自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。

2019年7月8日月曜日

「鍾馗」



鍾馗(ショウキ)

中国の民間伝承に伝わる道教系の神。長い髭を蓄え、目を見開いて睨みつける表情で、中国の官人の衣装を着て剣を持った、勇猛な武人の姿をしている。鍾馗は鬼を退治する役割を持った神で、元々は中国の唐代に実在した人物であるとする。伝承によれば、ある時、唐の6代皇帝・玄宗が瘧(おこり、マラリアの事)にかかり、床に伏せていた。玄宗は高熱のなかで夢を見る。夢の中では小鬼が宮廷内で悪戯をして回っていたが、何処からともなく武人姿の大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまった。玄宗がその大鬼にそなたは何者かと尋ねると、その大鬼は「自分は終南県出身の名は鍾馗。武徳年間(618年~626年)に官吏になるため科挙を受験したが落第し、その事を恥じて宮中で自殺した。だが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いる為にやって来た」と告げた。玄宗は夢から覚めたが玄宗の瘧は治っていた。感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の絵姿を描かせた。出来上がった鍾馗の絵を玄宗は駆邪の飾りにした。玄宗は臣下達にも鍾馗図を除夜に下賜し、邪気除けとして新年に鍾馗図を門に貼る風習が行われていた記録がある。宋代になると年末の大儺にも鍾馗図が貼られる様になり、明代末期から清代初期になると端午の節句に厄除けとして鍾馗図を家々に飾る風習が生まれた。鍾馗図は初期には呉道玄の構図の模倣が主だったが、明代に「鍾馗全伝」などの小説が流行すると騎虎図や吉祥図などの多様なバリエーションが生まれ、悪疫除けの風習と共に東アジア一帯に伝播した。日本では疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に鍾馗の絵や人形を奉納したりする。また鍾馗の図像は魔除けの効果があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。一説では、元々は終葵(シュウキ)という駆邪の道具が神格化されたものだともいう。

出典:
Wikipedia
神の文化史事典(白水社)

作者ひとこと:
鍾馗のデザインは、よく鍾馗図に描かれている様な勇猛な姿に描きました。

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