自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。

2022年10月31日月曜日

「アスタルテ」


アスタルテ

ウガリットやカナンなどの古代シリアと、その周辺地域で広く崇拝された女神。アスタルテはメソポタミアの女神である「イナンナ」「イシュタル」に相当し、「シリアの女神」と呼ばれる「アタルガティス」や、ギリシア神話の女神「アフロディテ」にも対応する。アスタルテは、「旧約聖書」では「アシュトレト」と呼ばれている。エジプト新王国時代には、アスタルテはメソポタミアのイナンナ・イシュタル同様に戦いの女神とされた。一方、カナン地域では戦争女神的な性格は後退し、もっぱら豊穣の女神とされた。ウガリットでは、アスタルテは女神「アナト」とともに主神「バアル」の配偶神であった。アスタルテの重要性はフェニキアにおいて最も際だっている。「旧約聖書」は、豊穣神としてのアシュトレト(アスタルテ)を、イスラエルの神に対する脅威としている。青銅器時代以降のイスラエルの考古学的遺物に女性土偶があるが、これらはアシュトレトの可能性がある。「士師記」はイスラエル人が「バアル」とアシュトレトに心を奪われた事を繰り返し伝えている。また、「ソロモン王」の時代以降、ソロモンがエルサレムの東に築いた祭壇において、モアブの神「ケモシュ」、古代の中東で崇拝された神「モレク」などと同様に、アシュトレトも崇拝されていた。預言者「エレミヤ」によって、その崇拝を激しく批判された「天の女王」も、アシュトレトに言及したものと考えられる。

出典:
神の文化史事典(白水社)

作者ひとこと:
アスタルテのデザインは、大きな4枚の翼を持った女神の姿に描きました。

2022年10月30日日曜日

「ヴァージャ」


ヴァージャ(ヴァージァ)

インド神話に登場する神の内の一柱。ヴァージャは工芸神である。同じ工芸神である「リブ(リブクシャン)」と「ヴィヴヴァン(ヴィプヴァン、ヴィヴァン)」とあわせて、「リブ三神(リブサンシン)」とも呼ばれる。このリブ・ヴァージャ・ヴィヴヴァンの三柱は、元は名工と言われた人間の3兄弟であったとされ、この3兄弟は神々のために様々な有用な道具、果ては神獣まで造り出して、神々に認められ、工芸神にまでなったと言われている(別の説では、リブ・ヴァージャ・ヴィヴヴァンの三柱は、小人の職人達であったとも言われている)。このリブ三神は、「インドラ」に従う神であると言う。

出典:
神様コレクション
ピクシブ百科事典(「インドの妖怪」のページ)

作者ひとこと:
ヴァージャのデザインは、手に大きな金槌を持った神の姿に描きました。

2022年10月29日土曜日

「リブ」


リブ(リブクシャン)

インド神話に登場する神の内の一柱。リブは工芸神である。同じ工芸神である「ヴァージャ(ヴァージァ)」と「ヴィヴヴァン(ヴィプヴァン、ヴィヴァン)」とあわせて、「リブ三神(リブサンシン)」とも呼ばれる。このリブ・ヴァージャ・ヴィヴヴァンの三柱は、元は名工と言われた人間の3兄弟であったとされ、この3兄弟は神々のために様々な有用な道具、果ては神獣まで造り出して、神々に認められ、工芸神にまでなったと言われている(別の説では、リブ・ヴァージャ・ヴィヴヴァンの三柱は、小人の職人達であったとも言われている)。このリブ三神は、「インドラ」に従う神であると言う。

出典:
神様コレクション
ピクシブ百科事典(「インドの妖怪」のページ)

作者ひとこと:
リブのデザインは、頭に冠を被り、手に大きな金槌を持った神の姿に描きました。

2022年10月28日金曜日

「普賢菩薩」


普賢菩薩(フゲンボサツ)

仏教の信仰対象である菩薩の内の一尊。普賢菩薩という名前の「普賢」は、「三曼多跋陀羅(サンマンタバダラ)(サンスクリット語での名前「サマンタバドラ」)」の訳で、仏の慈悲の究極を意味する。普賢菩薩は、大乗仏教の菩薩の中でも特に仏の理性を示す菩薩であり、諸菩薩の上位とされる。普賢菩薩は、「文殊菩薩(モンジュボサツ)」とともに「釈迦如来(シャカニョライ)」の脇侍としても表される。この普賢菩薩は、慈悲を司り、堅固な菩提心を持ち、また女人往生をも説いて広く信仰されている。仏教の顕教の経典には、諸経にその功徳が説かれるが、なかでも「法華経(ほけきょう)」や「華厳経(けごんきょう)」において顕著であり、重要な役割を演じる。「華厳経」「普賢行願品(ふげんぎょうがんぼん)」では、礼敬諸仏(らいきょうしょぶつ。諸仏を敬う)、称讃如来(しょうさんにょらい。如来を礼讃する)、広修供養(こうしゅくよう。広く供養を修する)、懺悔業障(さんげごつしょう。悟りを得るための障りとなる悪い行為を悔いる)、随喜功徳(ずいきくどく。功徳を随喜する)、請転法輪(しょうてんぼうりん。転法輪を請う)、請仏住世(しょうぶつじゅうせ。仏の住世を請う)、常随仏学(じょうずいぶつがく。常に仏に従って学ぶ)、恒順衆生(ごうじゅんしゅじょう。常に衆生に従う)、普皆廻向(ふかいえこう。あまねく皆が回向する)という10の広大な誓願「十大願」を発し、しかも「全てが尽きても、この願は尽きない」という大きな誓いを立てた普賢菩薩の態度を讃嘆しており、このため諸経が滅罪や成仏の功徳を説く また同経では、「善財童子(ゼンザイドウジ)」が文殊菩薩の教えに従って53人の善知識(指導者)を歴参し、最後に普賢菩薩の十大願を聞き、西方極楽浄土への往生を願った物語を記すが、これは「華厳五十五所絵巻(けごんごじゅうごしょえまき)」など絵巻の題材ともなって、よく知られている。一方、「法華経」の「普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんほつぼん)」では、「法華経」を常に読誦する行者の前に、普賢菩薩が六牙の象に乗って現れ、これを守るとある。「法華経」の「提婆達多品(だいばだったぼん)」では、8歳の竜女の成仏を記し、これによって女人往生が説かれたが、とりわけ平安時代、天台宗から派生した浄土思想の普及とともに、「法華経」の教えを勧め、持経者を守護する普賢菩薩は、そうした極楽往生を願う女人達の篤い信仰を得て、多くの像が造られた。なお、普賢菩薩の眷属には、やはり「法華経」の持経者を守護するとされる天女形の「十羅刹女(ジュウラセツニョ)(尼藍婆(ニランバ)・毘藍婆(ビランバ)・曲歯(コクシ)・華歯(ケシ)・黒歯(コクシ)・多髪(タホツ)・無厭足(ムエンソク)・持瓔珞(ジヨウラク)・皐諦(コウタイ)・奪一切衆生精気(ダツイッサイシュジョウショウケ))」が従う場合もある。密教では、普賢菩薩は、菩提心を司る尊格として「金剛薩埵(コンゴウサッタ)」と同体とされ、四菩薩の1尊として「胎蔵界曼荼羅(タイゾウカイマンダラ)」中台八葉院中に表され、また文殊院にもおかれる。「金剛界曼荼羅(コンゴウカイマンダラ)」では理趣会(りしゅえ)の十六大菩薩中におかれ、重要な役割を果たしている。なお、中国では四川省にある名山の峨眉山(がびさん)が、普賢菩薩の霊場として、仏教の聖地とされる。その中心の万年寺には、宋代に鋳造された高さ7mあまりの、白象に乗った普賢菩薩像が安置されている。普賢菩薩の像は、合掌し白象の背上の蓮華座に結跏趺坐するものが多く、まれに蓮華や如意、経典などを持つ場合も見られる。とくに「法華経」の信仰が高まった平安時代以降の制作になる作例が多い。遺例では、東京・大倉文化財団像が、平安後期にさかのぼる繊細・優雅な作風を伝える名作で、岐阜・願興寺には、鎌倉時代に釈迦如来・文殊菩薩とともに造られた三尊像がある。滋賀・宝厳寺には普賢十羅刹女の画像がある。また密教系の普賢菩薩の造像では、左手に剣を立てた蓮茎をとるか、あるいは左手に五鈷鈴、右手に金剛杵を持つ例が見られる。さらに、普賢菩薩の持つ延命の徳を密教的展開ののなかで発展させ、息災延命を修める普賢延命法の本尊として迎えるのが、「普賢延命菩薩(フゲンエンメイボサツ)」である。その像の形は、2臂像では右手に五鈷杵、左手に金剛鈴を持ち、鼻に独鈷杵を巻く1身3頭6牙の白象に乗る。また20臂像もあり、4頭の象の上の蓮台に坐す。

出典:
エソテリカ事典シリーズ(1)仏尊の事典(学研)

