土である。中国神話では、この息壌は「天帝(テンテイ。中国における天上の最高神)」の至宝の一つであり、至宝である息壌は秘密の場所に隠されていたという。この秘密の場所に隠されている息壌は、代々の帝王の厳重な管理下にあり、その息壌は、通常は何らかの手段で眠らせている状態にある。しかし、一度解放されると、息壌は自ら増殖する能力を有している為、眠りから醒まされた息壌は、絶えず休む事なく増殖し続ける。その為、この息壌は洪水対策の秘密兵器であり、この息壌さえあれば堤防を築く資材に困る事は無かった。しかし、この息壌を使用する為には帝王の許可が必要であった。神話によると、天帝が「堯(ギョウ)」であった時代に22年間にもわたる大洪水が地上を襲った事があった。この時、堯から治水を命じられた「鯀(コン)」という神は、洪水の被害を見かねて、この息壌を盗んで洪水を治めようとした。鯀の盗んだ息壌の量はごく僅かであったが、その息壌はどんどん増殖して巨大な堤防となり、その堤防で洪水を塞ぐ事も出来て、鯀の治水工事は成功したかに思えた。しかし、洪水を治めたのは一時的なものにすぎず、やがて再び洪水が発生してしまった。しかも、鯀は、息壌を盗んだ罪に問われて、その罪によって鯀は「祝融(シュクユウ)」という神によって殺された。こうして鯀の治水工事は失敗に終わったが、その治水工事を引き継いだのは、鯀の息子である「禹(ウ)」であった。禹は息壌も使用しながら、しかし、鯀とは異なり、洪水の根本的な解決方法を目指した工事を行って、遂に洪水の治水を成功させたのであった。この神話には、様々なバリエーションがあり、その一つには、鯀は堯ではなく「黄帝(コウテイ)」から息壌を盗んだという。黄帝は、その鯀を罰する為、祝融を派遣し、祝融は羽山という所で鯀を処刑した、という。また別の神話では、禹は天国へと向かい、そこにいる黄帝に懇願し、黄帝から禹は、魔法の亀の背に乗せられるだけの息壌を譲り受け、それを持って禹は、大洪水の元となっていた233559ヶ所の泉を塞ぐ為に息壌を使った、という。

出典:
Wikipedia
神魔精妖名辞典
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
息壌のデザインは、ムクムクと蠢いている土の怪物の姿に描きました。増殖した土の集合体というイメージがあったので、沢山の顔が浮かび上がっているデザインにしました。

2020年11月26日木曜日

「木客」


木客(ボッキャク、モッカク)

中国に伝わる妖怪、怪物の一種。木客は南康(ナンコウ。江西省)の絶壁の岩の間や木の上に住んでいたという。木客は人間に似た姿をしており、人間の言葉を喋るが、その木客の手や足は鉤爪になっている。また、木客は人間と同様に、仲間が死ぬと、その仲間の死体を棺に入れて葬るという。この木客は、人間と交易する事もあったと言われているが、ただ、木客は人間の前に姿を見せる事は殆ど無いとも言われている。

出典:
妖怪世界遺産
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
木客のデザインは、首回りや、腰布代わりに葉っぱを身に着けており、手足が鉤爪になっている山人の様な姿に描きました。

2020年11月25日水曜日

「蜚」


蜚(ヒ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の東山経に記されている怪獣。蜚は、東山の太山という山に生息している獣である。この蜚は、牛の様な姿の獣で、その首の色は白い。また、この蜚は一つ目の獣で、また、蜚は蛇の尾を生やしている。この蜚が水の中を歩けば、その水は干上がり、蜚が草むらなどの草地を歩けば、その草地の草は枯れる。この蜚が現れると天下に疫病が蔓延するといわれており、この蜚は疫病を広める疫鬼(エキキ。疫病を引き起こして人間を苦しめる鬼神、或いは妖怪)の一種とも考えられている。また、前述の通り、蜚の行くところは、水は干上がり、草(一説には樹木も)が枯れる為、この蜚は旱魃も引き起こすという説もある。また、一説では蜚は、大昔は災いをもたらす災難の神であったとも言われている。また、この蜚は猛毒を持つ鳥「鴆(チン)」の好物であると言われており、鴆は蜚を見つけると、蜚を襲って食べてしまうという。

出典:
神魔精妖名辞典
幻想類書
ピクシブ百科事典
山海経動物記
幻想動物の事典
プロメテウス(「白澤、蜚、馬腹:白澤は崑崙山に住み賢くて徳が高く妖怪を祓う神獣」のページ)
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)
図説 妖怪辞典(幻冬舎)

