自己紹介

このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。

2019年6月24日月曜日

「刑天」



刑天(ケイテン)<形天、邢天。(ケイヨウ)形夭、刑夭、邢夭>

古代中国の神話に登場する神。古代中国の地理書「山海経(センガイキョウ)」によると刑天は帝(恐らくは黄帝)と中原(中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原)から遠く離れた西南方に位置する常羊の山近くで神の座(恐らく天帝の座)を掛けて争うが、帝に敗れて刑天は首を刎(ハ)ねられ、その首を常羊山に埋められるが、頭の無い刑天は両乳を目に臍を口に変え、干(カン、盾)と戚(セキ、斧)を手に持って闘志剥き出しの舞を続け、帝の軍相手に暴れて戦い続けた。刑天の首が埋められた常羊山は三皇五帝の一人・炎帝神農(エンテイシンノウ)の生地という説がある。また刑天は炎帝神農氏の命で「扶犂(フリ)の楽」という曲と「豊年(ホウネン)の詠」という詩から成る「下謀(カボウ)」を作ったと伝えられる。その事から刑天は神農の臣下であったと考えられる。一方で帝と刑天が戦った常羊山の北方には数箇国を隔てるものの黄帝の末裔の住む軒轅(ケンエン)の国があったというので、帝と刑天の闘争は炎帝神農氏と同じ三皇五帝の一人である黄帝との闘争の余波であり、常羊山から軒轅国に至る一帯で行われたものであったと考えられる。劉宋(リュウソウ)の文学者・陶淵明(トウエンメイ)は「読山海経」と題する連作五言詩の第10首で、刑天の故事を題材に「刑天干戚を舞わし、猛志固(モト)より常に在り」と詠み讃えたように、後世には刑天は敗北してなお屈しない精神の象徴とされている。

出典:
Wikipedia
幻想世界 幻獣事典(笠倉出版社)

作者ひとこと:
刑天のデザインは、頭の無い胴体に目と口がある姿に描きました。片手に斧、もう片手に盾を持たせました。

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