作者ひとこと:
普賢菩薩のデザインは、合掌した菩薩の姿に描きました。

2022年10月27日木曜日

「クマルビ」


クマルビ

北メソポタミア、及びその東西の地域に居住していたフリ人の神話に登場する神の内の一柱。クマルビは主要な神で、「神々の父」とも呼ばれた。ヒッタイトではシュメール・アッカドの最高神「エンリル」や穀物神「ハルキ」などとしばしば同一視され、シリアでは、ウガリットの最高神「エル」や「ダガン」に対応すると見なされた。またクマルビは、天上の神々の世界を追われた「古の神」として冥界とも関わりを持っていた。天上界の王権をめぐる、天候神「テシュブ」との争いを主題とするフリ人系の神話群がある。神話群の冒頭の「クマルビの歌」では「アラル」「アヌ」、そしてクマルビへと続く神々の王統の交代が語られる。アヌは、天空神アラルから玉座を奪い取り、一度は反撃を受けたものの、後に復讐を遂げて、アヌは王権を簒奪した。王権を簒奪して神々の王となったアヌには、クマルビが臣下として仕えていた。しかしクマルビは野心家であり、とうとう、ある時クマルビはアヌを討ち破り、アヌから王権を簒奪した(遠い昔、天上ではアラルという神が統治していた。十年目に、アラルに仕えていた大臣アヌは反乱を起こして王位についた。王位に就いたアヌにはクマルビが大臣になって仕えた。九年目に、今度はクマルビが反乱を起こした、とも言われている)。アヌから王権を簒奪したクマルビは、アヌが子を残さぬようアヌの男根を食いちぎり飲み込んでしまう。勝ち誇るクマルビに、アヌは「お前は3つの子種を宿した」と告げる。これを聞いたクマルビは、慌てて吐き出したが、どうしても1つだけ吐き出す事が出来なかった。その子種がテシュブだ。クマルビは図らずも最大のライバルである天候神テシュブを自らの体内に宿してしまったのである(アヌは逃げ出したが、クマルビは追い掛けてアヌの男根に噛みついた。アヌの精子がクマルビの体内に入ると、アヌはクマルビに「お前は体内に三柱の恐るべき神々の精子を吞みこんだのだ。お前はそれによって破滅するだろう」と言った。クマルビはすぐそれを吐き出そうとし、二柱の神が吐き出されて神々の住まいであるガンズラ山へ落ちていった、しかし残った一柱・テシュブはクマルビの体内で育った、とも言われている)。文章の保存状態が悪く、その後の展開については不明な点が多いが、クマルビは、自らの体内から生まれた天候神テシュブと熾烈な戦いを演じた末、敗れ、神々の王の座を奪われたと考えられている(クマルビから知恵を吸収し完璧な形で生まれる事を望んだテシュブは、知恵の神「エンキ」の帝王切開により、クマルビから成人の姿で誕生した。その後、アヌからクマルビの非道を聞いたテシュブは、父であるクマルビに戦いを挑んで勝利し、テシュブはアヌの後継者となった、という説もある)。アラル→アヌ→クマルビ→テシュブという神々の王の交代は、ヘシオドス「神統記」のウラノス→クロノス→ゼウスというギリシアの系譜と顕著な類似を示しており、早くからギリシア神話との影響関係が注目された。クマルビは、神々の王の座をテシュブに奪われたが、しかしクマルビは、その後も執念深く王座を狙い続け、クマルビのテシュブに対する王座奪還の戦いは、クマルビの意をうけた、クマルビの子供達に引き継がれる。クマルビの子供達とテシュブとの戦いを扱ったものには「ランマ神の歌」「銀の歌」「ヘダンム(竜神)の歌」「ウリクンミの歌」が知られている。ボアズキョイ近郊のヤズルカヤ(ヒッタイト時代の岩の聖所)の男神の浮彫り像の先頭(天候神テシュブ)から三番目の植物(麦穂?)を手にしている男神像はクマルビを表わしたものと考えられている。

出典:
神の文化史事典(白水社)
世界の神話伝説・総解説(自由国民社)
ゼロからわかるメソポタミア神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
クマルビのデザインは、四本腕を持った神の姿に描きました。手には短剣や食い千切った男根などを持っています。

2022年10月26日水曜日

「月光菩薩」


月光菩薩(ガッコウボサツ)

仏教の信仰対象である菩薩の内の一尊。月光菩薩は、サンスクリット語での名前を「チャンドラプラバ」という。月光菩薩は、「日光菩薩(ニッコウボサツ)」と共に「薬師如来(ヤクシニョライ)」の脇侍をつとめ、日光菩薩と月光菩薩は、薬師如来の両脇を固めている。この月光菩薩は、月の清涼な光と力で、熱による苦しみを取り除くとされる菩薩である。月光菩薩は日光菩薩とともに薬師如来に随侍し、夜間、信仰者を守護する。月光菩薩は、薬師如来の右側(向かって左側)が定位置。月光菩薩は、手には月輪、もしくは蓮華茎(れんげけい)に乗せた月輪を持つ。月光菩薩の外見は日光菩薩と非常に似た形であるため、持物か、もしくは持物がない場合は並びの位置で区別する。この月光菩薩は、日光菩薩と同じく、「薬師経疏(やくしぎょうしょ)」には、薬師如来の息子「月照(ガッショウ)」と記されている。修行者時代の薬師如来が重病の人々を救うという大悲願を発した後、月照は、その父に次いで菩薩になったという。日光菩薩と月光菩薩は、それぞれ「日光遍照(ニッコウヘンジョウ)」「月光遍照(ガッコウヘンジョウ)」ともいう。「薬師如来本願経(やくしにょらいほんがんきょう)」では、日光菩薩は、1000の光明を発して天下をあまねく照らして、生死や諸苦の闇を消滅させ、月光菩薩は月の光の象徴として、両菩薩ともに薬師如来の薬師瑠璃光浄土(やくしるりこうじょうど)に住し、如来の説く正しい教えを守る役目を担うとされる。したがって一般的には、病を癒すとされる薬師如来の脇侍として登場し、薬師三尊を構成する事で知られるが、単独で造像される事はほとんどない。その姿は、日光菩薩が右手を上げて左手を下げる場合は、月光菩薩が左手を上げるという様に、対称的な姿に造られ、それぞれ上げた手(または両手)の親指と人差し指で輪をつくる事が多い。また宝冠に日・月を示す日輪・月輪という標識を付け、手に日輪・月輪のある蓮華を持つ事もある。作例では、奈良・薬師寺金堂の銅造薬師三尊像の両脇侍立像が特によく知られる。また奈良・東大寺法華堂の塑像は、両手を胸前で合わせる姿の像で、当初から日光・月光菩薩として表されたかは定かでないが、清楚で穏やかな姿は、とりわけ知られた名像である。この他、平安時代の京都・醍醐寺像、奈良・法隆寺大講堂の木彫像は、やはり薬師三尊を構成する脇侍の遺例として重要である。

出典:
エソテリカ事典シリーズ(1)
仏尊の事典(学研)
仏教画伝極彩色で蘇った一〇八の仏尊(GB)

作者ひとこと:
月光菩薩のデザインは、三日月の上に乗り、手に月輪を持った姿の菩薩に描きました。

2022年10月25日火曜日

「日光菩薩」


日光菩薩(ニッコウボサツ)

仏教の信仰対象である菩薩の内の一尊。日光菩薩は、サンスクリット語での名前を「スーリヤプラバ」という。日光菩薩は、「月光菩薩(ガッコウボサツ)」と共に「薬師如来(ヤクシニョライ)」の脇侍をつとめ、日光菩薩と月光菩薩は、薬師如来の両脇を固めている。この日光菩薩は、強烈な日の光と力で、あらゆる病気の根源を焼き尽くし、人々を救うとされる菩薩である。日光菩薩は、薬師如来の脇侍として、昼間、信仰者を守護する。「薬師経疏(やくしぎょうしょ)」には、修行者時代の薬師如来が重病の人々を救うという大悲願を発し、医王の号を与えられた際、その薬師如来の子供である「日照(ニッショウ)」が、父に次いで菩薩になったとある。日光菩薩は、薬師如来の左側(向かって右側)に位置し、日輪、もしくは蓮華茎(れんげけい)上に乗せた日輪を持つ。持物を持たない場合は、薬師如来のどちら側に位置するかで、その尊名を知る事になる。日光菩薩と月光菩薩は、それぞれ「日光遍照(ニッコウヘンジョウ)」「月光遍照(ガッコウヘンジョウ)」ともいう。「薬師如来本願経(やくしにょらいほんがんきょう)」では、日光菩薩は、1000の光明を発して天下をあまねく照らして、生死や諸苦の闇を消滅させ、月光菩薩は月の光の象徴として、両菩薩ともに薬師如来の薬師瑠璃光浄土(やくしるりこうじょうど)に住し、如来の説く正しい教えを守る役目を担うとされる。したがって一般的には、病を癒すとされる薬師如来の脇侍として登場し、薬師三尊を構成する事で知られるが、単独で造像される事はほとんどない。その姿は、日光菩薩が右手を上げて左手を下げる場合は、月光菩薩が左手を上げるという様に、対称的な姿に造られ、それぞれ上げた手(または両手)の親指と人差し指で輪をつくる事が多い。また宝冠に日・月を示す日輪・月輪という標識を付け、手に日輪・月輪のある蓮華を持つ事もある。作例では、奈良・薬師寺金堂の銅造薬師三尊像の両脇侍立像が特によく知られる。また奈良・東大寺法華堂の塑像は、両手を胸前で合わせる姿の像で、当初から日光・月光菩薩として表されたかは定かでないが、清楚で穏やかな姿は、とりわけ知られた名像である。この他、平安時代の京都・醍醐寺像、奈良・法隆寺大講堂の木彫像は、やはり薬師三尊を構成する脇侍の遺例として重要である。