作者ひとこと:
蜚のデザインは、山海経の記述通り、一つ目で蛇の尾を生やしている牛の姿の幻獣に描きました。

2020年11月24日火曜日

「玃猿」


玃猿(カクエン)<玃(カク)、猳国(カコク)、馬化(バカ)>

中国に伝わる怪物または幻獣の一種。この玃猿は猿に類するものであり、中国明の医師・本草学者である「李時珍(リ ジチン)」が著した本草書「本草綱目」には、この玃猿は、猴(コウ、猿の事)より大きいもので、その体色は青黒く、人間の様に歩き、よく人間や物を攫う。この玃猿は雄ばかりで雌がいない為、人間の女性を捕らえて子供を産ませる、とある。また本草綱目には、この玃猿が老いた猿であるという記述もあり、西晋・東晋時代の道教研究家・著述家の「葛洪(カツ コウ)」の著書「抱朴子」によれば、獼猴(ミコウ、アカゲザルの事)が800年生きると、「猨」となり、それから更に500年を生きると玃猿になるとある。4世紀に東晋の政治家・文人の干宝(カンポウ)が著した怪異説話集「捜神記」や、三国時代魏から西晋にかけての政治家・文人の張華(チョウ カ)の著作「博物志」には玃猿は「猳国(カコク)」、「馬化(バカ)」の名で記述がある。それによると、玃猿は、蜀(現在の四川省・湖北省一帯、及び雲南省の一部)の西南の山中に棲むもので、その姿は猿に似ており、身長は7尺(約1.6m)程で、人間の様に歩く。この玃猿は山中の林の中に潜み、人間が通りかかると、男女の匂いを嗅ぎ分けて女性のみを攫い、その様にして攫った女性は自分の妻として子供を産ませる。子供を産まない女性は山を降りる事を許されず、その様な女性達は、やがて10年も経つと姿形や心までが、玃猿と同化し、人里に帰りたいという気持ちも失せてしまう。子供を産んだ女性は、玃猿によって子供と共に人里へと帰されるが、里へと帰された後に、その子供を育てなかった女性は死んでしまう為、女性達はそれを恐れて玃猿との間の子供を育てる。こうして、玃猿と人間の女性との間に産まれた子供は、姿は人間に近く、育つと常人と全く変わらなくなる。本来なら姓は父の姓を名乗るところだが、父である玃猿の姓が分からない為、仮の姓として皆が「楊」を名乗る。蜀の西南地方に多い「楊」の姓の者は皆、玃猿の子孫なのだ、とある。また、中国南宋の政治家・儒学者である洪邁(コウ マイ)が編纂した̪志怪小説集「夷堅志」には「渡頭の妖」と題し、以下のような話がある。ある谷川の岸に夜になると男が現れ、川を渡ろうとする者を背負って向こう岸に渡していた。ある人が、その男に理由を尋ねても、男は「これは自分の発願であり理由はない」と、殊勝に返事をしていた。ある時、黄敦立という胆勇な男が、その男を怪しみ、同じように谷川を渡してもらった。その三日後、黄敦立はお礼に、今度は自分がその男を背負って谷川を渡そう、と言い、拒む男を無理に抱えて谷川を渡り、渡りきって向こう岸に着くと、抱えていた男を、谷川の岸にある大石に投げつけた。大石に投げつけられた男は悲鳴を上げたので、黄敦立が、その男を松明の明かりで照らすと、その男の姿は玃猿に変わっていた。黄敦立は、その玃猿を殺して焼くと、この臭気は数里先にまで届いたという。

出典:
Wikipedia
愛蔵版 妖怪画談(岩波書店)

作者ひとこと:
玃猿のデザインは、狒々の様な、大きな猿の様な姿の怪物に描きました。女性を孕ませるイメージから、西洋のインキュバスや悪魔のイメージも合体させ、脚を山羊の蹄にしてみました。

2020年11月23日月曜日

「鴆」


鴆(チン)

中国に伝わる幻獣または怪鳥の一種。鴆は、鷲または鷲位の大きさの鳥で、緑色の羽毛と真っ赤(銅に似た色、とも)な嘴を持った鳥である。この鴆の姿は、雁に似ているとも、鷺に似ているとも、または雉、または梟に似ているとも言われており、説によって様々である。また、この鴆の雄を「雲日(ウンジツ)」、鴆の雌を「陰諧(インカイ)」と呼ぶ事もある。この鴆という鳥は、猛毒を持った鳥であり、この鳥は蝮などの毒蛇や毒のある生き物を常食としている。この様な毒のある生き物ばかり食べている為、鴆の体内にも猛毒を持っており、体内どころか、鴆の肉にも、骨や羽毛に至るまで全身に猛毒を持っている。この様に鴆はあまりにも猛毒であるが為、鴆が耕地の上空を飛ぶだけで、その耕地の作物が鴆の毒で全て枯死してしまう。また鴆が獲物を咥えれば、鴆の唾液に含まれている猛毒で、咥えている獲物が溶け出すという。また、鴆の排泄物が石にかかれば、その石は砕け散ってしまう。鴆もこの事を知っており、鴆が石の下に隠れた毒蛇を捕るのに、まず、毒蛇が隠れた石に排泄物をかけ、その石が砕け散ると、その中にいた毒蛇を捕らえて食べるという。その毒気のあまりの威力から鴆は毒の代名詞とされ、「鴆殺」と言えば毒殺の事、「鴆を市する」と言えば毒物の闇取引の事、「鴆杯」と言えば毒を自ら呷る事を指した。鴆の体の一部でも口に含んだ者は、たちどころに五臓六腑が爛れて死に至る。その為、中国では古来から、鴆の羽毛から採った毒「鴆毒(ちんどく)」は、しばしば暗殺に用いられた。この鴆毒は無味無臭なおかつ水溶性であり、酒に鴆の羽毛を一枚浸すだけで、その酒はたちどころに毒酒となり、気付かれる事なく相手を毒殺出来たという。春秋時代、魯(山東省南部にあった国)の君主「荘公(そうこう)」の後継ぎ争いで、荘公の末弟の「季友(きゆう)」は兄の「叔牙(しゅくが)」に鴆酒を飲ませて殺した。また、秦の始皇帝による誅殺を恐れた秦の政治家「呂不韋(りょふい)」は鴆酒を仰いで自殺したなど、中国の古い文献に鴆による毒殺の例は数多い。鴆は、江南(長江以南)に生息しているとされている。晋代(265年~420年)には、鴆を長江以北に持ち込んではならないとする禁令があった。中国南北朝時代の南朝宋では、鴆への取り締まりが厳しくなり、皇帝が鴆の駆除の為、鴆が営巣した山ごと燃やせと命令を出したとか、鴆の雛を都に連れて来ただけの男を鴆の雛と共に処刑させたといった記述がある。この鴆の毒の解毒には犀の角が有効であり、鴆の毒酒による暗殺を恐れた皇帝や貴族達は、犀角で出来た杯をこぞって求めたという。

