自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。

2026年10月7日水曜日

「河小僧」


河小僧(カワコゾウ)<亀淵の河小僧、カワコゾウ>

いわゆる「河童」の類いには地方名が数多く存在する。愛知県でも様々な呼称が残るが「カワコゾウ」は代表的なものの一つである。その他には「カワランベ」「ノシ」「トチ」などが多く、どちらかというと、三河でカワコゾウが多く、尾張でトチが多い。古くは江戸時代の[尾張方言](1748)に「かはこぞ 亦かはらんべといふ」とあり、古くから「カワコゾウ」と呼ばれていたことがわかる。また、柳田國男が[妖怪名彙]に「ヒヲカセ」という名で載せた妖怪も、もとは「亀淵の河小僧」という話である。語られる内容としては、河童駒引きや蓼を嫌う話が散見される。また、祇園祭りの日に出るとされる場合もある。愛知県内の河小僧譚を全て掲載することは叶わないが、代表的なものをいくつか掲載する。【北設楽郡三輪村(現在の東栄町辺りか)の長岡と川合の境に亀淵という淵がある。大力で知られた杣職の鬼久右衛門という者が、夜道を川合へ帰ろうと歩いていると、自分の前を7、8歳の禿の童子が歩いていく。声をかけても返事をせず、一定の距離を保って久右衛門の前を歩いていく。不思議だと思いながら歩いていくと、禿は亀淵の前で急に振り返って「火を貸せ」と言った(資料によって「おいお爺火をお貸せ」など台詞には異同がある)。亀淵には河小僧が出ると聞いていたので、これは子供ではなく河小僧だったかと考え、大きな煙管の雁首で禿を殴り付けたのだが、同時に気を失ってしまった。翌日には気が付いたので帰宅できたという。その子は亀淵の主であるという。】【本郷町大字本郷(現・東栄町)に「おおかげ」という力の強い馬が飼われていた。代搔きの帰り、柳瀬へ洗いに行って馬を泳がせた。そこには深い淵があり、「カアランバ(川小僧・河童)」がいると言われていた。家に帰るとカアランバが馬の尻尾にぶら下がっている。川小僧は捕らえられ、厩の入り口の柱に縛り付けられた。小憎たらしい顔をしていたので、女衆が「憎たらしい奴だ」と頭から水をかけると、川小僧は恐ろしい力で縄を斬り、川へ逃げていった。川小僧は馬を引き込もうとして川から引き上げられ、頭の鉢の水をこぼしたので力がなくなったのだが、再び水を得て強くなったという。】 頭の皿ではなく「鉢」と表現されて記録に残っている点が興味深い。【昔、津具川の二子島(現・設楽町か)の持ち主が島で仕事をしていると、一人の小僧が頻繁にやって来るのだが、どうも様子がおかしい。近くに「蛇淵」と呼ばれる淵があり、「カワコゾウ」かもしれないと思い、弁当の菜に蓼を入れ、昼飯の際にそれを与えると、小僧は「しまった」と叫んで川に飛び込んだ。翌日、淵の真ん中に大きな魚が腹を背にして浮かんでいた。立派なイワナだったので持ち帰って食べたところ、一家は毒でことごとく死んでしまい、二子島も洪水で荒れて砂地になってしまったという。】【昔、上郷(現・豊田市大野瀬の上郷?)の「ウオドメ淵」にはカワコゾウが棲んでいて、淵に入ると「尻の子」を抜かれて浮かび上がってきたという。そのカワコゾウは、昼間にも出てきて、畦豆(田の畦に植えられる大豆)を食うともいう。】【旧南設楽郡作手村(現・新城市)では、「川にカワコゾウがいる」と伝えられており、特に「祇園の日川へ行くとカワコゾウに引きずり込まれる」と恐れられた。】【西尾市佐久島でも瀬川清子の調査記録に「カハコゾウ シリゴを抜く。水死人は尻があいてゐる」とある。】 目立った川のない島なので、これは海に出たものか。【旧南設楽郡(現・新城市)では、6月15日に川に行くと川小僧が「シンノコ(尻子玉のようなものか)」を抜くといって忌む。夜は赤い小提灯をたくさん吊るしてその前で拝んだという。】 資料上の表記は「河」も「川」も散見される。また、河小僧=川坊主=河童のような記述も少なくない。様々な地域資料に記録が残っており、愛知県各地で、河童的な水怪、現象を指す比較的一般的な呼び方だったようだ。

出典:
日本怪異妖怪事典 中部(笠間書院)

作者ひとこと:
河小僧のデザインは、人間の様な頭と、鱗が生えた蛙の様な体を持つ水中の妖怪というイメージで描きました。

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