自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。

2020年12月2日水曜日

「望天吼」


望天吼(ボウテンコウ)

中国に伝わる幻獣の一種。神獣、または怪獣であるともされている。この望天吼は、動く死体である「僵尸(キョウシ)」(「キョンシー」とも呼ばれる)が変化した怪獣「犼(コウ)」の別名であるともされている。望天吼は、鹿の様な角、駱駝の様な頭部、猫の様な耳、蝦の様な眼、驢馬の様な口、獅子の様な髪、蛇の様な首、蜃(シン。蜃気楼を作り出す竜の一種)の様な腹、鯉の様な鱗、鷹の様な前脚の爪と虎の様な後ろ脚の爪、という、その容貌は様々な動物の特徴が混じり合わさった様な姿をしている。ただし、望天吼(または犼)の姿は様々に伝えられており、「犼は獣名で犬に似て人を食べる」とか、「東海には犼という名の獣がおり、兎に似ており両耳は長く尖っていて一尺あまりの長さである。獅子はこれを恐れ、犼の尿が体にかかると、その部分は腐ってしまった」という姿にも描写されている。また、望天吼(または犼)は、体は小さいが、龍に向かって行く事が出来、もし犼が龍に勝った後は、負けた龍を犼は食べてしまった、とも伝えられている。中国、清の時代の東軒主人(トウケンシュジン)という人が撰したとされる文言小説集「述異記」にも望天吼(または犼)の記述があり、それによると、東海に犼という名の獣がいた。よく龍の脳を食べ、常に空に漂い、獲物には異常なほどに獰猛であった。また、この犼は、いつも龍と戦っていた。犼は口から数丈もの火を吐き、龍はいつも、この犼には勝てなかった。康熙二十五年(1686年)夏の間、平陽県に犼がおり、海中から犼が龍を追い空中へ至る。人々は、三匹の蛟竜と二匹の龍、対して一匹の犼が三日間、昼夜を問わず戦い続けているのを見た。犼は一匹の龍と二匹の蛟竜を殺したところで犼自身も死んでしまい、その死んだ犼は山谷へと落ちて行った。その時死んだ犼は、その体長が十二丈で、馬に似た体で、その体には鱗と鬣があった。犼の死後、その体の鱗や鬣の中から焔の様な一丈余りの火と光が起こり、その火と光は犼の体全体を覆った、とある。また、この望天吼は、龍が生んだ九匹の子である「龍生九子(リュウセイキュウシ)」の内の一体であるともされている。龍生九子としての望天吼は、見張りをする習性があり、華表(カヒョウ。中国で、宮殿・廟宇・陵墓の前に立てられる石柱)の柱の天辺で、天に向かって吼えている。この望天吼の姿は、龍に似ているとされる。この柱の天辺で吼えている望天吼は、天と地の間に立ち、上(天)と下(地)の意思を伝達している役目を果たしているとされている。天安門城楼の前の華表の上には、南を向いて座っている二対の石の望天吼がおり、この二対の望天吼は「望帝帰(ボウテイキ)」と呼ばれている。この望帝帰は、皇帝が外巡を専門に視てばかりおり、皇帝が久しく帰らない時に、望帝帰が素早く皇帝を呼び戻して、政治問題を片付けるのだと言われている。また、天安門の後ろの華表の上にも同じように二対の望天吼がおり、こちらの二対の望天吼は北を向いて座っている。こちらの二対の望天吼は「望帝出(ボウテイシュツ)」と呼ばれている。こちらの望帝出は、皇帝の宮殿内での行動を見ている。もし皇帝が宮殿内深くで政を行っていなければ、直ちに、この望帝出が、その皇帝を宮殿内から出し、皇帝を各地の視察へと向かわせるのだと言われている。これら、華表の上にいる望帝帰や望帝出達は、皇帝に天意を伝え、民情を汲み、皇帝を監督する役目にある望天吼なのだという。また、仏教の菩薩の内の一尊である「観音菩薩(カンノンボサツ)」の騎乗する馬は望天吼であるともされている。

出典:
プロメテウス
幻想類書
goo国語辞書

作者ひとこと:
望天吼のデザインは、鹿の様な一本角、龍の様な髭、蛇の様な腹に、虎の縞模様、牛の様な蹄など様々な動物の特徴がある神獣の姿に描きました。

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