出典:
Wikipedia
ピクシブ百科事典
幻想世界幻獣事典(笠倉出版社)

作者ひとこと:
鴆のデザインは、頭から二本の飾り羽が触角の様に生えている鳥の姿に描きました。

2020年11月22日日曜日

「白猿」


白猿(ハクエン)

中国に伝わる怪物、妖怪または、幻獣の一種。白猿は、真っ白な体毛を生やした大型の猿である。この白猿は、何百年もの間修行を積んでいる為、人語を話し、変身能力をはじめ、多くの神通力を持っているのだが、白猿は自らの神通力を悪事に働く為に使用し、この様に神通力を自在に使って悪事を働く白猿は、人間達にとって大きな脅威であった。この様な白猿は、長江流域から南の山中に住んでいる。白猿は神通力などを使って人間の美女をよく攫ったという。この白猿は、変身の神通力を使って人間に変身する時、人間の姿では「袁(えん)」という姓を名乗る事が多いという。なぜ「袁」という姓を名乗るかというと「袁」は「猿」という字の音と同じだからであるという。同様に「申」という姓を名乗る事も多いが、この「申」という字は猿を表す字であるので、この「申」の姓も使用される事があるのだという。後漢初期の趙曄(チョウヨウ)によって著された、春秋時代の呉と越の興亡に関する歴史書「呉越春秋」には、人間に化ける白猿の話がある。春秋時代も終わりの頃、越国(浙江省の辺りにあった国)に一人の剣の達人として有名な娘がいた。彼女は越王「勾践(こうせん)」の願いに応じて、武芸の師匠となるべく、北へと向かった。その道中の事、娘は猿公と名乗る一人の老人に出会った。老人は娘に剣の手合わせを所望した。「娘さん、あんたは剣の名人だそうな。わしと手合わせ願えないか」と老人が言うと、娘は「私、隠すものは何もありません。お試しください」と答えた。猿公は、林の中から竹を一本引き抜き、それを二つに折り、娘は短い方の竹を手に取り、猿公は長い方の竹を手に取った。猿公は手に取った長い竹で娘を刺そうとした。しかし娘は三回猿公から来る突きを受け流し、手に持った竹で、逆に猿公を打った。打たれた猿公は木の上に飛び上がり、白猿に変身して何処ともなく去って行った、とある。また、唐代の伝奇小説「補江総白猿伝」には、千年の時を生きた白猿が登場する。この白猿は仙人に匹敵する能力を持ち、空を飛ぶ能力、変身能力に、あらゆる武器が通用しない不死身の肉体も持っていた。その為、完全武装した兵士が百人がかりでこの白猿を襲っても、この白猿を倒す事は出来なかった。ただし弱点があって、酒を飲んで酔うと神通力を失う事と、僅かに臍のの下15cmの所だけ武器が通用するのである。この白猿は、多くの人間の美女を攫っていた。なぜ白猿が美女を攫うかというと、白猿は子供をつくる為には人間の女性が必要で、この白猿も多くの美女を攫って、自らの子孫をつくろうとしていたのである。中国南北朝時代、梁の大同年間(535年~546年)の終わり頃、梁の将軍「欧陽紇(おうようこつ)」の妻が厳重な警護の中から、足跡も残さずに、この白猿に攫われてしまった。欧陽紇は長い捜索の末、遂に南中国の深い山中で、この白猿の住処を発見し、その中で妻と再会した。そこで欧陽紇は妻と、他にも攫われて来た婦人達を救う為に、婦人達と相談して、白猿を謀殺する事にした。まずは白猿の大好物である酒と食用の肉、丈夫な麻縄を用意して、それから欧陽紇と部下の兵士達は物陰に隠れて、白猿が帰って来るのを待ち受けた。やがて、空を飛んで白猿は帰って来たが、人間に姿を変身していた。しかし、住処に大好物の犬がいるのを見つけると、すぐにその犬を捕まえて引き裂き、ガツガツと食べ始めた。その様子を見ていた婦人達はすかさず、白猿に酒を勧めた。やがて、肉をたらふく食べ、酒を大いに飲んで、すっかり酔ってしまった白猿は、神通力を失い、正体である真っ白い体毛を生やした巨大な猿の姿を現してしまった。そこで婦人達は、隠していた麻縄で白猿を石のベッドに縛り付け、隠れていた欧陽紇に合図をした。合図を確認した欧陽紇は、部下達と共に武器を手にして踏み込み、縛られている白猿を滅多突きにしたのだが、まるで鉄や石を突いている様で、まるで効果が無い。欧陽紇達が困っていると、婦人達が白猿の弱点を欧陽紇達に教えた。そこで婦人達から聞いた弱点に従って白猿の臍の下の15cmの所を刺すと、傷口から血がドクドクと流れ出た。白猿はすっかり観念し、「これは天が私を殺そうとしているのだ。お前達の仕業ではない。お前の妻は私との間の子供を妊娠しているが、産まれてくるその子を殺してはならない。後にその子は聖なる皇帝に出会って、一族を繁栄させる事になるであろう」と白猿は欧陽紇に言い残して息絶えた。やがて1年程の時が経ち、欧陽紇の妻は一人の子供を産んだ。この子は後に、唐の初め、文学と書道で名を馳せた「欧陽詢(おうようじゅん)」であった。

出典:
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
白猿のデザインは、衣を纏っている、長い尾を持った猿の魔神の様な姿に描きました。

2020年11月21日土曜日

「𧕛圍」


𧕛圍(ダイ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の中山経に記されている神。𧕛圍は、中山の驕山という山に住んでいる神である。この神の姿は、人面で、羊の角と虎の爪を持っている。または、手足の爪が虎のもので、頭には羊の角が生えた人の姿をしているとも言われている。この𧕛圍は、驕山にある雎漳之淵という淵で遊び、𧕛圍がこの淵の水中から出入りをする際に、𧕛圍の体から光が放たれる。