出典:
エソテリカ事典シリーズ(1)仏尊の事典(学研)
仏教画伝極彩色で蘇った一〇八の仏尊(GB)

作者ひとこと:
日光菩薩のデザインは、太陽の上に乗り、手に日輪を持った姿の菩薩に描きました。

2022年10月24日月曜日

「降三世明王」


降三世明王(ゴウザンゼミョウオウ)

密教における尊格である明王の内の一体。降三世明王は、サンスクリット語での名前を「トライローキャヴィジャヤ」と言い、原義は「三つの世界(過去・現在・未来の三世と貪・瞋・痴の三つの煩悩)を降伏するもの」という意味である。ゆえに尊名を「降三世」、あるいは「勝三世(ショウサンゼ)」と訳す。また、降三世明王のサンスクリット語名を「トライローキャ・ヴァジュラ」とも言い、「トライローキャ」は「三界(さんがい)・三世(さんぜ)・三毒(さんどく)」、「ヴァジュラ」は「堅固な力で降伏する」という意味をもつ。「三界」とは、「欲界(よくかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)(仏教におけるこの世界のすべて)」の事、「三世」とは、「過去・現在・未来」の三つの世界、「三毒」とは、最も克服すべきとされる三つの煩悩「貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚癡(ぐち)」の事を指す。つまり降三世明王は、いつでもどこでも、人々の煩悩を打ち砕き、救済する明王なのである。降三世明王の像の形は、1面2臂像、1面4臂像、3面8臂像、4面8臂像などが諸々の経典儀軌に説かれる。一般には、「降三世成就極深密門(ごうざんぜ じょうじゅごくじんみつもん)」にもとづいて、正面を3目とする3面8臂の立像で、胸前において左右第1手で降三世印を結び、他手には戟・弓・金剛索・金剛杵・箭(矢)・剣を持ち、足下には外教の最高神「大自在天(ダイジザイテン・シヴァ)」とその妃「烏摩(ウマ・ウマー)」を踏まえる姿が多い。なお、例外として1面2臂の坐像として表される場合があり、「現図胎蔵界曼荼羅(げんずたいぞうかいまんだら)」持明院のなかに、あるいは、9世紀後半に円珍(えんちん)が中国・唐より持ち帰った「尊勝曼荼羅(そんしょうまんだら)」のなかに見る事ができる。後者を彫刻で表したものに大阪・金剛寺木像(鎌倉時代)がある。降三世明王は五大明王の一角を担い、五大明王の中では東方に位置する明王である。密教では、この降三世明王の真言を用いて、悪人調伏や障礙を除く修法が知られている。また、この降三世明王は「阿閦如来(アシュクニョライ)」の「教令輪身(きょうりょうりんじん)(教えを実行するために変えた姿)」であるとされる。また別の説では、降三世明王は「大日如来(ダイニチニョライ)」の教令輪身とも、「金剛薩埵(コンゴウサッタ)」の教令輪身ともされている。降三世明王は、インド神話に登場する「シュンバ」と「ニシュンバ」というアスラ族の兄弟が仏教に取り込まれたものであると言われている。インド神話によればシュンバ・ニシュンバは暴虐の限りを尽くし神々を圧倒したものの、「シヴァ」、或いはシヴァの配偶神である「カーリー」に殺されたとされている。仏教では仏法に帰依しない大自在天と烏摩に対して、金剛薩埵が「オン ソンバニソンバ…」で始まる真言を唱え、「阿修羅(アシュラ)」の姿、つまり降三世明王になって、大自在天と烏摩の二人を踏みつけ降伏させたとされる。シュンバとニシュンバは「孫婆菩薩(ソンバボサツ)」と「爾孫婆菩薩(ニソンバボサツ)」の名前でも密教に取り入れられている。

出典:
神魔精妖名辞典
東洋神名事典(新紀元社)
エソテリカ事典シリーズ(1)仏尊の事典(学研)
仏教画伝極彩色で蘇った一〇八の仏尊(GB)

作者ひとこと:
降三世明王のデザインは、三つの頭を持ち、八本の腕にそれぞれ武器を持っている明王の姿に描きました。

2022年10月23日日曜日

「ガンガー」


ガンガー

インド神話に登場する神の内の1柱。ガンガーはガンジス河の女神である。ガンガーという名前は「速く行くもの」という意味である。「リグ・ヴェーダ」では、サラスヴァティー河の女神などと比べてそれほど重要視されていないが、アーリア人がガンジス河中流域に徐々に進出すると、神聖な河として信仰されるようになる。叙事詩によると、かつては「ヴィシュヌ」神の足の指先から出て、天界を流れる河であった。アヨーディヤーの王であった「サガラ」は「馬祀祭(アシュヴァメーダ)」を行った際、逃げた馬を追って六万の息子達を地底界へ赴かせた。しかしそこで修行していた「カピラ仙」の怒りを買い、息子達は灰となって死んでしまう。彼らの霊を天界に生まれ変わらせるために、サガラ王の子孫である「バギーラタ」王はガンガーに地上に降下するよう請う。しかしガンガーが降下する時の衝撃があまりにも大きいので、バギーラタは「シヴァ」に、その頭で、女神ガンガーを受け止めるよう頼んだ。シヴァは承知し、ヒマーラヤに行き、天から飛び降りたガンガーを髪を広げて受け止めた。こうしてガンガーの水は、サガラの六万の息子達の霊を清め、「アガスティヤ仙」に飲み干された海を再び満たしたとされる。また、「ラーマーヤナ」によれば、ガンガーは山の王「ヒマーラヤ」の長女で、次女はシヴァの妃となった「ウマー」である。ガンガーは苦行のため蓄えられたシヴァの精液を受け止め、軍神「スカンダ」を産んだとされる。また、ガンガー自身もシヴァの妻であるともされる。叙事詩の頃には、ガンガーは、神の怒りに触れて人間に転生してしまった「天人」を天へと返す役割を担った女神としても描かれている。神話によると、元々ガンジス河は地上の河ではなかった。「ヴィシュヌ」の指先を流れて天界を潤す「空の河」であったという。しかしある時、コーサラ国王サガラの六万の息子達が殺されるという事件が起きた。その六万の息子達の遺骨を慰めるためには、聖なる河で清めるしかない。そこで、この「空の河」を地上に流すという壮大な計画が持ち上がった。しかし、河をそのまま流し込んでは地上が壊れてしまうので、シヴァが髪の毛で河の流れを受け止め、地上に河を流す手伝いをしたという。その際、ガンガーは「この様に激しい河の流れを、髪で受け止めきれるはずがない」とシヴァの力を見くびった為、シヴァは怒り、ガンガーを髪の中に閉じ込めて数年もの間、監禁し続けたという。こうして河は無事に地上へと降り、天の河から地上の河に変貌した。今でも河の支流ごとに聖地が設けられているそうだ。ガンガー(ガンガー・マーイー)は、ガンジス河の女神である。ガンガーは、ヒマラヤ山脈を擬人化した神「ヒマヴァット」の娘。妹は、シヴァの妃「パールヴァティー」である。ガンガーは鰐を乗り物とする。「マハーバーラタ」に以下のような話がある。「サンタヌ王子」がガンガ河に狩りに出かけた時、美しい女性を見つけて恋をした。だが、彼女は、一緒に住んでも彼女の行為について、その理由を決して問わない事をサンタヌ王子に誓わせた やがて二人の間には七人の子供ができたが、子を生むと彼女は、その生まれた子供をガンガ河に投げ込む。しかし、サンタヌ王子は約束を守って、その行為の理由を問わなかったが、八番目の子が生まれた時、さすがに理由を彼女に聞いてしまった。すると彼女は、自分はガンガ河の化身であって、子供達は河に投げ込まれる事で、人間界から解脱する事が出来たのだと言う。そう答えると、約束を破った夫の元から姿を消した。

出典:
神の文化史事典(白水社)
東洋神名事典(新紀元社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ガンガーのデザインは、四本の腕を持った女神の姿に描きました。

2022年10月22日土曜日

「文殊菩薩」


文殊菩薩(モンジュボサツ)

