山魈(サンショウ)
中国に伝わる怪物、または妖怪の一種。山魈は、人間の頭と猿の体という姿をしており、手足の指は3本指である。また、この山魈の足は一本足で、その足は前後が逆についており、踵が前についている、という姿をしている。この山魈は中国の深い山中に住んでおり、人間と出会っても、人間を恐れないという。北宋時代に北宋の第二代皇帝、太宗(たいそう)の勅命によって編纂された類書「太平広記」には、山魈についての記述があり、それによると、南嶺(南嶺山脈)の南(現在の広東省や広西チワン族自治区にあたる)の地方の山中には、山魈というものが多く住んでいた。山魈は一本足で踵が前についており、手足の指は三本である。この山魈の雄は「山公(サンコウ)」、雌は「山姑(サンコ)」という。山魈は山中で人間に出会うと、山公は金銭を求め、山姑は脂(べに)と白粉を求め、その要求に人間が応じると、山公や山姑は、その人間を自分の縄張りの山の中で護衛してくれる。その為、この一帯の山中を旅行する人々は、彼等山魈に出会った時の為に、金銭や脂と白粉を多く持って行くのである。旅人達の山中での最大の恐怖は虎なのだが、虎は山魈達の支配下にあるので、山魈達の保護下にあれば恐れる必要がない。また、山魈は非常に礼儀正しい種族で、また正直で誠実でもある。その為、もし裏切られた時には酷い復讐をするという。たとえば、山魈達は人間と共同で農業をする事がある。人間の方は田と穀物の種を提供し、山魈達は、土地を耕し、種を蒔くのである。やがて穀物が実ると山魈達は人間を呼びに来て収穫を等分に分割する。山魈達は正直なので多めに収穫物を取ろうとはしない。また、人間達の方も多めに取ろうとはしない。なぜなら、多く取った人は、山魈達の呪いによって天疫病(癩病)に罹ってしまうからだと言われている。また、山魈は蟹や蝦が大好物で、山魈は山中にいる時は、淡水に棲む蟹や蝦を捕まえているという。夜、山中で人間が火を燃やして野宿していると、山魈はそれを見つけて、その火を燃やしている所へ現れるという。そして、自分が捕まえた蟹や蝦をその火で炙って食べるのだという。もし、その人間が塩を持っていると、その人間の油断をついて塩を盗み、その塩を使って蟹や蝦を食べるのだという。もし、山中で山魈に出会っても、その時には間違っても、彼等に向かって妖怪や妖鬼などと呼んではならない。山魈達はそう呼ばれる事を非常に嫌っており、命を取る様な事はしないが、そう呼んだ人間を酷い目に遭わせる。山魈達は、竹が火の中で爆ぜる様な音が嫌いである。だから中国で祭りなどの時に必ず使う爆竹の様なものは大嫌いなのである。中国南北朝時代の南朝梁(りょう)の人物、宗懍(そう りん)によって書かれ、隋(ずい)の杜公瞻(とこうせん)によって注釈が加えられた書物「荊楚歳時記」には、正月に庭先で爆竹を鳴らすのは、山魈や悪鬼を避ける為だという事が記されている。また、なぜ爆竹を鳴らすのかという故事が紹介され、それによると、西方の山奥に人間の様な姿をした一本足の怪物、山魈が住んでおり、この山魈に出会ってしまった人間は皆、高熱を発し苦しみながら死んで行くとされていた。また伝承では、その山魈が春節の際に、山から人里に下りてくる為、人々は春節が巡ってくるのを非常に恐れていたのである。そんなある日、とある農民が山で竹を伐採し家に帰ろうとした際、にわかに肌寒く感じた農民は、伐採した竹に火を付けて暖を取っていた。その時、そこへ山魈が現れたのである。驚いた農民は、火のついた竹を捨てて逃げ出したが、山魈も火のついた竹がパチパチと音を立てている事に驚き、山に逃げ戻った。こうして山魈の弱点を知った人々は毎年正月になると各家庭で竹を燃やし、それに恐れをなした山魈は再び人里に現れ人々を苦しめる事は無くなった、という。中国清代の文人・詩人の「袁枚(エン バイ)」の文言小説集「続子不語」には、山魈は桑の木で作った刀を恐れるという記述がある。桑の老樹を削って刀を作っておき、この刀で山魈を斬ると山魈は即死してしまうのだという。また、この桑の刀を門に掛けておくだけで、山魈は逃げ出してしまうのだという。
出典:
Wikipedia(「爆竹」のページ)
図説 妖怪辞典(幻冬舎)
幻想世界の住人たちⅢ<中国編>(新紀元社)
作者ひとこと:
山魈のデザインは、一本足が逆向きになっている毛むくじゃらの怪物の様な姿に描きました。山奥にいる一本足の鬼の様なイメージです。
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