出典:
神魔精妖名辞典
幻想類書

作者ひとこと:
𧕛圍のデザインは、頭に羊の角を生やし、四本足が虎になっている、人面獣身の姿の神に描きました。

2020年11月20日金曜日

「蠱毒」


蠱毒(コドク)<蠱道(コドウ)、蠱術(コジュツ)、巫蠱(フコ)>

古代中国において用いられた呪術で、この蠱毒は動物を使った呪術の一種である。この蠱毒は、中国華南の少数民族の間で受け継がれている。この蠱毒の代表的な術式として、蛇、百足、蚰蜒(ゲジ)、蛙、様々な昆虫などの百虫を同じ容器で飼育し、容器の中で互いに共食いさせ、そこから勝ち残った者が神霊となる為、これを祀る。この虫の毒を採取して飲食物に混ぜ、それを食べた相手に害を加えたり、蠱毒を祀る者は思い通りに福を得たり、富貴を図ったりする。この様に蠱毒とは人を呪い殺す為の呪術である。ただし単に相手を呪い殺すだけではなく、呪い殺した者から財産を奪って自分を富ませる術でもある。また、この蠱毒をかける呪術者を「蠱主(こしゅ)」といい、蠱毒の呪いをかける為に様々な虫などの動物を飼う事を「蠱を蓄(か)う」という。古代中国において蠱毒は、広く用いられていたとされる。どのくらい昔から用いられていたのかは定かではないが、「蓄蠱(蠱の作り方)」についての最も早い記録は、中国史の中における隋代を扱った歴史書「隋書」地理志にある「五月五日に百種の虫を集め、大きなものは蛇、小さなものは虱と、併せて器の中に置き、互いに喰らわせ、最後の一種に残ったものを留める。蛇であれば蛇蠱、虱であれば虱蠱である。これを行って人を殺す」といったものである。4世紀に東晋の政治家・文人の干宝(カンポウ)が著した怪異説話集「捜神記」の説によれば、蠱毒の中には怪物がおり、鬼の様ではあるが、形は様々に変化し、蠱主だけがその形を知っている、とある。もし人が蠱毒の毒に当たってしまうと、現れる症状は様々であるが「一定期間の内にその人は大抵死ぬ」と記載されている。蠱毒の毒に当たってしまった時、その毒を取り除く効果を持つ物として、茗荷(みょうが)の根がある蠱毒の毒に当たってしまった人に茗荷の根を飲ませると、体内の蠱毒による毒素を除去するばかりではなく、その蠱毒の蠱主の名前が分かる。蠱主の名前が分かれば、この人が誰であるかを追求し、蠱毒の原因を取り除く事が出来る。中国の法令では、蠱毒を作って人を殺した場合、あるいは、殺そうとした場合、また、これらを教唆した場合には死刑にあたる旨の規定があり、唐の高宗の永徽3年(652年)に編纂された唐律の注釈書「唐律疏義」巻18では絞首刑、中国明朝の法令「大明律」巻19、中国清代の法典「大清律例」巻30では斬首刑となっている。

出典:
Wikipedia
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
蠱毒のデザインは、鬼や妖怪と虫を合体させた様な姿の怪物に描きました。

2020年11月19日木曜日

「猾褢」


猾褢(カツカイ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の南山経に記されている怪獣。猾褢は、南山の堯光山という山に生息している獣である。この猾褢は、人間の様な姿の獣で、猪の子供の鬣(猪の鬣とも)を生やしている。この猾褢の鳴き声は、木を切る時の音の様な声で鳴く。この猾褢は、いつも穴に住んでおり、冬になるとその穴で冬眠をする。猾褢は凶兆とされる獣で、この猾褢が県に現れると、その県には大規模な強制労働が起こるという。一説には、猾褢が出現した県には、反乱が発生するとも言われているが、これは、強制的な重労働の結果として反乱が起こるとも考えられる。

出典:
神魔精妖名辞典
幻想類書
幻想動物の事典
山海経動物記
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
猾褢のデザインは、山海経では、猪の鬣を持った人間の様な姿とあったので、それをアレンジして、猪の頭と毛皮を被った人間の様な姿に見える怪物に描きました。

2020年11月18日水曜日

「雍和」


雍和(ヨウワ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の中山経に記されている怪獣。雍和は、中山の豊山という山に生息している獣である。この雍和は、猿の様な姿の獣(手長猿の様な姿の獣、とも)で、その体の色は黄色、また、目と口先の色は赤色である(口先ではなく「嘴(クチバシ)」の色は赤色、とも言われている)。この雍和が国に現れると、その国には大恐慌が起こるという(この雍和が国に現れると、その国には大騒ぎが起こる、という説もある)。

出典:
神魔精妖名辞典
幻想類書
幻想動物の事典
山海経動物記
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
雍和のデザインは、小型の猿の姿に描きました。雍和の口を鳥の嘴にしたデザインにしてみました。

2020年11月17日火曜日

「朱厭」


朱厭(シュエン)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の西山経に記されている怪獣。朱厭は、西山の小次之山という山に生息している獣である。この小次之山の山上からは白玉が豊富に産出され、また小次之山の山下からは、黄銅が豊富に産出された。この朱厭は、猿の様な姿の獣で、この朱厭の首の色は白く、また脚は赤色をしている。この朱厭が現れると天下に大戦が起こるという。

出典:
神魔精妖名辞典
幻想類書
幻想動物の事典
山海経動物記
プロメテウス
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
朱厭のデザインは、口から鋭い牙が覗いている猿の様な姿の獣に描きました。