仏教の信仰対象である菩薩の内の一尊。文殊菩薩という名前の「文殊」は、「文殊師利(モンジュシリ)(サンスクリット語での名前・マンジュシュリー)」の略で、この文殊菩薩は、インドで生まれた実在の人物とも言われ、「普賢菩薩(フゲンボサツ)」と共に諸菩薩の中でも特に重要な尊格である。文殊菩薩は普賢菩薩と共に「釈迦如来(シャカニョライ)」の脇侍として表され、「釈迦三尊」を構成する。その他、「知恵の文殊」や「三人寄れば文殊の知恵」とも言われるように、諸仏の知恵を象徴する菩薩としても著名で、学問成就や受験成就を願う学生が願かけを行う事でも知られている。文殊菩薩に関する様々な説話も諸経典に伝えられており、「維摩経(ゆいまきょう)」には、論客として知られた「維摩居士(ユイマコジ)」が、病床にあって釈迦の説法場に参集できなかったため、釈迦が見舞いに行くように仏弟子達に命じたところ、維摩居士との論戦を恐れて誰も行きたがらない。そこで釈迦の名代として文殊菩薩が訪ねて、仏法について維摩居士と論戦を交えた事が伝えられる。また「旧華厳経(きゅうけごんきょう)」に、文殊菩薩の住所を「東北方の清涼山(せいりょうざん)」と説くため、中国では北魏時代(386~534)から山西省五台山(ごだいさん)が文殊の聖地・清涼山に比定されて信仰を集め、やがてその信仰は「円仁(えんにん)」によって日本にもたらされた。獅子に乗る文殊菩薩に、先導する善財童子(ゼンザイドウジ)と獅子の手綱をとる「優塡王(ウデンオウ)」、これに「仏陀波利三蔵(ブッダハリサンゾウ)」と「最勝老人(サイショウロウジン)」が従う文殊五尊の形式は、特に「五台山文殊」と呼ばれる。更に発展して、雲に乗って海を渡り五台山に向かう「渡海文殊」も成立した。とりわけ天台宗を中心に五台山信仰は盛んとなった。また「法華経(ほけきょう)」の「提婆達多品(だいばだったぼん)」では、竜王の8歳の娘が、文殊菩薩の導きで男身となり、成仏したと説かれる。一方、唐時代には、文殊菩薩が知恵と戒律の師としても大いに尊敬を受け、これが僧侶の日常生活の手本として僧形(そうぎょう)で表された。これを「僧形(聖僧)文殊」と言い、寺内の食堂(じきどう)の本尊とされる事が多い。また、鎌倉時代には、戒律を復興し釈迦信仰の重要性を叫んだ叡尊(えいそん)や忍性(にんしょう)らによって重んじられ、貧しい者の為に宿を設け、そこに彫像や画像の文殊菩薩が祀られた。更に、文殊菩薩の知恵は童子の様に純粋無垢で執着のない事から、童子の姿で表す事も多く、近世にはまったくの子供の姿をした「稚児文殊」なども制作された。なお、「日本三文殊」として奈良・桜井の安倍文殊院、京都・天橋立の切戸の文殊(知恩寺)、京都・東山の黒谷(金戒光明寺)文殊堂の本尊が知られる。一般によく知られている文殊菩薩像の形は、その知恵の威力を象徴するため、獅子の背上に乗り、蓮華座に坐すことで、頭に五髻(ごけい。5つの髻)を結い、右手に知恵の象徴である剣をとる姿であるが、梵篋(ぼんきょう。経巻を納めた箱、または椰子の葉に書かれた経典)、金剛杵を立てた蓮台などを持つ事もある。更に、頭の髻の結び数には、5髻の他1髻・6髻・8髻の文殊があり、それぞれの真言の字数により一字・五字・六字・八字文殊と称するが、一字文殊は増益、五字文殊は敬愛、六字文殊は調伏、八字文殊は息災など修法の本尊として迎えられる。文殊菩薩に従う眷属には、先述の「五台山文殊」の場合の善財童子・優塡王・仏陀波利三蔵・最勝老人と、また「八大童子」として「光網童子(コウモウドウジ)(光網菩薩)」「宝冠童子(ホウカンドウジ)(宝冠菩薩)」「無垢光童子(ムクコウドウジ)(無垢光菩薩)」「髻設尼童子(ケシニドウジ)(髻設)」「烏波髻設尼童子(ウバケシニドウジ)」「質多羅童子(シッタラドウジ)」「地慧幢(チエトウドウジ)」「請召童子(ショウジョウドウジ)」を挙げる事がある。文殊菩薩の遺例としては、奈良・法隆寺五重塔の初層内に維摩居士と文殊菩薩の問答の場面を塑像の群像で表したものが、奈良時代の古例。奈良・興福寺の東金堂にも、鎌倉時代の仏師・定慶(じょうけい)作の維摩居士・文殊菩薩像がある。五尊像としての造像は、平安時代の高知・竹林寺像、鎌倉時代の仏師・快慶(かいけい)作の奈良・安倍文殊院像などがある。

出典:
エソテリカ事典シリーズ(1)仏尊の事典(学研)

作者ひとこと:
文殊菩薩のデザインは、手に剣と蓮華を持った菩薩の姿に描きました。

2022年10月21日金曜日

「ルドラ」


ルドラ

インド神話に登場する神の内の1柱。ルドラは暴風を司る神である。このルドラは、赤褐色で屈強な体をもち、黄金の光を放ちながら、雄豚に乗る姿で描かれる。このルドラは破壊、暴風を象徴する神と言われているが、ただ破壊するだけではなく恵みをもたらすという面も併せ持っている。ルドラは、破壊行動を起こして、時には人々の命を奪う一方、薬を用いて人々の病を治療する素晴らしい薬師でもあった。この事から、破壊の暴風を巻き起こしながらも、同時に恵みの雨を降らせて湿潤な気候をもたらし作物を育てる、東南アジアの季節風モンスーンを神格化したものだと言われている。このルドラは、ヴェーダ時代(バラモン教)の神で「アスラ」に属する神であるという。ルドラの出生には複数の説がある。一説では、創造神「プラジャーパティ」を父、暁の女神「ウシャス」を母とすると言われているが、「プラーナ文献」によると創造神「ブラフマー」から生まれたとされる。ブラフマーは4神を創造したが、彼らは消極的で子孫を残そうとしなかった。そんな様子に立腹したブラフマーが怒りの炎に包まれて真っ赤になったその時、怒るブラフマーの強い思念から、太陽の様に強く光り輝くルドラが生まれた。また、別の物語によると、ブラフマーが自分の子を望んでいたところ、ブラフマーの膝上に青い顔色の子供が出現した。この子供は名前を欲しがって大声で叫んでいたので、ブラフマーは「ルドラ(叫ぶ、ほえるもの)」と名付けた。また、このルドラは、破壊神「シヴァ」の原型であると考えられている。「プラーナ文献」の中には、シヴァがルドラの事を自身の化身であると発言している記述がみられる。シヴァには「踊りの王」であるという一面があるが、ルドラも同じ様に歌や踊りの王とされている。ルドラは「リグ・ヴェーダ」に登場する暴風神である。ルドラの身体は赤褐色で、その身体を黄金の飾りで装い、手に持つ弓矢で敵を屠る。また時に、雷を象徴する「金剛杵」を持つ事もある。ルドラは、暴風雨神群「マルト」達の父でもある。一般にルドラは、破壊と恐怖の神とされるが、その一方で病を治療する神でもあり、ルドラの医薬によって百歳の長寿に達する事が祈願された。「リグ・ヴェーダ」においてはそれほど重要な神ではないが、後世シヴァとしてヒンドゥー教の主神となった。「ヴィシュヌ・プラーナ」によると、ルドラはブラフマーの怒りから生まれた。荒れ狂うルドラの体の半分は男性で、半分は女性であった。ルドラは自分自身を男と女に分け、更にそれらを十一に分割した。

出典:
神の文化史事典(白水社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ルドラのデザインは、四本の腕にそれぞれ、弓矢、金剛杵、三叉槍を持った鬼神の姿に描きました。

2022年10月20日木曜日

「カルキ」


カルキ

インド神話に登場する神の内の1柱。カルキは「ヴィシュヌ」の化身(アヴァターラ)の内の1体である。宇宙維持の神であるヴィシュヌは、世の中が乱れて危機が訪れるたびに、様々に姿を変えて天下り、危機を解決する。ヴィシュヌの第十の化身にして最後の化身が、このカルキである。第十の化身である、白馬に跨がった騎士のカルキは、まだ現れていない。人類が堕落しきった時、悪を滅ぼして正義を復活させるべく現れるのだと言われている。神話によると、末法の世には、人々はあらゆる非法を行うようになる。しかも、これは年とともに酷くなっていく。やがて人間が堕落しきった世界の終わりが来ると、ヴィシュヌはカルキとして天下り、悪人達を皆殺しにする。この時、世界そのものが揺れ動き、破滅するともいう。いずれにせよ、カルキはこうして悪と不道徳と不法を滅ぼし尽くし、この世に「ダルマ(法)」を取り戻すのである。なお、なにしろカルキは「未だきたらざるもの」だけに、このカルキの姿形は定かではない。白馬に跨がった騎士、もしくは、馬頭の人間の姿で描かれる事が最も多い。カルキは、かつて預言され、未だ姿を見せない、ヴィシュヌの十番目の化身にして、最後の化身である。カルキという名前は「時間」「永遠」もしくは「汚物を破壊する者」を意味している。インド神話の宇宙の循環において、宇宙消滅の年期「カリ・ユガ」にカルキは登場する。このカルキは、預言の英雄であり、今より遠い未来に出現し、宇宙に跋扈するあらゆる悪(不徳・アダルマ・蛮族)を滅して善(法・ダルマ)を再構築する事で、新たな黄金時代「クリタ・ユガ」の到来を促す救世主であるとされる。このカルキの師匠は、同じヴィシュヌの化身である「パラシュラーマ」である。またカルキは、チベット仏教などに伝わる「シャンバラ」の支配者であるとされ、チベット仏教においては22人のカルキの称号を持つ王が存在していたとも言われている。インド神話でも、カルキの生まれ故郷はシャンバラであるとされているという。

