自己紹介
このブログでは、僕が描いた神話や伝説などに関する絵や、その絵の解説を載せています。
(イラスト、記事の執筆:マゴラカ、ワンタ) ※2024年度より、月・水・金曜日の21時に更新していきます。
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2020年2月5日水曜日
「彦狭知神」
彦狭知神(ヒコサチノカミ、ヒコサシリノカミ)<彦狭知命(ヒコサチノミコト、ヒコサシリノミコト)>
日本神話に登場する神。「日本書紀(ニホンショキ)」によれば、国譲りの際、高天原の長である「高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)」が国津神の「大国主神(オオクニヌシノカミ)を祀る為に派遣された神事に関連する神の一柱で、彦狭知神は「作盾者(タテヌイ※盾を造る職人)」として遣わされた。また「古語拾遺(コゴシュウイ)」では、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸(アマノイワト)に隠れてしまい、世界が常闇となってしまい困り果てた神々は、その打開策を知恵の神である「思兼命(オモイカネノミコト)」に考えさせる。思兼命は「太玉命(フトダマノミコト)を中心に、太玉命の配下の神々を率いて、天照大御神の心を和ませる為に大御神に捧げる和弊(ニキテ)を作らせよう」と提案する。その提案に従って神々はそれぞれ分担して和弊を製作した。彦狭知神は手置帆負神(タオキホオイノカミ)と共に「天御量(アマツミハカリ※天上の物差し)」を持って、大小の木材を切り出し、その木材で「瑞殿(ミズノミアラカ※立派な宮殿)」を造宮し、祭具として使う笠や矛、盾を作った。また同じく「古語拾遺」の他の段では太玉命の孫とされる「天富命(アメノトミノミコト)」が手置帆負神の子孫と、彦狭知神の子孫達を率いて、神武天皇即位の時に「斎斧(イミオノ)」と「斎鉏(イミスキ)」を用いて木材を切り出し、「邇邇藝命(ニニギノミコト)」を奉る為の「美豆乃御殿(ミズノミアラカ)」を造宮した。彦狭知神という神名については、「サシ(物差し)を知る」事をもって「サシリ」とする説や、「幸彦(サチヒコ)」の字が逆になり「ヒコサチ」となったとする説などがある。また彦狭知神は、神話の中で物差しを持って木材を切り出し、宮殿を作った事から、手置帆負神と共に、計量や建築、工作を司る神として祀られている。
出典:
神魔精妖名辞典
週刊 日本の神社(デアゴスティーニ・ジャパン)
⇒第20号「熱田神宮」、第116号「雄山神社」(「神話を読む」のページ)
作者ひとこと:
彦狭知神のデザインは楯や釘、剣や霊玉などが集まった神霊の様な姿に描きました。
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