2020年11月16日月曜日

「長右」


長右(チョウユウ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の南山経に記されている怪獣。長右は、南山の長右山という山に生息している獣である。この長右山という山は、草木が生えておらず荒涼としている山である。しかし、山からは水が豊富に湧き出ている。この長右は、猿の様な姿の獣(手長猿の様な姿の獣、とも)で、耳が4つ(2対)ある。この長右の鳴き声は、人間が呻く様な声で鳴く。この長右は凶兆とされる獣で、この長右が現れた郡県は洪水に見舞われるという。

出典:
神魔精妖名辞典
幻想類書
幻想動物の事典
山海経動物記
プロメテウス
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
長右のデザインは、頭の左右に二つずつ、計4つの耳を生やした猿の姿に描きました。

2020年11月15日日曜日

「土螻」


土螻(ドロウ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の西山経に記されている怪獣。土螻は、昆侖之丘(古代中国の伝説に登場する、中国の西方にあるとされる伝説上の山岳「崑崙(コンロン)」の事)に生息している獣である。この土螻は、羊の様な姿の獣で、頭には四本の角を生やしている。また、この土螻は人間を食べる獣である。また、崑崙を南に望む槐江山という山の神である「英招(エイショウ)」は、この土螻の群れを管轄している神であるとされる。英招の管轄下にある土螻達は神獣の一種なのだが、人間を食べる神獣であった。しかし、英招は土螻達の人食いを良しとせず、自らの管轄下にある土螻達が人間を食べる事を許さなかったという。

出典:
神魔精妖名辞典
幻想類書
幻想動物の事典
山海経動物記
プロメテウス(「天神英招 槐江山の天神で四海を飛び回る翼のある人面馬」のページ)
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
土螻のデザインは、真っ直ぐに伸びた角が二本、渦を巻く様に伸びた角が二本の、計四本の角を持った羊の様な姿の獣に描きました。口の中には、鋭い牙が生え揃っています。

2020年11月14日土曜日

「猼訑」


猼訑(ハクイ、ハクシ)<猼陁>

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の南山経に記されている怪獣。猼訑は、南山の基山という山に生息している獣である。この基山という山の日の当たる南面からは多くの玉石が産出され、また、山の陰になる北面には様々な奇怪な樹木が多く生えているという。この猼訑は、羊の様な姿の獣で、四つの耳を持ち、九本の尾を生やしている。二つの目は、頭にではなく、背中についている。この猼訑の毛皮を着用するなど、身につけていたり、または、この猼訑の肉を食べたりすると、その人は恐怖心がなくなり、勇気が湧いて、物怖じしなくなるという。

出典:
神魔精妖名辞典
幻想類書
幻想動物の事典
山海経動物記
プロメテウス
ピクシブ百科事典
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
猼訑のデザインは、山海経の記述通り、四つの耳と九本の尾、背中に目を持った羊の様な姿の獣に描きました。

2020年11月13日金曜日

「彘」


彘(テイ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の南山経に記されている怪獣。彘は、南山の浮玉之山という山に生息している獣である。この彘は、虎の様な姿の獣で、牛の尾を生やしている。この彘は、犬の吠え声の様な声で鳴く獣である。また、この彘は、人間を食べる獣である。

出典:
神魔精妖名辞典
幻想類書
幻想動物の事典
山海経動物記
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
彘のデザインは、牛の尾を持った虎の様な獣の姿に描きました。山海経の彘の挿し絵が、虎の模様の付いた猿や人間の様にも見える事から、そこからイラストは、人間の要素もプラスして、冠を被った人間の頭を持つ、人頭虎身牛尾にしてみました。

2020年11月12日木曜日

「羅刹鳥」


羅刹鳥(ラセツチョウ)

中国に伝わる怪物、妖怪または、怪鳥の一種。羅刹鳥は、中国清代の文人・詩人の「袁枚(エン バイ)」の文言小説集「子不語」に登場する怪鳥である。この羅刹鳥は、灰色の鶴の様な姿をしており、しかし鶴よりはずっと大きい怪鳥である(黒鷺の様な姿をしているが、それよりも大きい怪鳥、とも言われている)。この羅刹鳥は普段は墓場に住んでいる。また、この怪鳥は、変身能力を持ち、様々な姿に化ける事が出来る。また、人間に祟る事も出来る。この羅刹鳥は人間の目を好んで喰らう怪鳥である。羅刹鳥は、墓地の死体から出る陰の気が積もり積もって凝り固まり、年を経て怪鳥となったものだと言われている。また、この怪鳥は、羅刹鳥という名前が示す通り、インド伝来の鬼神「羅刹(ラセツ、ラークシャサ)」の種類に属するものと考えられていた。清の雍正年間(1723年~1735年)のこと、北京内城に住むある人が嫁を迎えた。その人の花嫁となった女性が駕籠に乗り北京内城へ、花嫁行列で向かった。花嫁行列一行が古い墓の傍らを過ぎようとすると、その墓から突風が吹き、花嫁の乗った駕籠の周りを数回巡った。この突風によって砂が舞い、行列の人々は舞った砂が目に入って目を開けていられず、この突風に皆がたじたじとなったが、しばらくすると、その突風は治まった。やがて花嫁行列は北京内城の新郎の家に到着し、新郎の家の大広間で駕籠の簾を上げると、駕籠の中には全く瓜二つの二人の花嫁が入っていた。二人の花嫁は、顔ばかりではなく服装までが全く同じで、そこにいる誰もが、どちらが本当の花嫁か見分けがつかなかった。しかたがないので、そのまま婚礼を執り行う事になり、新郎を中央において、その両側に花嫁を配して式を行った。新郎は花嫁が二人になったので、内心は喜んでいた。さて、夜も更けて、新郎は二人の花嫁をつれて床に入る事になった。召使い達は別室に下がり、新郎の両親が寝ついた頃、突然新郎の悲鳴が響き渡ったのである。家の者達が慌てて、新郎と花嫁のいる部屋に駆け付けると、部屋中血だらけで、新郎は寝台の下に倒れており、その周囲は血溜まりとなっており、花嫁の一人も血溜まりの中に仰向けになって気絶して倒れていた。ところが、もう一人の花嫁が何処に行ったのか分からない。部屋の中が暗いので、明かりをつけて照らしてみると、部屋の梁の上に一羽の大きな鳥がとまっている。その鳥は黒っぽい灰色をした鳥で、鉤の様に曲がった嘴を持ち、雪の様に白い大きな爪を脚に生やしていた。人々は手に武器をとって、この怪鳥を攻撃したが、剣や刀などの短い武器では、怪鳥にとどかず役に立たなかった。人々は弓や長矛を持って来て怪鳥を攻撃しようと言い合っている内に、突然この怪鳥が翼を羽ばたきだして、ギャギャと鳴き出したかと思うと、目を青い燐光の様に光らせながら、入り口を突き破って外へと飛び去って行った。倒れていた新郎と花嫁は治療のかいあって一命をとりとめた。新郎と花嫁に何があったのかと、人々が新郎と花嫁に話を聞くと、新郎は「私の左側に寝ていた花嫁が、袖をふると、私の両目が抉り取られて、その痛さに耐えかねて私は失神してしまいました」と言い、また花嫁は、「旦那様が悲鳴を上げた時、私は、どうしたのかと旦那様の方を見ると、あの女は既に鳥の姿になっており、私の目を突いて来ましたので、私もそのまま失神してしまったのです」と言った。新郎と花嫁の二人は、その後、仲がきわめてよい夫婦であったが、あの怪鳥に突かれてしまった目だけは元に戻らず、二人共に盲目になってしまっていた。