出典:
ピクシブ百科事典
東洋神名事典(新紀元社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
カルキのデザインは、鎧に身を包み、刀を手にした勇猛な英雄の様な姿の神に描きました。

2022年10月19日水曜日

「ラートリー」


ラートリー

インド神話に登場する神の内の1柱。ラートリーは夜を司る女神で、ラートリーという名前も「夜」の意味である。ラートリーは、天空神「ディヤウス」の娘であり、また、曙の女神「ウシャス」の姉である。このラートリーは、星をちりばめた美しい女神とされる。人々は狼や盗人など夜の危害からの安全をこのラートリーに祈った。ラートリーは、夜空の星々を目として地上のあらゆる場所を監視しており、妹のウシャスと交代して暗闇を遠ざけて帰路につく者達を守護し、狼や盗賊達を遠ざけてくれるとされている。インド・ヨーロッパ語族の共通神話では、曙のウシャスは太陽の養母であり、毎朝新たに生まれる太陽に自らの乳房から乳を与えて養う。この太陽の実の母はラートリーで、ラートリーは太陽を生むと同時に夜の存続が不可能となるので、すぐに姿を消さねばならない。そこで生まれたばかりの太陽を、ウシャスが姉の手から受け取り、養母として惜しみなく慈愛を注ぎ養育するという。ウシャスは偉大なものにも貧しいものにも、あらゆるものに富と光をもたらし、全てに幸せを与える。慈しみ深く美しいウシャスは、人間の友として民衆に最も人気のある女神でもあった。ウシャスの姉には夜の女神ラートリーがいるが、ラートリーもまた、全てのものに安息を与える役割を持っているとされる。ラートリーとウシャスの二柱は、合わせて讃えられる事が多い。

出典:
ピクシブ百科事典
神の文化史事典(白水社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ラートリーのデザインは、分離した四本腕を持った女神の姿に描きました。四つの腕には星を持ち、頭には三日月を模した冠を被っています。

2022年10月18日火曜日

「ヴァーマナ」


ヴァーマナ

インド神話に登場する神の内の1柱。ヴァーマナは「ヴィシュヌ」の化身(アヴァターラ)の内の1体である。宇宙維持の神であるヴィシュヌは、世の中が乱れて危機が訪れるたびに、様々に姿を変えて天下り、危機を解決する。ヴィシュヌの第五の化身が「小人の化身」ヴァーマナである。ヴァーマナは矮人、つまり小人の姿だが、妖精の様な手のひらサイズではなく、小柄な人間の少年と同じくらいの大きさである。このヴァーマナの神話は聖典「リグ・ヴェーダ」の「ヴィシュヌは全世界を三歩で歩く」という讃歌をベースにしており、「バーガヴァタ・プラーナ」などに登場する。その神話によると、「ダイティヤ」と呼ばれる巨人族の王「バリ」は、苦行によって神々を超える力を得て、天界・地上・地下の三界を支配した。この時、無垢の女神「アディティ」が神々の救済をヴィシュヌに願うと、ヴィシュヌはアディティの息子の少年僧ヴァーマナに化身してバリを訪ねた。僧の来訪を喜んだバリが「望みのものをなんでも与える」と言うとヴァーマナは「自分が三歩で歩けるだけの場所がほしい」と望んだ。小柄なヴァーマナに油断していたバリが、この望みを承諾すると、ヴァーマナは途端に巨大化。一歩目で地上を、二歩目で天界を踏み越えた。三歩目については諸説あり、三歩目は許してバリを地下に追放したとも、三歩目でバリを踏み潰したとも伝わっている。または、ある時、強力で賢明な悪魔バリが神々の長である「インドラ」の都を占領し、世界を我が物とした。そこでヴィシュヌは小人のヴァーマナの姿となってバリのもとを訪れ、「私が三歩で歩けるだけの土地をください」とバリに懇願した。バリは笑って、この懇願を承知するや、ヴァーマナは本来の巨大なヴィシュヌの姿を現した。何しろヴィシュヌと言えば、ヴェーダの昔から「三界を三歩で闊歩する」と言われた神である。ヴィシュヌは二歩歩くだけで世界を歩き尽くしてしまい、「さて、三歩目をどうしよう」と笑って言った。バリは跪いて自分の額を差し出し、その三歩目を受け止めた。そこでヴィシュヌもその神妙な行いを称えて、バリの王国までは取り上げなかったとも伝わる。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
ゼロからわかるインド神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ヴァーマナのデザインは、背中に光背を持った小人の姿に描きました。

2022年10月17日月曜日

「ナイェネズガニ」


ナイェネズガニ(ナヘナッツァーニ)

アメリカ合衆国の南西部に住むネイティブアメリカン、ナバホ族の神話に登場する双子の戦神ないし英雄の内の一人。双子の内のもう一人は「トバディシュティニ」。ナイェネズガニという名前は「異端の神々の殺害者」という意味である。このナイェネズガニとトバディシュティニの双子は、女神「エスツァナットレーヒ」が裸身を水と太陽に晒す事で生まれた。ナバホ族の始祖達が出現した時、大地は怪物だらけであった。双子であるナイェネズガニとトバディシュティニの祖母「ナ・アシュ・ジェイ・アスダァア」は二人に力を授け、父親である太陽を探し出し、その太陽に助けを求めるようにと頼んだ。その後、父親である太陽を見つけた、トバディシュティニとナイェネズガニの二人は、父親である太陽から、怪物を退治する方法を教わり、その後、怪物達を退治する事が出来たという。双子であるナイェネズガニとトバディシュティニの内、ナイェネズガニは光の属性を持つ戦いの神、トバディシュティニは闇の属性を持つ水の神であったとも言われている。

出典:
神魔精妖名辞典
神様コレクション
アリアドネの意図

作者ひとこと:
ナイェネズガニのデザインは、怪物達を退治する為の刀と槍を持って武装した英雄神の姿に描きました。

2022年10月16日日曜日

「延維」


延維(エンイ)<委蛇(イイ)>

中国神話に登場する神の内の1柱。延維は「山海経(海内経)」や「荘子(達生篇)」などに登場する。延維は、人間の頭を二つ持ち蛇の身体という、双頭の人首蛇身の姿の神である。その身体の長さは「轅(ながえ)(馬車を引くための2本の棒)」程もあり、その身体は紫色で、頭は赤色(紅色)である。延維は、雷の音を特に苦手としていて、雷が鳴ると、延維は鎌首をもたげる。もしこの延維の姿を見た者が、その後に死せずにいれば、その者は天下に覇を唱える事が出来ると言われている。「荘子」には「斉の桓公(かんこう)が委蛇を見た。その後、桓公は春秋五覇の一人になった」とある。

出典:
ピクシブ百科事典
珍奇ノート

作者ひとこと:
延維のデザインは、頭に冠を被り、衣を身に纏った、双頭の人首蛇身の神の姿に描きました。

2022年10月15日土曜日

「ガ・オー」


ガ・オー


アメリカの先住民族であるイロコイ族の神話に登場する風の精霊、または巨人。ガ・オーは、とてつもなく大きな体を持ち、自由自在に風を操る力を持っている。ガ・オーは風を自由自在に操り東西南北どこへでも風を吹かせた。このガ・オーは、景観をめちゃくちゃにし草木をなぎ倒す暴力的で凶暴な人食い怪物とされる一方、慈愛に満ちた穏やかな精霊であるとも言われている。ガ・オーは、南風の「オ・ヤン・ド・ネ」、東風の「ネ・ア・ゴ」、北風の「ヤ・オ・ガー」、西風の「ダジョジ」という四方位の風の精霊を支配している。セネカ族の信仰によれば、風を司るのはガ・オーという名の人間に好意的な善霊で、ガ・オーの住居の入口には熊の形をした北風のヤ・オ・ガー、ピューマの形をした西風ダジョジ、ヘラジカの形をした東風オ・ヤン・ド・ネ、子鹿の形をした南風ネ・ア・ゴが閉じ込められており、これらの風達を支配する事によって、ガ・オーは季節の変化も司る事になっている。この風の精霊であるガ・オーは、他の風の精霊の活動を支えるとも言われている。ガ・オーは戦士の姿をした巨人としても描かれる。ガ・オーは、奔放に吹き荒れる四方の風を統べたと言われる。ガ・オーは、西の空の棲家から呼びかけ、熊に北風を、豹に西風を、箆鹿に東風を、小鹿に南風を制御させ、全ての風を支配する。ガ・オーは、穏やかで善良な風の精霊とされる一方、風を巻き起こし世界を破壊する荒神だとも言われている。

出典:
コトバンク
神魔精妖名辞典
神様コレクション
幻想世界事典
世界の怪物・神獣事典(原書房)

