自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。

2021年4月27日火曜日

「屋敷神」


屋敷神(ヤシキガミ)

日本で信仰されている神。屋敷神は、屋敷に付属している土地に祀られている神である。屋敷神は屋敷及び、その土地を守護する神で、屋敷の裏や敷地に付属した土地、もしくはやや離れた山林などに祀られる事が多い。屋敷神は家との関わりが深い神であるが、神棚などに祀られている屋内神とは異なり、屋敷神は原則として屋敷の中には祀られない。この屋敷神を祀る信仰は、浄土真宗の地域を除いて全国に分布している。しかし、この屋敷神の起源について明確な事は分かっていない。しかし、屋敷神の神格としては農耕神・祖先神と同一の起源を持つ神であると言われている。特に祖先神との深い繋がりが指摘されている。日本では古くから、死んだ祖先の魂は山に住むと信じられてきたが、その信仰を背景として、屋敷近くの山林に祖先を祀る祭場を設けたのが屋敷神の起源だと考えられている。古くは一般的に神霊というものは一箇所に留まる事はなく、特定の時期にのみ特定の場所に来臨して、人々からの祭りを受けた後、再び帰って行くものだと信じられてきた。そのため、山林に設けられた祭場は当初は祠などではなく、祭祀の時のみ古木や自然石を依り代として祀ったものだったと考えられる。祠や社が建てられるようになるのは、神がその場に常在すると信じられるようになった後世の変化である。最初、屋敷近くの山林に祀られていたのが、次第に屋敷の建物に近付いていって、現在広く見られるような敷地内に社を建てて祀るという形態になったと思われている。屋敷神が建物や土地を守護すると信じられるようになったのは、屋敷のすぐ傍に建てられるようになったからだと考えられる。また、屋敷神の「一族の祖霊」という神格から、屋敷神を祀るのは親族の中でも本家のみだったが、分家の台頭により、次第にどの家でも屋敷神を祀るようになっていったと考えられている。また、ところによっては、一家一族の守護神であった屋敷神が、神威の上昇により、一家一族の守護という枠組みを超えて、地域の鎮守神に昇格する事もあった屋敷神の祭祀を行う時期(春と秋)が、農耕神(田の神・山の神)と重なる事から両者の関係が指摘されている。また屋敷神の祭祀は一族が揃って行う地域が広く存在し、屋敷神には祖先神の性格がある事も指摘されている。また、屋敷神の祭神を明確に祖先神だと認識した上で祀っているとしている所もあり、また、農耕神にも祖先神の性格がある事が指摘されており、屋敷神・農耕神・祖先神の三者は関わりがある事が分かっている。ただし、屋敷神を祖先神だとする事に関しては必ず当てはまるわけではない。特に都市部における屋敷神は、その屋敷の居住者が変わっても祭祀を受け継ぐ事もあり、一概には祖先神だとは言えない。とはいうものの、おおむね屋敷神はそれぞれの家に関わりのある祖先神を起源にしていると考えられるのであって、特定の神社の祭神を祀るわけではなかったが、現在では有名な神社の祭神を祀っているとしている所も多い。これはおそらく民間宗教者の関与によって、「稲荷」「神明」「祇園」「熊野」「白山」「天神」「八幡」「若宮」などの有名な神社の祭神の分霊を祀っている事に変更されたと考えられる。中でも稲荷を屋敷神としている所は非常に多い。また「屋敷神」というのは、あくまで学術用語であり、実際の呼称は地域によって様々である。東北地方や鹿児島県では「ウチガミ」「ウジガミ」と呼ばれている。この他、「ウッガン」「ジガミ」「ジヌシガミ」などとも呼ばれる祀られている。屋敷神の多くは石造か木造の小祠である。普通の神社の様な社殿を持つことはまずない。丁寧に祭祀されている場合は末社程度の規模の社殿を建てられ、鳥居までも持つ事もある。しかし、社殿を備えるようになったのは、神の常在を信じるようになった後世の変化で、それ以前は祠もなく、祭場のみだった。樹木や自然石を依り代としており、伊豆諸島の利島、熊野地方、壱岐などでは現在でも、この古態を留めている。また、藁の仮宮を祭りごとに作り替える所もある。これは祭りの時のみ神が来臨するものだという信仰の名残だと考えられている。普段は神はいないため、社の必要はなかったのである。屋敷神の神体は、古木や石を用いたのが最も古い形態だと考えられる。これに、鋭利な刃物の普及により削掛が加わり、紙の普及により、御幣も用いられるようになった。現在では、特に祭神を特定の神社の神の分霊とする場合は、各神社の発行する神札を祀っている事が多い。屋敷神は、春の旧暦二月と秋の旧暦十月、もしくは旧暦十一月の二回に祭祀される。もしくは省略されて秋に一回のみ祭祀する所もある。稲荷を祭神としている所では稲荷の祭日である二月の初午の祭りが重視される。春秋に祀るのは、山の神が稲作の開始とともに田に降りて田の神となる春と、稲作が終わり田の神が山に帰って行く秋に対応しているからだと考えられ、屋敷神と農耕神は深い関わりがあると考えられている。

出典:
Wikidivedia

作者ひとこと:
屋敷神のデザインは、満面の笑顔をした神の姿に描きました。

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