自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。

2026年1月2日金曜日

「三ツ石さま」と「羅刹鬼」


三ツ石さま(ミツイシサマ)

 盛岡市名須川町にある神社「三ツ石神社」にある三つの巨石。三ツ石神社の祭神は「少彦名命(すくなひこなのみこと)、四柱大神」で、例祭は8月の第3日曜日。創建年代は未詳だが、社伝では盛岡市内に現存する神社中最古で、南部信直が創建したともいう。慶長4年、南部利直が盛岡に築城した際、初代・光行の霊を三ツ石神社に迎え、東顕寺に52石を寄進したと伝えられる。神社は東顕寺内にある。その境内に高さ2丈(約6m)、周囲3丈(約9m)の三ツ石があり、「岩手」の地名発祥の地といわれている。
 その昔、羅刹という悪鬼が現れ、住民や旅人を害した。困った住人が三ツ石の神に退治を祈ると、神は悪鬼を捕らえ、巨大な石にしばりつけて岩の中に封じ込めようとしたが、悪鬼が前非を悔いて再びこの里に来ないことを誓い、岩に手形を押して許しを乞うたので、放したという。
 なお、違う説もある。田村麻呂(たむらまろ)将軍がこの地方に進軍してきたときに、退治した蝦夷(えみし)反乱軍の首領3人を捕らえたという。そして二度と反抗しない証文として石に手形を押させたというものである。ちなみに鬼が退散したあと、里人は石の周りで踊り、喜びを表現した。これが現在も続く「さんさ踊り」の始まりといわれている(さんさ踊りの由来には、八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)に関係あるという説、あるいは南昌山(なんしょうざん)の鬼退治に由来するという説もある)。

出典:
『角川日本地名大辞典 3 岩手県』(角川書店)
『とうほく妖怪図鑑』(無明舎出版)

作者ひとこと:
 ChatGPTで生成。実際に三ツ石神社にある三つの巨石の画像を読み込ませ、微調整をしながら描かせました。


羅刹鬼(ラセツキ)

 岩手県盛岡市に伝わる。昔、羅刹鬼という鬼が、盛岡辺りの里を荒らしており、人々は三ツ石神社に願をかけ、これを捕らえてもらった。羅刹鬼は二度とこの地を踏まないと約束をし、三ツ石の神様はその証文として、三ツ石に手形を押させた。岩手県の県名はこの岩に残った手形に由来するという。
 この話は、現在東北四大祭りの一つである「さんさ踊り」の起源譚、「不来方(こずかた)」という地名譚にもなっている。鬼は、もうこの地には来ないと三ツ石に手形を押して退散したことからこの地域は、鬼が来ない「不来方」と呼ばれた。また、鬼が来なくなったことに村人たちは「さんさ、さんさ」と喜び、感謝の踊りを捧げたのが「さんさ踊り」の起源とされる。
 岩手日報社『岩手の伝説を歩く』によれば、この三ツ石は岩手山が噴火したときに飛んできた石だとか、大きな岩が長い年月のうちに割れたとか、雨上がりには手形が浮かび上がるとも言われているようである。
 岩手県全般に現れる鬼の話のほとんどは、朝廷に対抗した蝦夷(えみし)の民であった。岩手県を含む東北の地は、常に敗れ続けてきた。坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)率いる朝廷軍に敗れ、源頼朝(みなもとのよりとも)率いる関東軍にも敗れ、いくつもの敗北があった。そのために、伝説のほとんどが征服者の視点によるものが多い。この羅刹鬼の話も、またしかりである。

出典:
『日本怪異妖怪事典 東北』(笠間書院)

作者ひとこと:
 Geminiで生成。もう来ないと約束して退散したあと南昌山へ飛んでいったという話もあるようで、イラストは南昌山麓の洞窟で平穏に暮らす羅刹鬼をイメージして描かせました。

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