出典:
妖怪邸・妖堂 日記帳
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
羅刹鳥のデザインは、鷺の様な鶴の様な首の長い怪鳥の姿に描きました。首回りの羽毛には目の模様が多数付いています。

2020年11月11日水曜日

「魍魎」


魍魎(モウリョウ)

中国に伝わる怪物、妖怪の一種。魍魎は、山川木石などのあらゆる自然物の精気から生じた精怪であるという。この魍魎の姿は、前漢時代の皇族・学者である「劉安(リュウ アン)」が学者を集めて編纂された思想書「淮南子」によると、魍魎の姿形は、三歳程の小児の様で、その肌の色は赤黒く、目は赤く、耳は長く(耳はまるで兎の耳の様に長く伸び、とも言われている)、麗しく美しい髪を持つとされている。また、この魍魎は人間に似た声をしているともいう。この魍魎は、水の怪や水神、水沢の神ともされており、「淮南子」によると、罔象(魍魎)は水から生じる、とある。また、中国前漢時代の歴史家「司馬遷(シバ セン)」によって編纂された中国の歴史書「史記」によると、春秋時代の思想家、哲学者、儒家の始祖である「孔子(コウシ)」は、水の怪は龍や罔象(魍魎)であるとした。日本では「魍魎・罔象」に水神を意味する「みずは」と訓じ、この語に他に「水波」、「美豆波」、「弥都波」など様々な漢字で表記される。江戸時代の医師、寺島良安(テラシマ リョウアン)により編纂された類書(百科事典)、「和漢三才図会」の魍魎の項目でも、魍魎に水神を意味する「みずは」の和訓があてられている。また、日本神話に登場する神である「ミヅハノメ」を、奈良時代に成立した日本の歴史書「日本書紀」では「罔象女神(ミツノハノメノカミ)」と表記している。一方、魍魎は人間を化かす妖怪の類であるとか、墓を掘り返して死者の内臓を好んで食べる忌まわしい妖怪であるともされている。中国明の医師・本草学者である「李時珍(リ ジチン)」が著した本草書「本草綱目」には、「罔両(魍魎)は好んで亡者の肝を食べる。それで『周礼(儒教経典の一つ)』に、戈(ほこ)を執って、壙(つかあな)に入り方良(魍魎)を駆逐する、とあるのである。本性、罔両は虎と柏とを恐れる。また、弗述(フツジュツ)というのがいて、これは地下にあり死人の脳を食べるが、その首に柏を挿すと死ぬという。つまりこれは罔両である」と記されている。日本では、魍魎が亡者の肝を食べるという点から、葬式や墓場に現れて、死者の亡骸を奪う妖怪「火車(カシャ)」と同一視されている。

出典:
[妖怪図鑑]新版TYZ
Wikipedia(「魑魅魍魎」、「魍魎」のページ)
図説 妖怪辞典(幻冬舎)

作者ひとこと:
魍魎のデザインは、兎の様な長い耳と、大きな目を持った子供の様な姿の妖怪に描きました。体には獣の様な剛毛が生えています。また死者の肝を食べる、忌まわしい妖怪ともされているので、蹄のある脚と鏃(やじり)の様な先の尾を描いて西洋の悪魔もイメージした感じにしました。

2020年11月10日火曜日

「乾麑子」


乾麑子(カンゲイシ)