作者ひとこと:
ガ・オーのデザインは、首もとに雲を巻き付けた、巨人姿の風の精霊に描きました。

2022年10月14日金曜日

「イオスケハ」


イオスケハ<ティジャスケハ、ツェンツァ>


作者ひとこと:
イオスケハのデザインは、大きな鹿の角を持った神の姿に描きました。

2022年10月13日木曜日

「イクータユーカ」


イクータユーカ<イクータユーク>


カナダ北部一帯やアラスカ州、グリーンランドに居住する民族であるイヌイット(カナダのハドソン湾東部に住むイヌイットの伝承に登場するとも)に伝わる怪物。イクータユーカという名前は「穴を開けるもの」を意味している。イクータユーカは、同じく怪物である弟とともに、自分達の縄張りに入って来た人間を一人残らず捕まえる。この怪物の兄弟は、犠牲者を捕らえると押さえつけ、うつ伏せに寝かして死ぬまで体に穴を開け続けるという拷問の様な仕打ちをする。こうして犠牲者がイクータユーカに殺されると、イクータユーカの弟は死体の上を石で覆う。イヌイット達は、新しい石の山「イヌクスート」が積み上げられているのを見て、犠牲者が出た事を知るのである。この怪物の兄弟はトゥイニット族という先住民の一人に追いつめられ、イクータユーカはとうとう成敗された。イクータユーカの弟は逃げ延びて二度と姿を現す事はなかった。このイクータユーカ(イクータユク)は人食いの女怪物であるとも言われている。イクータユクは弟と一緒に、つらら(氷柱)で造った円陣の中に人間を捕らえて、捕らえた人間をつららで刺し殺したとも言われている。

出典:
ピクシブ百科事典(「イヌイット神話」のページ)
世界の怪物・神獣事典(原書房)

作者ひとこと:
イクータユークのデザインは、巨大な針を持った六本足の虫の様な姿の怪物に描きました。イラストには、石を持ったイクータユークの弟も描いてみました。

2022年10月12日水曜日

「天羽槌雄命」


天羽槌雄命(アメノハヅチオノミコト)<建葉槌命(タケハヅチノミコト)、武羽槌命(タケハヅチノミコト)、武羽槌雄命(タケハヅチノオノミコト)、天羽槌雄神(アメノハヅチノオノカミ)、天羽雷命(アメノハヅチノミコト)、倭文神(シズノカミ)>

日本神話に登場する神の内の1柱で、この天羽槌雄命は「日本書紀(にほんしょき)」や「古語拾遺(こごしゅうい)」などに言及される神である。この天羽槌雄命は機織の祖神として信仰されている神である。名前の「羽(は)」は、動物の身を覆うものという意味から「布帛(ふはく)(木綿や絹織物)」を表し、「ツチ」の「チ」は威力を意味し、「ハツチ」で着物の神である事を表している。「古語拾遺」の天岩戸神話には、『天羽槌雄神(倭文の遠祖なり)をして文布(しず)を織らしめ、天棚機姫神(アメノタナバタヒメノカミ)をして神衣(かむみそ)を織らしむ』とある。天羽槌雄神は、「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の岩戸隠れにおいて文布(あやぬの)を織って供物とした神である。この時、天羽槌雄神が織り出したのは、「倭文(しず)の綾織り」というものだったという。倭文とは、古代の織物の一種の「倭文織(しずおり)」の事で、楮や麻などを材料として布を織る時に、ヨコ糸を赤や青い色に染めて乱れ織りにしたものである。古代において美しい織物は、神を祀る時の最高の供え物の一つだった。そういう貴重な織物を生み出す機織りを司るのが天羽槌雄命なのである。天羽槌雄命は、別名「倭文神(シズノカミ)」とも呼ばれる。天羽槌雄命は機織りを生業とする倭文氏の遠祖であるとされる。また、天羽槌雄命は「天日鷲神(アメノヒワシノカミ)」の御子神とされる場合がある。この天羽槌雄命を織物業の祖神として祀っているのが、鳥取県の倭文(しとり)神社である。社伝によると、昔この地方には、織物を生業とする倭文氏が住んでいて、彼等が信仰する神を祀ったのが始まりとされている。その他にも、倭文織の産地を示すものとして「続日本紀(しょくにほんぎ)」に『諸国の神への供え物のうち、倭文は常陸国(茨城県)から奉献される』と記されている。当時、常陸国あたりが倭文織物の特産地として有名だった事がうかがえる。現在、茨城県那珂郡瓜連町に織物業者の信仰を集める静(しず)神社があり、その祭神が天羽槌雄命である。天羽槌雄命は、別名の倭文神としても織物の産地に祀られている。また天羽槌雄命(建葉槌命)は、高天ヶ原に従わない「天津甕星神(アマツミカボシノカミ)」を服従させるために、「経津主神(フツヌシノカミ)」「建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)」の二神に加えて更に派遣された神で、建葉槌命によって天津甕星神は服従するに至った。

出典:
神魔精妖名辞典
「日本の神様」がよくわかる本(PHP文庫)

作者ひとこと:
天羽槌雄神のデザインは、六本の腕が織物になっている神の姿に描きました。イラストの天羽槌雄神は、腕の織物の中に星の神である天津甕星神を封じたイメージで、織物に星座である二十八宿を織り込んだ感じで描きました。

2022年10月11日火曜日

「天津甕星神」


天津甕星神(アマツミカボシノカミ)<天香香背男(アメノカガセオ)>

日本神話に登場する神の内の1柱で、この神は星の神であるとされる。「日本書紀」巻二、神代下に次のようにある。天津甕星神は、地上平定のために遣わされた「建甕槌神(タケミカヅチノカミ)」と「経津主神(フツヌシノカミ)」が平らげることの出来なかった、ただ一柱の神である。「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)(中つ国)」のほぼ全土が征圧された後も、天津甕星神はただ一柱、天津神に従わなかった。そこで「建葉槌命(タケハツチノミコト)」が派遣されて、ようやく征圧されたという。また、「日本書紀」の神代下第九段には次のような異伝もある。天津甕星神は天津神でありながら、高天ヶ原の命に従わぬ神であった。そのため、地上平定のために建甕槌神と経津主神が派遣されようとした際、二柱の神は「地上平定は、悪神である天津甕星神を排除してから行ってほしい」と異を唱えている。しかし、天津甕星神は排される事はなく、香取に鎮座し続けた。天津甕星神は「香香背男(かかせを)」とも呼ばれている。天に従わない神がいて、それらの神は誅された。最後に残ったのが、星の神である香香背男だったが、それも建葉槌命によって退治された。茨城県では、天津甕星神は、「建御雷命(タケミカヅチノミコト)」「経津主命(フツヌシノミコト)」、およびそれを助けた建葉槌命によって退治されたと寺社で言い伝えられている(「県北海岸地区民俗資料緊急調査報告書」、「瓜連町史」)。茨城県日立市の大甕神社では「香香背男の爪」と称する爪が保管されていて、香香背男は獣のすがたをしていたとも語られていたという(「県北海岸地区民俗資料緊急調査報告書」)。「魔王石(マオウイシ)」は香香背男が化けた、または変じたとされる岩石である。この魔王石は日に日にどんどん巨大になっていったといい、建御雷命によって弓で射られて砕け散ったとされる。茨城県日立市などに伝わる。建葉槌命が金の沓で蹴り飛ばして石を割ると香香背男が中から出て来て、血を吐き死んだとされる。「雷断石(ライダンイシ)」や「雷神石(ライジンイシ)」と呼ばれている話もみられ、そちらでは雷が落とされて砕け散ったことから、その名で呼ばれている(「県北海岸地区民俗資料緊急調査報告書」)。飛び散った魔王石の欠片のうちの最も大きいものが要石になった(「県北海岸地区民俗資料緊急調査報告書」)とも語られる。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
図解日本神話(新紀元社)
日本怪異妖怪事典関東(笠間書院)

作者ひとこと:
天津甕星神のデザインは、鎧を身に着け、剣を持った神の姿に描きました。

2022年10月10日月曜日

「トゥンニトゥアクルク」


トゥンニトゥアクルク<トゥンニトゥアッルク、ツンニツァクルク、トゥニテュアクルク>

カナダ北部一帯やアメリカ合衆国アラスカ州、グリーンランドに居住している民族であるイヌイットに伝わる(カナダ北東部にある東ハドソン湾・ポヴングニトゥク地方および、ケベック州に住むイヌイットに伝承されているとも)妖怪の一種。このトゥンニトゥアクルク(トゥニテュアクルク)は、雄の怪物である。トゥンニトゥアクルクは人間に似ているが、その頭は巨大で刺青に覆われている。雌は「カテュタユーク」と呼ばれ、トゥンニトゥアクルクとは外見が異なる。トゥンニトゥアクルクもカテュタユークもともに人間を後からつけたり、使われなくなって間もない「イグルー(雪の家)」の寝床に隠れて、たまたまそのイグルーに来た人間を驚かしたりする習性がある。雌の妖怪カテュタユークは、胴体がなく、大きな頭が直接足に付いている女性の姿をしている。胸は頬から直接生えてきており、性器は顎にある。または、頭に直接、鳥の脚が生えており、頬に乳房、顎に性器を持つ「頭足人(頭から直接足が生えており、胴体がない人間の姿)」の姿をしている。一説には、雄のトゥンニトゥアクルクも雌のカテュタユークと同じ、所謂「頭足人」の姿をしているとも言われており、トゥンニトゥアクルクの頭は刺青に覆われているとされる。また雄であるトゥンニトゥアクルクの方が、カテュタユークより少し大柄であるとも言われている。トゥンニトゥアクルクとカテュタユークの関係は、トゥンニトゥアクルクが夫でカテュタユークが妻の夫妻であると言われている。