中国に伝わる怪物、妖怪の一種。乾麑子は、中国清代の文人・詩人の「袁枚(エン バイ)」の文言小説集「続子不語」に登場する。動く死者である。乾麑子とは、鉱山の中で死んだ人間の死体が変化した動く死者で、同じく動く死者である「僵尸(キョウシ、キョンシー)」に類似したものである。ただし、死体が動く様になる原因が僵尸と乾麑子とでは異なる為か、乾麑子は、生きている人間を襲ったり、災いをもたらしたりする僵尸の様な残虐さは持ってはいない。この乾麑子は、特に雲南省の鉱山の中によく出没したという。鉱山で働く鉱夫が、鉱山の落盤事故などで生き埋めになり、そのまま死んでしまった死体が土の中で、土と鉱物などに含まれる金属の気によって数十年もしくは百年もの間養われるものがある。この様な死体は体が損壊する事無く維持され、人間としては既に死んでしまっているが、土や金属の気によってやがて新たな生命を得て、死体が動き出すのである。こうして乾麑子は出来上がるのだが、この乾麑子は土中で土と金属の気によって生命を与えられているから、乾麑子が鉱山から出て外気に触れてしまうと、たちまち死んでしまう。暗い坑道の中で頭に明かりを付けて働く坑夫達は、時折、坑道の中で乾麑子に出会う事がある。乾麑子は生きている人間とあまり異ならない姿をしており、人間の言葉も喋れるのだが、明らかに生きている人間では無く、死体であるという事は分かる。乾麑子は、人間と出会った場合、いつも寂しい地下で生活しているので、生きている人間に出会った事を非常に喜び、生きている人間に煙草をねだる。煙草を貰って吸った後に、今度は一緒に外に連れ出して欲しいと懇願する。そこで連れ出すと乾麑子に約束しないと、乾麑子はその人間に死ぬまで纏わり付いてくる。乾麑子と人間が出会った時、人間の方が多ければ問題は無いが、もし乾麑子の方が多い場合には、外に連れ出すと約束しないと、乾麑子達に纏わり付かれて動けなくされ、乾麑子達の住処の穴の中に引きずり込まれてしまう。しかし一方で、坑道で働く坑夫達にとって、乾麑子に出会う事は幸運な事でもある。乾麑子達は長く地下に住んでいるので、どこに金銀の鉱脈があるかを知っている。出会った乾麑子に鉱脈が何処にあるかと聞けば、乾麑子は快く鉱脈まで導いてくれる。そして、教えられた所を掘れば、必ず金銀を掘り当てる事が出来る。乾麑子に頼まれて、乾麑子を外に出す事になった者は、まず自分が駕籠を使って坑道から外に出る。次に、その駕籠に乾麑子を乗せて引っ張り上げ、空中で駕籠を支えている縄を斬る。乾麑子は哀れな事に、地面に落ちてもう一度死ぬ事になる。ある人が本当に乾麑子を外に出した事がある。外に出た乾麑子は、外気の風に当たると、着ていた衣服や肉体は崩れ落ちて全て水になってしまった。この水は生臭い匂いを発し、この水の匂いを嗅いでしまった人々は全員、病気になって死んでしまった。以来、この水の匂いを嗅いで死ぬ事を恐れた坑夫達は、駕籠の縄を斬って乾麑子を処分してしまうようになった。乾麑子を処分する方法は、もう一つあり、坑道で乾麑子と人間が出会った時、人間が乾麑子よりも多い場合に、乾麑子を捕らえて、その手足を縛って動けなくし、そのまま土の壁に押し付け、中から出てこられないようにその周りを泥で塗り込めてしまうという方法である。また乾麑子が祟らない様に、乾麑子を塗り込めた場所の上には灯台の様に明かりをつけるのだという。

出典:
神統録@ウィキ
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
乾麑子のデザインは、動く死体というのをイメージした姿に描きました。鉱山の中で、土や金属の気によって生きているというので、体から結晶化した鉱物が生えています。

2020年11月9日月曜日

「諸懐」


諸懐(ショカイ)<諸懷>

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の北山経に記されている怪獣。諸懐は、北山の北嶽山(山西省渾源県にある恒山)という山に生息している獣である。この諸懐は、四本の角、人間の様な目、豚の様な耳(猪の様な耳や、猪の子の様な耳、という説もある)を持つ牛の様な姿をした獣である。また、この諸懐は、雁の様な声で鳴く獣で、人間を食べる獣である。

出典:
幻想類書
神魔精妖名辞典
幻想動物の事典
山海経動物記
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
諸懐のデザインは、四本角を持ち、口の中に牙が生えた牛の様な姿の獣に描きました。

2020年11月8日日曜日

「魑魅」


魑魅(チミ)

中国に伝わる怪物、妖怪の一種。魑魅は、山林の瘴気から生ずる怪物である。この魑魅は、人間の顔と獣の体という姿をしている。また、この魑魅は、人間を迷わせる妖怪であるとか、山神であるとも言われている。また、魑魅で一体の妖怪ではなく、「魑魅」を更に細かく分けて「魑(チ)」を山の神、「魅(ミ)」を沢の神とする事もある。この場合の魑と魅の外見について、魑は虎の様な獣形の姿、魅は人面獣身四足の姿などとされている。この魑と魅について、中国前漢時代の歴史家「司馬遷(シバ セン)」によって編纂された中国の歴史書「史記」の五帝本紀の注釈には、魑は虎の形をした山神、魅は猪頭人形の沢神とされている。日本では魑魅の和訓は「すだま」や「やまのかみ」とされている。平安時代中期に作られた辞書「和名類聚抄」には「魑魅 和名 須太萬(すだま)」との記述があり、魑魅を鬼の類と説明している。江戸時代の医師、寺島良安(テラシマ リョウアン)により編纂された類書(百科事典)、「和漢三才図会」では、魑魅は山の神であるとされる。

出典:
[妖怪図鑑]新版TYZ
Wikipedia(「魑魅魍魎」のページ)

作者ひとこと:
魑魅のデザインは、両手両脚が蹄になっている鬼の様な姿の妖怪に描きました。

2020年11月7日土曜日

「讙」


讙(カン)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の西山経に記されている怪獣。讙は、西山の翼望山という山に生息している獣である。この讙は、狸(「狸」という文字は、中国では野生のネコ科動物(山猫など)を意味している)の様な姿の獣である。この讙は一つ目(この一つ目は輝いているという意味)の獣で、また尾も三本ある。讙は声で色々真似る事が得意で、色々な声で鳴く事が出来、他の生物の鳴き声を真似して鳴く事も出来る。讙は、百種類の生物の鳴き声を真似して鳴く事が出来る。この讙という獣自体や、讙の鳴き声には凶事を防ぐ力があるという。また、この讙の肉は黄疸を癒す薬になり、讙の肉を食べると、黄疸が治癒する。