出典:
神魔精妖名辞典
和漢百魅缶(「カテュタユーク」のページ)
妖界東西新聞(「こおった小川に居ますか居ぬか」のページ)
ピクシブ百科事典(「カテュタユーク」のページ)
世界の怪物・神獣事典(原書房)

作者ひとこと:
トゥンニトゥアクルクのデザインは、頭と足だけの姿の妖怪に描きました。顎に性器があり、全身は刺青に覆われている。

2022年10月9日日曜日

「トゥピラク」


トゥピラク<トゥピレク、トゥピラック>


カナダ北部一帯やアラスカ州、グリーンランドに居住する民族であるイヌイットに伝わる悪霊。トゥピラクは、シャーマンが災いをもたらす為に召喚する悪霊である。トゥピラクは様々な姿が伝わっており、後ろ脚が烏の死んだ子供の姿や、アザラシに変身途中の人間の姿、尖った頭に大きな牙を両手でつかむ怪物の姿などが伝わっている。このトゥピラクは、グリーンランドに住むイヌイットにおいて、「アンガコック(シャーマンないし治療者の事)」の中でも特に不幸をもたらす能力に長けた「イリシツォク」によって使役される生物であるとも言われている。トゥピラクはイリシツォクによって呪術的に作り出されたアザラシに似た奇怪な生物で、イリシツォクの命令で人を襲って殺すとされる。

出典:
神様コレクション
神魔精妖名辞典
ピクシブ百科事典(「イヌイット神話」のページ)

作者ひとこと:
トゥピラクのデザインは、大きな二本の牙を持ったアザラシの様な姿の怪物に描きました。

2022年10月8日土曜日

「キングー」


キングー

メソポタミア神話に登場する神の内の1柱。キングーは、海水の女神「ティアマト」が生み出した「11の怪物」の指揮を執った総司令官である。「11の怪物」とは、ティアマトが生み出した11種の怪物の総称である。「11の怪物」とは、7つの頭を持った蛇「ムシュマッヘ」、シュメール語で「恐ろしい蛇」という意味の名を持つ怪物「ムシュフシュ」、蠍人間の「ギルタブリル」、竜の「ウシュムガル」、毒蛇の「バシュム」、海の嵐の女神「ラハム」、巨大な獅子の「ウガルル」、獅子人間の「ウリディンム」、嵐の怪物の「ウム・ダブルチュ」、魚人間の「クルール」、雄牛の怪物の「クサリク」の11種の事である。ティアマトは、これら11の怪物を生み出した後に、キングーに、この怪物達の軍勢を率いさせた。そもそもティアマトが11の怪物を生み出したのは、太陽神「マルドゥク」と戦う為であった。バビロニア神話の創世記叙事詩「エヌマ・エリシュ」によると、ティアマトは夫である淡水の神「アプスー」と共に若い神々を生み出した。しかし、生まれた神々が騒ぎ立てる事に耐えきれなくなったアプスーは、若い神々を間引こうと考えた。だが、この計画を知恵の神「エンキ」に知られてしまい、アプスーは殺され、そのアプスーの遺体の上には住居を建てられた。更に、その住居でエンキが妻と交わってもうけたのがマルドゥクだった。こうして夫の復讐を決意したティアマトは11の怪物を生み出したのである。キングーはティアマトの息子だと言われているが、別説ではティアマトに味方する神々の中から選ばれ、ティアマトの2番目の夫になった者ともされる。キングーはティアマトから11の怪物達を率いるよう指名され、ティアマトから、あらゆるものの運命を操る「天命の粘土板」を与えられた。また、キングーはティアマトに愛され、ティアマトから、天空神「アヌ」と同じ地位を与えられた。これだけの強大な力を与えられたキングーだが、神話の中では戦闘で活躍する場面が見当たらない。キングーはマルドゥクの姿を見たとたん、怯えて動けなくなってしまったのだ。ティアマトがマルドゥクに倒された後、捕虜にしていたキングーは、裁判の後に処刑された。処刑されたキングーから流れ出た血液から人間がつくり出された。神々が人間をつくり出したのは、人間が僕として神々に仕えるようにする為であったと言われている。

出典:
ゼロからわかるメソポタミア神話(イースト・プレス)
知っておきたい世界の女神・天女・鬼女(西東社)

作者ひとこと:
キングーのデザインは、3つの眼を持った神の姿に描きました。手には天命の粘土板を持っています。

2022年10月7日金曜日

「ウトゥック」


ウトゥック

メソポタミア神話に登場する精霊。シュメールやアッカドには様々な姿をしたウトゥック(即ち精霊)がいた。ウトゥックは、基本的には人間の姿をしているが、頭が獅子だったり鷲だったり、あるいは逆に身体が牛だったりする事がある。ウトゥックとは本来、幽霊を表す言葉だったが、やがて超自然的な力(例えば、睨んだだけで敵を傷付ける、など)を持つ神霊を表すようになっていった。ウトゥックの数は、何千とも何万とも言われている。このウトゥックは天界や地獄を住み処としているが、地上では砂漠、墓地、山、海などによく現れる。ウトゥック達は、その役割も善悪両端である。ウトゥックの内、「ラマッス」とか「シェドゥ」といった精霊は聖なる役目を司っている。ラマッスは、たいてい4枚の美しい鳥の翼を持ち、頭は人間の場合もあれば、鳥や動物である事もあった。善霊達の役目は、天界にいる神と人間の仲立ちをする事にある。例えば、信仰心に厚く神々に忠実な人々の前に立って彼らを先導したり、後ろを歩いていて悪霊や災厄から守ったり、神の恩恵を信者にもたらしたりする。もちろん、普通は向こうから進んで姿を現そうとした時でなければ、目に見えることはない。シェドゥ(シェディム)は、人間の頭をした、たくましい牡牛の姿をしている。前脚のつけ根からは、一対の翼が天に向かってのびている。このシェデゥは、神殿や宮殿の守護神として、よく門の前にその彫像が置かれた。発掘された像から判断すると、その身の丈は4~5mもあったようである。元は善悪両方の性格を備えていたのだが、バビロニアやペルシアでは善なる性格が強調された。ユダヤではシェデゥは、逆に悪霊とされた。神は天地創造の6日目にシェディムの霊魂を造ったが、次の日は安息だったので仕事をやめ、とうとうシェディム達に身体を与えなかったという。一方、害悪をふりまくウトゥック達は「エディンム(エキンム)」と呼ばれている。その名は「持ち上げられた者」という意味を表し、一説によると、幽体離脱した者の魂であるとも言われている。別の説では、エディンムは浮かばれない死者の魂で、自分をちゃんと埋葬してくれなかった事を恨んで生者に災いをもたらすのだと言われている。エディンムに元々翼はなかったのだが、アッカド時代以降になると、次第に翼を備えた者も出て来た。彼等は不和をばら撒き、疫病を流行らせ、なんとか人間を破滅させようと思っている。エディンムは道端で待ち伏せをしていて、注意深く悟られないように人々に近づくので、良いウトゥック達より更に人目につかない。エディンムが人間の上に覆い被さると、その犠牲者は突然心臓や頭や身体全体に痛みを感じて、地面に倒れ伏す。そのつらさは、食事も水も喉を通らないほどだと言う。エディンム達は生者の生気を吸って暮らしている。エディンムは、どんな小さなもの(飲食物など)にも潜り込め、どんな大きなもの(建造物など)とも同化することが出来る。またエディンムは、変身能力も持っており、よく蠍、蛇など毒のある動物に化ける事もある。エディンムに取り憑かれた病人は、医学的な治療をどんなにしても容体がいっこうによくならない。唯一効果がある方法は呪文で、力のある神(例えば、水と知恵の神エア)の名のもとに、強い意志を持って呪文をたたきつけるのである。もし悪魔払い師の力が上であれば、取り憑いたエディンムは逃げ出し、患者は無事に健康を取り戻すのである。またウトゥック自体が、人間に害をもたらす邪悪な精霊や悪霊の総称であるともされる。この場合、ウトゥックは特定の精霊を指すものではなく、悪霊達の総称とされる。悪霊のウトゥックには複数の種類があり、大別すると二種類に分けられる。メソポタミアの人々には、人が死ぬと葬儀を行って埋葬し、更に定期的に弔いの儀式を行う習慣があった。だが、葬儀や埋葬、弔いの儀式を正しく行わなかった場合、その死者の霊は彷徨う邪悪な存在、即ちウトゥックになってしまうと考えられていた。このウトゥックは新月の夜になると冥界から戻って来て、生きている人間を病気にするなどの害を与える。ただし、このウトゥックは後からでもきちんと儀式を行って慰霊をする事によって、冥界に正しく送る事が出来るとされた。もう一つのウトゥックは、知恵の神「エンキ」の胆汁から生まれたとされる存在である。こちらのウトゥックこそが、真に恐ろしい悪霊であると考えられていた。半人半獣の姿で描かれており、頭が人間で体が獣と、その逆で頭が獣で体が人間、どちらのパターンも見受けられる。朽ち果てた建物や洞窟、穴の中などに住んでいるという。彼等は、見つけた全ての人間に対して病などの災いをもたらしたり、心に悪い影響を与えたりするとされる。例えば、犯罪などの不正な行為を考えつかせたり、人間や家畜を病気にさせたり、家族の不仲を巻き起こしたりするなどといった様々な厄災をもたらすものであるとされ、人々に恐れられていた。エンキから生まれたウトゥックは、慰霊する事が出来ないと考えられており、対策としては、呪術師が悪霊に対抗する呪文などを用いて払う必要があったとされる。