出典:
幻想類書
神魔精妖名辞典
幻想動物の事典
Wikipedia
山海経動物記
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
讙のデザインは、一つ目で三本の尾を持った山猫の様な姿の獣に描きました。

2020年11月6日金曜日

「山𤟤」


山𤟤(サンキ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の北山経に記されている怪獣。山𤟤は、北山の獄法山という山に生息している獣である。この山𤟤は、人間の顔を持った犬の様な姿の獣である。この獣は、よく物を投げる。また、山𤟤は人間を見かけると笑う。また、この山𤟤は、まるで風の様に速く走る事も出来る。この山𤟤が現れると天下が暴風に見舞われるという。

出典:
幻想類書
神魔精妖名辞典
幻想動物の事典
山海経動物記
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
山𤟤のデザインは、冠を被った人間の頭と犬の体という姿の獣に描きました。山𤟤は暴風の兆しの獣なので、首回りに風をイメージした雲を付けてみました。

2020年11月5日木曜日

「犰狳」


犰狳(キヨ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の東山経に記されている怪獣。犰狳は、東山の余峨山(餘峨山や餘峩山とも表記される)という山に生息している獣である。この犰狳は、兎の様な姿の獣で、鳥の嘴、鴟(トビ)の目、蛇の尾を持っている。また犰狳という名前は、この獣の鳴き声から名付けられたという(この獣が「キヨ」と鳴く事から「犰狳」という名が付いた訳である。また、この犰狳には、人間を見れば眠るという習性がある。この犰狳が現れると飛蝗害(所謂「蝗害」。バッタ類の大量発生)が起こるという(犰狳が現れるとイナゴやバッタが逃げ出す、という説もある。

出典:
幻想類書
神魔精妖名辞典
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
犰狳のデザインは、山海経の記述通り、鳥の嘴、トビの目、蛇の尾を持った兎の姿の獣に描きました。

2020年11月4日水曜日

「狍鴞」


狍鴞(ホウキョウ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の北山経に記されている怪獣。狍鴞は、北山の鈎吾山という山に生息している獣である。この狍鴞は、人間の頭と羊の体という姿をしており、口の中には虎の牙と歯が生えている。また、この獣の脚の爪は人間の爪であるという。更に、この獣の頭に目は無く、その目は脇の下にある。この狍鴞は、人間の赤ん坊が泣く様な声で鳴く。狍鴞は、人間を食べる獣である。山海経の注釈を書いた、中国六朝時代の東晋の学者、文学者である「郭璞(カクハク)」は、この狍鴞を、中国神話の怪物または悪神である「饕餮(トウテツ)」と同じものであるとしている。前漢の政治家「東方朔(トウホウサク)」の著書「神異経(シンイキョウ)」の西荒経の中に「饕餮、獣名、身は牛の如く、人面、眼は腋の下にあり人を食べる」とあり、山海経に記述がある狍鴞との類似点が見られる。その様な事から、この狍鴞は、饕餮そのもの、もしくは、饕餮の一族であるともされている。

出典:
ピクシブ百科事典
プロメテウス
幻想類書
幻想動物の事典
神魔精妖名辞典
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
狍鴞のデザインは、山海経の挿絵にある狍鴞の姿を参考にして描きました。

2020年11月3日火曜日

「獙獙」


獙獙(ヘイヘイ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の東山経に記されている怪獣。獙獙は、東山の、草木が生えておらず、金属鉱物と玉石が豊富にある姑逢山という山に生息している獣である。この獙獙は、翼を持った狐の様な姿をした獣である(一説には、獙獙は翼を持ってはいるが、この翼は非常に薄くて、獙獙は飛ぶ事は出来ない、とも言われている)。また、この獙獙は、白鳥や雁(一説には、ヒシクイ、とも)の様な声で鳴くともいう。この獙獙が現れると天下が大旱魃に見舞われるという。

出典:
幻想類書
神魔精妖名辞典
幻想動物の事典
プロメテウス
山海経動物記
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
獙獙のデザインは、山海経の記述通り、翼を生やしている狐の様な獣の姿に描きました。

2020年11月2日月曜日

「朱獳」


朱獳(シュジュ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の東山経に記されている怪獣。朱獳は、東山の、草木が生えておらず、至る所に水晶がある耿山という山に生息している獣である。この朱獳は、魚の鰭(後代の挿図によれば、魚の背鰭)を持った狐の様な姿をした獣である。また「朱獳」という名前は、この獣の鳴き声から名付けられたという(この獣が「シュジュ」と鳴く事から「朱獳」という名が付いた訳である)。この朱獳が国に現れると、その国に恐慌が起こるという(この朱獳が国に現れると、その国には国家内で恐ろしい事件が起こる、という説もある)。

出典:
神魔精妖名辞典
幻想類書
幻想動物の事典
プロメテウス
山海経動物記

作者ひとこと:
朱獳のデザインは、体に魚の鰭のある狐の様な姿の獣に描きました。

2020年11月1日日曜日

「𤜣狼」


𤜣狼(シロウ)

古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」の中山経に記されている怪獣。𤜣狼は、中山の蛇山という山に生息している獣である。𤜣狼は、長い耳と白い尾を持った狐の様な姿の獣である。この𤜣狼が国に現れると、その国は大きな戦争に見舞われるという。

出典:
幻想類書
神魔精妖名辞典
幻想動物の事典
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)

作者ひとこと:
𤜣狼のデザインは、大きくて長い耳と、大きな尻尾を持った狐の様な姿の獣に描きました。前脚には戦争で死んだ人間の頭蓋骨を持っています。