出典:
幻想世界の住人たちⅡ(新紀元社)
ゼロからわかるメソポタミア神話(イースト・プレス)

作者ひとこと:
ウトゥックのデザインは、人間の身体と山羊の頭を持ち、背中に4枚の翼を生やした精霊の姿に描きました。

2022年10月6日木曜日

「雨宝童子」


雨宝童子(ウホウドウジ)

雨宝童子は神仏習合の神で、名前は、正しくは「金剛赤精前神雨宝童子(コンゴウセキショウゼンジンウホウドウジ)」という。両部神道では、この雨宝童子は「天照大神(アマテラスオオミカミ)」が日向国に降り立った時の姿を示すとされ(雨宝童子は、天照大神が十六歳で日向国に降り立った時の姿とされる)、「大日如来(ダイニチニョライ。天照大神の本地仏)」の化身ともされる。空海(くうかい)が天長2年(825年)、伊勢の朝熊山で「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を修した折に、天照大神の託宣があり、この託宣に基づいて雨宝童子像を製作したという。「雨宝童子啓白(うほうどうじけいびゃく)」には、雨宝童子は三界諸仏の根本であると説いている。寛文2年(1602年)に金剛證寺の住持・大仲が著した「朝熊岳略縁起(あさまだけりゃくえんぎ)」には、「雨宝童子は全ての人民を救うために天照大神として示現された」とある。雨宝童子は、求福と除病に効験があるという。雨宝童子像は天女形で、頭上に五輪塔をいただき、右手に金剛宝棒をとり、左手に宝珠を持ち、ときに足下に白狸を踏むことがある。雨宝童子は「難陀竜王(ナンダリュウオウ)」とともに「十一面観音(ジュウイチメンカンノン)」の眷属となる。

出典:
エソテリカ事典シリーズ(1)仏尊の事典(学研)
すぐわかる日本の神像 あらわれた神々のすがたを読み解く(東京美術)

作者ひとこと:
雨宝童子のデザインは、頭に五輪塔をいただき、金剛宝棒と宝珠を持った童子の姿に描きました。

2022年10月5日水曜日

「宇迦之御魂神」


宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)


日本神話に登場する神で、この宇迦之御魂神は稲の精霊を神格化した神であり、その基本的な性格は五穀・食物を司る神である。宇迦之御魂神は「稲荷神(イナリノカミ)」と同一視されている。「古事記(こじき)」では、宇迦之御魂神は「須佐之男命(スサノオノミコト)」と「神大市比売命(カムオオイチヒメノミコト)」の間に生まれた子供であるとされているが、どういう神であるかは示されていない。一方「日本書紀(にほんしょき)」では、「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」が大八島(オオヤシマ)をつくって、飢えを感じて宇迦之御魂神を生んだとあり、食物と宇迦之御魂神との関係が明らかに示されている。宇迦之御魂神は、八百万の神々の中でも代表的な食物神である。食物の主役は穀物、とりわけ稲はその中心であり、主食を保証するこの神の名前が「倉稲魂(ウカノミタマ)」と表記されるのもそういう理由からである。なぜ宇迦之御魂神と稲荷神が同一視されているかと言うと、どちらも「稲霊(イナダマ)」(穀霊)、食物神というところが共通している。ただ、稲荷神には元々殖産興業の守護神的な性格があったと考えられる。それが今日の稲荷神のもつ霊験に大きく影響しているといっていいだろう。稲荷信仰は、奈良時代に発生したものである。伏見稲荷大社の社伝には、和銅四年(711年)に稲荷山三ヶ峰に稲荷神が鎮座したとある。現在の伏見稲荷大社のあるところだ。この稲荷信仰のルーツは、当時、山城国一帯に住んでいた渡来系の豪族「秦(はた)氏」が、自分達の氏神として祀った穀霊神、農耕神であった。稲荷神の稲荷は「稲生る」が転訛したという説もあるように、その信仰の核は「百穀の首座にある稲霊(穀霊)」にほかならない。それは宇迦之御魂神の性格とも一致する。それと同時に、秦氏の繁栄、すなわち彼等の住む山城国の産業の発展を守護するという性格も持っていたのである。秦氏の勢力拡大にともなって稲荷神の信仰圏がしだいに拡大する。その過程で古くから信仰されてきた穀霊神の宇迦之御魂神と結びついたものと考えられる。後に稲荷神は、仏教と習合したり、様々な民間信仰を巻き込みながら、やがて日本の民族宗教の中における代表的な霊威神の位置を獲得する。とりわけ中世から近世にかけての商業の発展、工業の勃興といった社会変化の中で、稲荷信仰は仏教的な現世利益の思想を取り入れる事によって、人々の新たな欲求に自在に対応するようになった。かくして稲荷信仰は急速に広がり、それにともなって稲荷神の性格も、本来の農耕神から商工業など諸産業の神へと拡大していったのである。宇迦之御魂神は、食物を司るという基本的な性格から、しばしば同じ食物神で伊勢神宮の外宮に鎮座する女神「豊受大神(トヨウケノオオカミ)」と同一神格とみられたりする。日本の神様というのは、神話などでは違った名前で出て来ても、その基本的な性格がほとんど類似する事から、同一神であるという論議がなされる事が多い。もっとも、それはあくまでも学問的な問題であって、我々の生活の中では、伏見稲荷大社の主祭神の宇迦之御魂神と伊勢神宮の豊受大神とは、はっきりと別の神なのである。更に稲荷神を祀る稲荷社の祭神について、宇迦之御魂神以外の神(豊受大神、若宇加能売命(ワカウカノメノミコト)、保食神(ウケモチノカミ)、大宣都比売神(オオゲツヒメノカミ)、御食津神(ミケツカミ)など)を祀る場合も多くみられる。しかし、そのいずれもが食物を司る神という性格上、宇迦之御魂神と同一神と考えられる事が多い。

出典:
「日本の神様」がよくわかる本(PHP文庫)

作者ひとこと:
宇迦之御魂神のデザインは、顔に狐の面を被り、手に宝珠と稲を持ち、米俵の上に乗った女神の姿に描きました。

2022年10月4日火曜日

「大戸惑女神」


大戸惑女神(オオトマトイメノカミ、オホトマトヒメノカミ)

日本神話に登場する神の内の一柱。大戸惑女神は、山を司る神「大山津見神(オオヤマツミノカミ)」と野と草を司る女神「鹿屋野比売神(カヤノヒメノカミ)」の間に生まれた女神である。この大戸惑女神は、山の傾斜面にいる女神であるとされる。また、この大戸惑女神は「山野に迷う事」の女神であるとされる事もある。この大戸惑女神は「古事記(こじき)」でのみ登場し、「日本書紀(にほんしょき)」では言及されない女神である。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
図解日本神話(新紀元社)
神魔精妖名辞典

作者ひとこと:
大戸惑女神のデザインは、山の傾斜面などにいて、人間の目には見えないが、近づいた人間を山に迷わせる、影の様な女神、精霊のイメージで描きました。

2022年10月3日月曜日

「大戸惑子神」


大戸惑子神(オオトマトイコノカミ、オホトマトヒコノカミ)

日本神話に登場する神の内の一柱。大戸惑子神は、山を司る神「大山津見神(オオヤマツミノカミ)」と野と草を司る女神「鹿屋野比売神(カヤノヒメノカミ)」の間に生まれた神である。この大戸惑子神は、山の傾斜面にいる神であるとされる。また、この大戸惑子神は「山野に迷う事」の神であるとされる事もある。この大戸惑子神は「古事記(こじき)」でのみ登場し、「日本書紀(にほんしょき)」では言及されない神である。

出典:
東洋神名事典(新紀元社)
図解日本神話(新紀元社)
神魔精妖名辞典

作者ひとこと:
大戸惑子神のデザインは、山の傾斜面などにいて、人間の目には見えないが、近づいた人間を山に迷わせる、影の様な神、精霊のイメージで描きました。

2022年10月2日日曜日

「イーナコス」


イーナコス<イナコス>


作者ひとこと:
イーナコスのデザインは、身体全体に鱗が生え、両脚が魚の尾鰭になった半人半魚の姿の河の神に描きました。

2022年10月1日土曜日

「檀君王倹」


檀君王倹(タングンワンゴム、タンクンワンコム、ダンクンオウケン)


作者ひとこと:
檀君王倹のデザインは、頭に冠を被り、衣を身に纏った神の姿に描きました。